第10話

 カフェの店内は椅子やクッション、壁の色から観葉植物の植木鉢に至るまでパステルカラーに染まっていた。客層のほとんどは若い女性で、店の雰囲気に合わせたのか可愛らしい服装がほとんどだ。ちまたで〝ゆめかわいい〟と称される部類だろう。

 空色やピンクの水玉模様が散りばめられたテーブルに目を落とし、玲央は落ち着かない心地で水が入ったコップに口をつけた。向かい側に目を向ければ、菊司が肩を縮めて膝の上に両手を置いていた。

「なんか、ちょっとそわそわしますよね」

 声をひそめて話しかけると、彼はぎこちなくうなずく。

「谷萩くんも?」

「お洒落なカフェとか縁遠くてほとんど入ったことないです。オレは場違いなんじゃないかって思えて、変に気張っちゃうっていうか」

「分かるなあ。お客さんも男の人ほとんどいないし、正直なところ今すぐにでも出たいんだけど」

「あっちの話が終わるまでは無理でしょうね」

 氷を口の中で溶かして喉に流しこみ、玲央と菊司は窓際のボックス席に目を向けた。

 そこでは柘榴と初雪が並んで腰かけ、対面で輝恭が頬杖をついている。お世辞にも和やかとは言えない空気が漂い、あの一角だけ妙に重たく物々しい。

 席を分けて座ろうと言い出したのは柘榴だ。自分と初雪、輝恭の三人で話し合いをして、玲央と菊司は終わるまで適当に親交を深めておくように言われたのである。

「あの三人で話すんだったら、別にオレたち来なくても良かったような」

「多分だけど、万が一の時のストッパー要員かな。輝恭くんがもし怒ったりしたとき、千両くんたちは止められないだろうから」

「磯沢さんって怒るとそんなに怖いんですか」

「ちょっとだけ」

「……あの、ホリデイのあと大丈夫でした?」

 窓を殴りつけるほどだったのだから、輝恭はそれなりに怒っていたはずだ。思い切って訊ねてみると、菊司は一瞬だけきょとんと首を傾げたもののすぐに柔らかく微笑む。どうやら杞憂だったらしい。

 柘榴は今日もあれこれと頼んだようで、店員が次々に三人のテーブルに品物を置いていく。店の入り口に置いてあったメニューの看板には日替わりランチが四種類書かれていたが、全て注文したとみえる。輝恭が文句を言っているようだが、周囲の歓談とBGMの影響で聞き取れなかった。

 あれだけの量を頼んで、かつ話し合いもするとなると退店までまだまだかかるだろう。玲央はメニュー表を開き、卵がとろとろのオムライスを注文した。

「嵯峨さんもなにか頼みますか? ハンバーグプレートとか美味しそうですよ」

「じゃあそれにしようかな。あと食後のカフェオレも」

「コーヒー系飲めるんですね。大人だー」

「普段はあんまり飲まないけど、これ可愛いなって思って」

 菊司が照れくさそうにおずおずと指さしたのはラテアートの写真だ。あくびをする猫の絵は確かに愛くるしい。絵柄はスタッフの気分で日によって変わるらしく、これを目的に訪れている客も多いとあとで知った。

 柘榴は笑みを浮かべてランチを口に運んでいるが、初雪と輝恭は依然として険しい表情を浮かべている。

「輝恭くんには一応、千両くんが話し合いをしたがってることは伝えてあったんだけど」

「まさか今日決行されるとは思ってなかった感じですかね」

「うん。だから『ふざけるな、事前に言え!』って帰ろうとしちゃって」

 しかし柘榴に阻止され、引きずられてきたのか。

 芸歴や年齢も柘榴より輝恭の方が上のはずだが、よくそんな態度を取れるものだと呆れを通り越して感心してしまう。敬意が感じられないわけではないため、からかって遊んでいるのではなさそうだが。

 急に呼びだされた上に、喧嘩別れした相手と強制的に再会させられれば、いくら話し合う覚悟があっても腹が立つのだろう。初雪も同様だ。二人とも一向に目を合わせようとしない。

