第11話

 会議室の壁にかかったカレンダーを見やり、玲央は一つ、二つと指を伸ばした。

「もう半年経ったんだ」

 カレンデュラに加入したのは高校二年生の九月だった。月日はあっという間にめぐり、あと一週間もすれば高校三年生である。

「時間の流れって思ったより早いんだなあ」

「まだ若いのになに年寄りじみたこと言ってるんです」

 なんとなく呟いた独り言に、机を挟んだ向かい側から苦言を呈される。そこに腰かけているのはスーツ姿の男だ。黒いマスクを顎までずらし、紙パックの豆乳にストローを突き立てながら玲央に目を向けてくる。

 彼は大蔓おおつるといい、カレンデュラのマネージャーを務めている。柘榴とはソロの時代からの付き合いらしく、玲央もユニットに加入した頃から世話になっていた。歳は初雪より上のはずだが、年下の玲央に対しても敬語で接してくる。

「両親が時々『一年はあっという間だからね』って言ってますけど、あれって本当なんですね。身をもって実感してます」

「学生のうちに実感しなくても良かったかと思いますが」

「レコーディングとか取材とか、色々あって忙しかったので余計に早く感じたのかも。で、今日も打ち合わせなんですよね」

 なんとなく窓の外を一瞥すると、澄み渡った青空に白い雲が漂っている。普段は放課後の時間を縫って事務所に来ることが多かったが、春休みに突入したことで時間に余裕が出来、明るいうちから打ち合わせが出来る。些細なことではあるが、妙に新鮮だった。

 大蔓は豆乳を一口だけ飲むと、玲央にクリアファイルを差し出してきた。中にはA4サイズの紙が三枚ほど重なっており、左の上部がホッチキスで留められている。

 いつもは三人がそろってから資料を見せられるが、今日はまだ柘榴も初雪も来ていない。疑問に首を傾げれば、今日呼びだされたのは玲央だけだという。

「お二人とも別の予定が入ってましたから」

「柘榴先輩はモデルの仕事? またどっかの雑誌に載るんですか」

「ええ。女性ファッション誌でアイドルやタレントの私服を特集するんですが、今日はそれの撮影ですね」

 玲央がよく見かける柘榴のいで立ちと言えば、ユニット衣装のほか白いシャツと黒いパンツというシンプルさだ。特集に掲載されるほど洒落たスタイルとは思えないが、小物でどうにか着飾るのかも知れない。

 一方、もう一人のメンバーは。

「初雪さんは今日も霹靂神の事務所に行ってるんですよね」

 玲央の予想に、大蔓が無言で首肯した。

 霹靂神の結成記念ライブにカレンデュラを出演させてほしい、と柘榴が菊司に直談判したのは二ヵ月前だ。当然その場で答えが出るはずもなく、輝恭にも同じことを言ったあとには「図々しい」と叱られたそうだ。

 大蔓はあとになって柘榴からこの提案を聞かされ、頭を抱えたらしい。

 なぜマネージャーである自分に相談しないのか。なぜ事務所を通じてではなく自ら本人たちに話をつけようとしたのか。社会人としての常識が欠落している。その他もろもろ注意したあと、改めて霹靂神の事務所に連絡を取ったという。

 結果、検討を重ねた末に柘榴の要求は受け入れられ、ライブ本番に向けて会議が進行中だ。三人と大蔓で赴くこともあるが、今日のように予定が合わない場合は代表として初雪が足を運んでいる。

「ひとまず現時点で決定したのは『ライブの開催日は六月二十八日』『カレンデュラがゲスト出演』の二点でしたね」

「でもなんで六月末なんでしょう。記念ライブは毎年子どもの日にやってるって聞きましたけど」

「演出や衣装変更の発生を鑑みたのではないかと。千両さんは『霹靂神の一夜限りの復活』を目論んでいるようですから、実現したとなれば丹和さんの準備が必要になりますし」

「それ本当に実現すると思います?」

「やると決めたことはやる人ですから、可能性は十分にあります。磯沢さんがうなずくかは分かりませんけれど」

「なんだかなあ、よく分からないんだよなあ」

 べったりと机に頬を押しつけて、玲央は眉間に眉を寄せた。

 霹靂神が絡んでからというもの、柘榴の行動がつくづく理解できない。初雪が霹靂神に戻ってしまうのは困ると言いつつ、菊司の望みを叶えるかのような話し合いの場を設けたりする。初雪が引退を示唆すれば物騒な脅しを吐きもするし、相談もなしにライブへのゲスト参加を打診する。

