夜の肩慣らし
入学してくる学生向けに作られたパンフレットを手に、見知らぬ男が俺へと指差した。当然ながら、俺の横にいるケイネも彼のことは知らないようだ。
「答えろよっ。これはお前なんだなっ」
二度もそう強く彼は言った。
まぁ答えないわけにもいかない。あまり大事にはしたくないからな。答えてみて様子を見てみることにしようか。
「そうだが、それがどうかしたのか?」
「……お前か、あのくだらない論文を書いたってのは」
どうやら彼は貴族と平民に大きな魔力的格差はないと言った論文を読んだ人のようだ。
確かに新聞にの取り上げられ、色んな人に周知されたものではあるか。それに反感を買ってしまうような内容であることもな。
「俺はただ自分の研究を発表しただけだ」
「そうよっ、それの何が悪いっていうのよ」
俺に続いてケイネも口を開いた。
すると、男はそれが気に食わなかったのか一歩前に大きく踏み出して言った。
「サルベルス、底辺貴族が主席を取るなんておかしな話だっ。お前らはこの国にとって害虫なんだよっ」
彼は学院周辺に住んでいる人ではない。どこからやってきたのかはわからないが、遠い場所からここまで来ているらしい。わざわざ俺やケイネに対して悪態をつくためだけに。
「はぁ、そんなことのためにここに来たのか? 全く意味がわからない」
「そんなこと……お前っ!」
彼はそういって天に手のひらを向け、魔力を放出する。その様子から彼はどうやらそれなりに強力な魔力を持っているらしい。
ただ、魔力のことではなく彼の展開した魔法の方が気になった。あの魔法はなかなかに珍しい。
「貴族を舐めるとどうなるか、思い知れっ」
「っ! どうしてっ」
ケイネが彼の魔法を見て驚く。それもそうだろう。俺も実際に驚いているのだからな。
まぁ俺にとっては大したことではないがな。
「”思い出せっ、死の感覚をっ! 魂を切り裂かれるかのようなあの苦しみをっ!”」
そう男は呪文を唱えながら魔力を充填させる。
「先生っ、逃げるべきよっ」
「すでに対象は俺に向けられている。逃げたところで意味はない」
「だったら、私があの魔法をっ……」
男に向かって走り出そうとするケイネを俺が腕を掴んで引き止める。
「離してっ、このままだと先生が死んじゃうのよっ」
「無意味なことはするな。それにあの程度の魔法で俺が死ぬことはない」
「え?」
俺の言葉に彼女は振り返ってそういった。彼女の顔は必死そのものだ。
俺が死ぬのではないかと本気で思っているのだろう。しかし、その心配はいらない。
「そろそろだな。下がってろ」
「ちょっ」
彼女の腕を強く引っ張って俺の後ろの方へと移動させる。
「邪悪な存在はこの世にはいらないんだっ!」
天に向けた手のひらを俺の方へと向ける。すると、そこから赤黒く光る鎖が俺の胸元あたりへと伸びる。
「エビリス先生っ」
「下民の分際で、貴族に逆らうとこうなるのだ!」
そういって男は更に魔力を強め、俺の方へと放出する。高い出力量に高い強度のその魔力は徐々に俺の魂を……
「なっ!」
彼の魔力は俺の魂へと届いたが、なんの影響も起きなかった。男の放った魔法はとてつもなく強力なもので、現在では使用されていないが一昔前であれば軍が暗殺によく使う魔法だった。
「……その魔法が使われなくなった理由を知ってるか?」
「くっ」
どうやらその様子では知らないようだ。
「なら教えてやるか」
俺はその赤黒く光る鎖を魔力を纏った手で引きちぎると男の方へゆっくりと近寄る。
「あの魔法の分類は?」
「そんなこと、呪術に決まってるだろ」
「どこに作用する?」
そう俺が問いかけるが、彼はそれ以上答えることはなかった。この男は貴族にしては少し気品が足りない。その上、魔法の知識も高くはない。
少なくともこの魔法学院を卒業した貴族ではないようだ。
「……ケイネならわかるな?」
「ええ、人の魂に直接作用する呪術ね」
「最後に、魔導機序については?」