「霹靂神に戻るかどうか相談するんだったら、カフェとかより事務所の会議室使った方が良かったんじゃ……その方が周りを気にしないでゆっくり出来た気がするのに」

「柘榴先輩がなに考えてるのかいまいち分かりませんけど、今日のこれに関しては本当にただランチ食べたかっただけだと思います。自分の欲求に素直っていうか」

「すっごく美味しそうにご飯食べてるもんね。輝恭くんと初雪さんはなにも頼んでないのかな」

「飲み物だけ頼んであるんじゃないですか?」

 初雪の手元には店のロゴが入ったマグカップが置かれているが、手をつける気配はない。

 ひとまず話し合いは柘榴が主に進めているようだ。内容が聞こえないのがもどかしいけれど、様子をうかがい続けるのも次第に面倒くさくなってくる。

 玲央はそれぞれが注文したメニューが届いてから、オムライスにスプーンを入れつつ菊司に問いかけた。

「嵯峨さんこの前、三人でまたステージに立ちたいって仰ってましたよね」

「うん」ハンバーグを箸で丁寧に切り分けて、菊司が首肯する。「初雪さんと歌ったりしてる時の輝恭くん、すごく楽しそうだったから」

「それはなんとなく分かります」

 初雪がもともと霹靂神だったと知って過去の動画をいくつか見た際、初期から中期にかけては三人とも心の底から楽しそうだと感じられた。ファンに手を振りながらも互いに視線を交わし、笑顔でステージを満喫していた。

 だがホリデイのあとに改めて動画を遡ってみると、輝恭に打ちのめされた頃からだろう、初雪の笑みがぎこちなくなったのも気づいた。脱退直前になると輝恭の目を見ることすらなくなり、トークでの口数もデビュー当時に比べれば減った。

 玲央でさえ気づいたのだから、ファンもなにかしら異変を察知したらしい。当初は体調不良を疑う声が多かったようだが、実際は不仲が原因で、最終的に初雪は去ってしまった。

「初雪さんがカレンデュラとして戻ってきたあたりかな。ファンの人たちから『霹靂神として復帰はしないんですか?』ってメッセージが来るようになったって、マネージャーが言ってたんだ」

「ファンは初雪さんが戻ってくるのを待ってるんですね」

「きっと。僕も輝恭くんも、初雪さんがいないならいないで、霹靂神は二人で完成させようって気持ちできたけど、昔から応援してくれてる人たちが『三人体制はどうなるのか』って気にかけてる声も多くて」

 菊司は自分の願いも叶えつつ、ファンたちの声にも応えたいのだろう。だから初雪を誘っている。

 だが。

「あの……」と玲央は声量を抑えて視線を下げた。「嵯峨さんはじゅうぶんご存知だと思いますけど、初雪さんは今カレンデュラじゃないですか」

「うん」

「……嵯峨さんの三人でステージに立ちたいっていうのは、霹靂神に復帰してほしいってことですよね。でもそれって、カレンデュラを抜けろって遠回しに言ってるような気がして」

 言葉はだんだん尻すぼみになっていく。自分より先輩を相手に口答えをしたに等しいのだ、臆しないわけがない。

 菊司は驚いたように箸を置くと、あわあわと胸の前で両手を振った。残像が見えそうなほどの勢いだ。

「え、えっと。ごめん、そんなつもりなくて!」

「そうなんですか?」

「うん。あの、正直なところそこまで考えが回ってなかった。ごめんね。そうやって捉えられても仕方ない言い方してたね、僕」

 指摘されて初めて意識したようで、菊司は本気で申し訳なさそうに頭を下げた。

 周囲の視線がちらほらと向けられたのを察し、玲央は顔をあげるよう慌てて促した。菊司はろくに変装しておらず、これまでメディアに露出してきたぶん、客の中には彼が何者か気づいている誰かがいてもおかしくない。