 どう考えても周囲を振り回しっぱなしだ。本人に自覚があるのか定かではないが、悪気が無いからと言って許されるものではない。

「一回キツく叱った方がいいんじゃないですか」

「あとで連絡しておきましょう。しかしどちらかと言えば、自分が注意するより谷萩さんが怒った方が効き目は出そうですが」

「そう、ですかね」

「誰だって気に入った相手には嫌われたくないものですよ」

 さて、と大蔓はマスクを口元まで引き上げた。本格的に仕事の話をするモードに入ったようだ。

 提示された資料にはとあるバラエティーのタイトルが記されていた。トークのほかに五分前後のミニドラマ三本ほどから構成される三十分の番組で、ドラマの内容もコメディからシリアス、ホラーや恋愛など様々だ。放送時間は深夜だが、これから流行る俳優やタレントが起用される傾向があり、新人発掘を目的とした視聴者が多いという。

「実は谷萩さんにこちらのミニドラマのオーディションの話が来ておりまして」

「えっ、本当ですか」

「といっても主役ではありませんが。作品はミステリーとコメディを掛け合わせたような内容みたいです」

 簡単なストーリーはこうだ。

 密室で発生した殺人事件と、そこに駆けつけた探偵とその助手。手がかりから犯人を探ろうとするも、おっちょこちょいな助手が見当違いな推理を連発してしまう。探偵はツッコミを入れつつ、助手の発言やそれを受けた容疑者たちの言動から真相を明らかにする。

 主役である探偵はすでに決定しており、今回のオーディションは助手の方だ。

「どうします? 受けてみますか?」

「やってみたいです!」

 鼻息荒く返事をしたものの、玲央はすぐにそわそわと腕を組んだ。

「でもオレ、演技経験ないんですよね」

「過去に一度もですか?」

「幼稚園のお遊戯でやったのが最後だと思います」

 中学の文化祭では全学年、各クラスが劇を披露しなければならなかったが、玲央は照明や舞台装置の担当に立候補したため、名もなき役すら担当していない。

 要するにほぼ未経験に等しいのだ。

 番組サイドがそれを知ったうえでオファーしたわけではないだろう。あくまで〝これから流行る〟と思われているだけだ。

「他にはどんな人がオーディション受けるんですか?」

「現時点では分かりません。ただ谷萩さんのようにまったくの未経験者というのは、これまでの出演者の傾向から考えると少ないかも知れませんね」

 ――少ないってことは、いないわけじゃないんだ。

 むしろミニドラマ出演が俳優デビューになったタレントもいるようだ。全員が全員、そのまま人気者に駆けあがっていくわけではないけれど、誰か白の目に留まるきっかけにはなる。

 改めてオーディションを受けるか聞かれ、今度こそ玲央は力強くうなずいた。

「実を言うと、ずっと気になってたんですよね」

「ドラマ出演がですか」

「っていうより、一人で仕事することが」

 柘榴や初雪にはたびたび単独での仕事が舞いこむが、新人の玲央はユニット単位の仕事しか受けたことがない。モデルとして活動した過去もないため仕方のないことではあるが、それでもどこか二人に羨ましさを抱いていた。