「確か、魂に刻まれた死の意識を呼び覚まし、錯覚させることで対象を殺す魔法……」
そこまで言って彼女はとあることを思い出した。
そう、この魔法は魂に刻まれた死の意識を利用したものだ。その死の意識によって対象は自分が死んだと錯誤し、結果として死んでしまう。
簡易的な蘇生処置では対処できないという強みもあるが、そもそも錯誤さえしなければ死ぬことはない。
簡易的な防御魔法も蘇生魔法も一切通用しないという一見すると強力なように見える魔法とはいえ、対策さえしっかりすれば何も難しい魔法ということではない。
「っ! 貴様には死の意識がないってのかっ!」
「違うな。広義的な意味での話だが、その魔法は呪術の中でも洗脳に近いものだ」
「……自己暗示での抵抗」
すると、ケイネがぼそっと呟くように言った。
自分自身を洗脳することで外部からの洗脳術を封じる方法だ。魔法として行うにはそれなりに下準備を要するものだが、魔法を使わない方法もある。
「一体いつの間にそんなことをっ!」
「要するに騙されない心さえを持っていればそのような魔法はなんの意味もない」
「そんなふざけたことがっ」
俺がそう言うと彼は再び魔力を腕に集中させるとまた違った魔法を展開し始めた。先ほどの呪術ではなく攻撃魔法か。
最初からそうしていれば俺も楽だったのだがな。
「遅いな」
俺が指を鳴らすと彼の展開していた巨大な魔法陣が一瞬で砕け散った。
「なぜだっ」
「俺がお前を殺すのに一秒も必要ない。死にたくないのならさっさと立ち去ることだな」
「お、お前なんかに負けるはずがないんだ。きっと何か仕掛けが……」
動揺している彼の目の前へと魔法を使用して高速移動してやると彼は驚いて尻もちをついた。
まさかここまで魔法が通用しないとは彼も思っていなかったのだろうか。いや、そんなことを考えたところで意味はない。
人を殺そうとするのならあらゆる想定を考えるべきだ。こうして自身の魔法が封じ込められるということは十分に考えられたはずなのだからな。
「死にたくないのならさっさと……」
「くそっ! 覚えてやがれっ」
少し魔力を込めてそう睨みつけると彼は逃げ出すかのように立ち上がり、そう言い残してどこかへと走り去っていった。
威勢だけは十分だが、小物感の残るその言葉はなんとも印象的だった。
「エビリス先生、通報しなくてよかったの?」
「ああ、あのような小物は学生時代にもよくいた」
それに俺は無益な殺生は好まない。あのような人間なら生かすも殺すも簡単だが、一度殺してしまっては取り返しがつかない。この程度のことなら俺も慣れているし、別にどうでもいいことだ。
「だけど、ちょっと変よね」
「まぁ強い魔力の持ち主ではあったな。少し違和感があるが」
「……それよりさっきの説明、本当は違うでしょ」
すると、彼女は疑いの目を向けて俺の正面へと回り込んできた。
そのキリッとした美しいターコイズブルーの瞳で俺の深淵へと覗き込もうとしている。うっかりしていると彼女の未知の魔力に引き込まれてしまいそうになる。
「自己暗示での抵抗、か?」
「そうよ」
「まぁ確かにそのようなことはしていないな。もっと別の方法だ」
「教えてくれないの?」
「教えたところで真似できるようなものでもない」
確かに俺がさきほどの彼の魔法を封じた方法は一般的な防御法ではない。そもそも俺の魂にあのような術は通用しない。理由は省くが、俺を殺したいのであれば正攻法で挑むべきだな。
「ふーん」
「夜も遅いことだ。部屋に戻るか」
「夜通しじっくり聞かせてもらうからね」
「なるほど、眠れない夜になりそうだ」
「っ! その言い方だと変な意味になるでしょっ」
と、俺の横で真っ赤な顔をしながらケイネは全力のツッコミをしてくれる。
そんな彼女を横目に俺はふと考えてしまった。この出来事が不吉ななにかの始まりなのではないだろうかと。
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