 仮に彼の行動がSNSなどで取り上げられてしまうと、面白おかしく話題にされる恐れがある。デビューして半年程度の後輩に謝罪しているなど、かっこうのネタだろう。

「オレも勘違いしてすみません!」

「謝るのは僕の方だよ。心配させちゃってごめんね。本当にそんなつもり無かったんだ」

「分かりました。分かりましたから、お願いなのでもう謝らないでください!」

 菊司は依然としてしょんぼりと肩を落としているけれど、要求通りに謝罪はやめてくれた。

「初雪さんがカレンデュラとして活動してるのはじゅうぶん知ってるし、僕たちと居た頃より活き活きしてるのも――ちょっと悔しいけど――理解してる」

「でも、だったらなんで霹靂神に復帰してほしいみたいな……」

「……初雪さんの抜け方は、僕もファンも、本人たちにとっても望まない形だったと思うんだ。だから」

 やり直したい、と。

 震える声で続けて、菊司は付け合わせのブロッコリーを箸でつまみ、それをじっと見つめていた。

「『霹靂神として歌うのはこれが最後だ』って……脱退じゃなくて卒業なんだって納得出来るようななにかを、僕はやりたくて」

「ライブとか、番組とか?」

「ライブが現実的かなって思うよ。今どきは配信もあるし、そのあたりも活用出来たらいいけど」

「問題は本人たちにその気があるかどうか、ですね」

 ボックス席を見やると、柘榴はランチを綺麗に食べ終えてメニュー表を手にしていた。デザートを注文するつもりのようだ。初雪は輝恭と言葉を交わしており、先ほどより場の雰囲気も和らいでいる。

 駅で柘榴を待っていたとき、初雪は「いくら説得されても、俺は霹靂神に戻るつもりなんて無い」と断言した。「求めてもらえるのはありがたいが、俺はまたテルヤスに打ちのめされたくない」とも。

 ――そうだ、ホリデイのあとにもなにか言ってたような。

 玲央は数週間前の記憶を辿り、はっとした。

 あの時は、そうだ。輝恭にはアイドルの才能があると話していて。

 ――眩しすぎたんだって、言ってた。

 その瞬間、玲央の中でなにかがひらめいた。

「初雪さんは磯沢さんのことを雷だって言ってたんですけど、オレはちょっと違う気がします」

「?」

「磯沢さんってどんな時も堂々としてて力強くて、明るいなって思うんですけど。それって雷って言うよりは、太陽みたいな感じがして」

「輝恭くんが?」

 はい、と玲央は深くうなずいた。

「雷の輝きって一瞬じゃないですか。だけど輝恭さんはこう、ずっと輝き続けてるイメージがあって。どれだけ暗い表情をしてた人でも、霹靂神を見るとぱって明るくなるんですよね。それって太陽が周りを照らすのと似てるなって、今ふと思いました」

「なんとなく分かるなあ」

「で、例えるなら嵯峨さんは月で、初雪さんは星なんじゃないですかね」

 月は太陽の光を受け止めて白く輝き、状況によっては夜だけでなく昼も空に昇って存在を知らしめている。

 一方、星は夜ならしっかり見えるけれど、昼間は周囲の光が強すぎてはっきり視認できない。そこに存在するのに、まるでどこにもいなくなったように思える。

「だから、なんていうのかな。初雪さんは霹靂神に戻ると、自分がまた霞んじゃうかもって気にしてるのかもしれないです」

「なるほど。その考えはなかった……」

「どこまで正しいか分かりませんけどね」

 玲央の勝手な予想で、もちろん間違っている可能性も大いにある。しかし我ながら的を射た例えだとも思えた。

 ひょいと視界の端でなにかが動く。目を向けると、柘榴がひらひらと手を振っていた。

 彼は席に初雪と輝恭を残し、軽い足取りでこちらに近づいてくる。そのまま玲央の隣に腰を下ろすと、「ふふ」と頬を緩めた。

「楽しそうだね」

「そりゃね。まるで夢みたいな時間だから、ちょっと浮かれてるよ」

「……? よく分かんないけど、そっちの話はまとまりそうなの」

「もうちょっとかな。いったん二人にした方が良いかなと思って、ちょっとこっち来ちゃった。先に言っておきたいこともあったし」

「?」

 玲央と菊司が揃って首をかしげると、柘榴はテーブルの上にスマホを置いた。画面にはメモらしき文字の羅列が表示されている。

「菊司さん、霹靂神の結成記念日って五月五日でしたよね」

「うん。よく知ってるね」

「当然です。――で、毎年その前後で記念のライブ行ってらっしゃると思いますが、今年の開催予定は?」

「企画は大詰めの段階だけど……」

 なぜそれを聞くのかと困惑したような菊司に、柘榴はにこにこと底知れない笑みで応える。

 妙に嫌な予感がして、玲央は無意識に胸を擦った。

「ぶしつけなお願いと承知の上で言います」と柘榴が背筋を正す。そのままメモの一画を拡大し、二人に順番に見せてきた。

 そこには〝ゲストとして参加できないか〟と記されている。

 ――もしかして。

「今年の結成記念ライブに、僕たちカレンデュラを出演させてほしいんです」

 とんっと画面を軽く指先で叩き、柘榴は大望を宿した瞳でそう言った。

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