「絶対に緊張するし、失敗したら落ちちゃうのは分かってるんですけど、どのみちいい経験にはなると思うんです。だから挑戦してみたいです!」

「分かりました」

 大蔓は淡々と了承する。しかしよく眼差しは柔らかく温かみがあり、玲央の決断を心から応援してくれていると分かった。

 オーディションの開催日は約二週間後と、新学期が始まってすぐだ。もし無事に受かれば撮影も入り、加えてライブの稽古もしなければならないため、忙しさが増すに違いない。

 だとしても、せっかくのチャンスを見逃したくなかった。

「そういえば柘榴先輩たちはオレにこの話が来てること知ってるんですか?」

「教えてないのでご存知ないかと思いますよ。連絡しておきましょうか」

「いえ、大丈夫です!」

 慌てて首を横に振れば、大蔓がきょとんと眼をまたたいた。

「せっかくだから内緒にしましょう。受かったらサプライズで発表して、柘榴先輩たちを驚かせてみたいんです」

「ああ、なるほど。千両さんに対するちょっとした意趣返しみたいなものですか」

「です!」

 受からなければそのまま黙っておけばいいだけだし、柘榴たちは玲央がオーディションを受けていたことを知らないままだ。大蔓も伏せておいてくれるだろう。

 初雪くらいには教えてもいい気がしたが、二人まとめて驚かせた方が間違いなく面白い。

 果たしてどんな反応をしてくれるだろうか。瞠目して固まるか、自分のことのように喜んでくれるか。いや反応を期待するより、まずは自分の演技力がどれほどのものか知らなければ。

「台本はその資料の二ページ目と三ページ目です。確認しておいてください」

「分かりました。……台本ってこう、もっと分厚いのかと」

「一時間や二時間のドラマならもっとしっかりしたものでしょうが、あくまで深夜のバラエティーですから」

 これでは内容も薄っぺらいのかと思ったものの、意外としっかりした作りだ。時間が短いぶん展開も速いけれど、しっかり推理も楽しめてコメディの面白さも散りばめられている。

 玲央は大蔓に頼み、試しに台詞をいくつか聞いてもらうことにした。

「えーっと……《先生! こんなところに足跡が残っています。もしかすると犯人のものでは?》」

「いささか棒読みですね」大蔓の感想は遠慮も情けも無かった。「特に初めの《先生!》があまり驚いている風に聞こえないです」

「気をつけたんですけど、足りなかったんですね」

「あとは全体的に感情が希薄な印象です。演技というより、国語の音読に近いかと」

「めっちゃズバズバ言うじゃないですか……」

「素直な感想をお伝えしたまでです。判定をかなり甘くすることも出来ますが」

「いや、そのままでいいです」

 でなければ改善点が見つけられない。自分で気づくことも重要だが、今は誰かに指摘してもらった方が良いはずだ。

 他の台詞も聞いてもらったが、総じて評価はいまいちだった。

 このままでは合格はほぼあり得ない。オーディション当日までにレベルアップを図る必要がある。とはいえ柘榴や初雪にこれを伏せている以上、相談は出来ない。うんうんと唸っていると、大蔓に声をかけられた。

「自分で良ければ、いつでも練習に付き合いますよ」

「本当ですか!」

「谷萩さんに指摘しておいてなんですが、自分も演技経験はありません。完全に素人目線の感想になりますけれど、それでも良ければ」

「ぜひお願いします!」

 喜びのあまりガッツポーズをすると、大蔓が「おっと」とスマホを取り出した。電話の着信があったようで、彼はマスクを顎のあたりまで下げると玲央にかすかな声で「丹和さんです」と伝えてきた。

 向こうでの打ち合わせはまだ終わる時間ではないはずだが、緊急の用事だろうか。大蔓はすぐに通話ボタンを押し、初雪と言葉を交わす。「そうですか」「なるほど」と彼の反応はあっさりしたもので、どういう内容か察せられない。

 通話は一分ほどで終わり、大蔓はスマホをしまって紙パックの豆乳に手を伸ばす。

「初雪さん、電話でなんて言ってたんですか?」

「ライブの打ち合わせの進捗状況です。どうやら千両さんの思惑通りになりそうですよ」

 つまり、だ。玲央は背筋を正し、次の言葉を待った。

「一曲だけではありますが、丹和さんが霹靂神の楽曲に参加する方向で話を進めているそうです」

「一曲だけ、ですか。新曲?」

「それはさすがに用意する時間が無いでしょうから、恐らく三人体制だった頃の曲にするのでは」

 輝恭との仲が完全に回復したわけでもなさそうだけれど、楽曲への参加は初雪が自ら選んだ道だろう。〝一曲だけ〟ということは完全に霹靂神に戻るわけでもない。復帰と銘打つほど大々的なものではなく、ライブに訪れたファンへのちょっとした贈り物といった雰囲気だろうか。

 ライブの方向性も固まりつつある。玲央はオーディションの緊張とライブへの期待感で複雑な気分になりつつ、ドラマの台本をじっと見据えた。

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