第9話

 三学期の始業式を終えて帰宅していると、柘榴からメッセージが届いた。待ち合わせ場所と時間だけが簡潔に記され、どんな意図で呼びだしたのかについて書かれていない。

 ひとまず予定もなく、玲央は「了解」と返信して電車に乗りこんだ。

 車内には自分のような学生が多い。どこの高校も今日が始業式だったのだろう。〝ホリデイ〟に出た影響で多少は顔を知られたからか、ちらちらと向けられる視線が気になった。

 待ち合わせ場所である駅で降りると、改札のそばに見慣れた顔を見つけた。初雪だ。ダークな色のダッフルコートは限りなく地味で、芸能人としてのオーラがほとんど出ていない。ニット帽の下から覗く前髪のメッシュがなければ、なかなか初雪だと気づかないだろう。

「お疲れさま、初雪さん」

 近寄って声をかけると、「おう」と片手をあげて応えてくれる。そのまま二人で通路沿いの壁にもたれ、絶え間なく人が出入りする改札を見るともなしに眺めた。

「柘榴先輩は?」

「まだ来てない。玲央は学校帰りか」

「始業式終わって帰ろうとしたら連絡来てさ。電車乗る前で良かったよ。ていうか、なんで呼びだされたの? 今日って仕事の予定ないよね」

〝ホリデイ〟のあとは番組内で歌った曲の発売を控えていたため、取材やイベントなどが年末まで詰めこまれて慌ただしかった。その反動のように年明けは休みが多く、柘榴や初雪は個人の仕事が入っていたようだが、玲央は家事を手伝ったりしながらのんびりと正月休みを過ごせた。

 次に三人で顔を合わせるのは一週間後の雑誌取材だったはずだ。念のためにスマホでスケジュールを確認してみると、間違いなくそう記してある。

「急な用事が入ったとかかな」

「分からん」

「初雪さんも知らないの?」

「この時間にここに来いって連絡がきただけで、詳しいことはなにも」

「……前から思ってたんだけどさ、柘榴先輩ってちょっと言葉足らず?」

「ちょっとどころじゃない」

 初雪が苦笑しながらうなずいた。

「けどまあ、仕事だったらマネージャーから連絡が来るはずだろ。柘榴からってことは、多分プライベートな件だと思うが」

「単純に新年の挨拶がしたかっただけとか?」

 ついでに食事でもしに行く魂胆だろうか。駅の出入り口から周囲を見回してみたが、柘榴御用達のファミレスは見つからない。

 集合時間になっても、呼びだした本人は現れなかった。電話をしてみたところ、コール音が延々と続くばかりで出る気配がない。マナーモードにでもしているのか。初雪がメッセージを送ったものの、目を通した形跡も無いという。

「遅いね」

「いつもはあいつが一番に着くんだが。電車が遅れてるわけでもなさそうだし」

「前の仕事が押してるとか」

「その可能性が高いな。まあのんびり待つか」

「そういえばさ、クリスマスのあとって嵯峨さんから連絡あったりしたの?」

 玲央はあの日以降、霹靂神の二人と直接会っていないしテレビでも見かけていない。菊司は輝恭を宥められたのだろうか。喧嘩に発展していないといいのだが。

 問いかけに対して初雪は「いや」と首を横に振る。柘榴から頼まれたために一度だけ連絡したものの、やり取りは途切れているようだ。

「いつまでも俺を介されたら面倒だろ。だから菊司に柘榴の電話番号教えてやったんだ」

「あー、まあそうだよね」

 柘榴は「話し合いの場を設けたい」と言っていたはずだ。いちいち初雪を通して連絡していたのでは手間がかかる。初雪はその場にしゃがみこむと、うんざりしたように長々とため息をついた。

「いくら説得されても、俺は霹靂神に戻るつもりなんて無いんだが」

「けど嵯峨さんはまた一緒に歌おうって言ってたじゃん」

「求めてもらえるのはありがたいが、俺はまたテルヤスに打ちのめされたくない。言ったろ。霹靂神に戻るくらいなら」

「引退するって言ったら、オレもちょっと怒るし止めるからね」

 玲央は意識的に強い口調で遮って、普段は見上げてばかりの初雪を堂々と見下ろした。彼は意外そうに目を瞠り、面白いくらいに呆けて固まっている。

「オレのダンスに惚れてくれたのは初雪さんでしょ。だからオレはカレンデュラとして、アイドルとして踏み出せてるんだよ。この世界で進んでいこうって思えるきっかけをくれた人なんだからさ、簡単に引退するとか言わないで」

「…………」

「わがままだって分かってるけどさ。でもオレ、まだまだ初雪さんについて知らないことあるし、ダンスも歌ももっといっぱい一緒にやりたいわけ。柘榴先輩だってそうなんじゃないかな。脅すのはちょっとやり過ぎてる気がするけど」

 三人で歩き始めたばかりなのだ。互いに手を取り合って前を向いているのに、一人だけ離れてしまうのは寂しい。

 踊り続けよう、果てるまで――終わってしまうその日まで、玲央は三人で楽しく踊り続けていたい。

「初雪さんは違うの? 嵯峨さんにも言われてたじゃん。霹靂神を抜けても柘榴先輩と組んだのは、アイドルが楽しかったからでしょ。いくらしつこく口説いてこられても、本当に辞めたかったら辞めてるはずだし」

 だが初雪は柘榴の誘いに乗ってカレンデュラを組んでいる。

 ここなら自分でも輝ける。光を、声援を、ファンの喜びを全身で受け止められると信じて。

 玲央は初雪と同じ目線までしゃがみこみ、ニッと白い歯を見せて笑った。

「オレと柘榴先輩と一緒にさ、もっと色んな景色見ようよ」

「……ああ、そうだな」

 悪かった、と微笑みながら初雪が頭を撫でてくる。

 ふとなにを思い出したのか、彼は立ち上がってスマホを取り出すと画面を見せつけてきた。

 初めは柘榴が描いた絵だと思った。だがよく見ると色の使い方だとかタッチが違う。厚みのある色彩はクレヨンだろう。丸いステージの上に人と思しき物体が三つ並び、いずれも黒い服を着ている。

「事務所に届いてた封筒に入ってたんだ」

「へー。柘榴先輩より上手いじゃん。事務所に届いてたってことはファンレターってこと? あ、でも絵だからファンイラスト?」

「だな。幼稚園の子が描いたそうだ。カレンデュラが好きで、特に俺が好きなんだと」

「……それは、こう、なんていうか、ずいぶん……」

 渋い趣味をお持ちで、という言葉はなんとか飲みこんだ。

 オールバックの前髪と紳士的でダンディな雰囲気が受けたのか、初雪のファンはどちらかというと年齢層が高めだ。もちろん若い層もいないわけではないが、幼稚園児のファンは聞いたことが無い。

 絵は先日の〝ホリデイ〟を描いたものだろう。立ち位置こそ番組に忠実だが、初雪を推しているだけあってそこだけ気合の入れ方が違って見えた。柘榴と玲央に比べてディテールが細かいのだ。

「これを描いてくれた子が応援してくれてるのは、三人そろってるカレンデュラなんだよな」

 ぽつりと呟くように言い、初雪が愛おしそうに絵を撫でる。

「俺は一度、ファンの皆を裏切ってしまってる」

 脳裏に妹の言葉がよみがえる。

『友だちがめっちゃショック受けてたの思い出すなー』

『初雪さんを推してた人とかは、びっくりしたし悲しかったんじゃないかなって思うよ』

 ずっと応援していた相手が突然いなくなってしまう喪失感は計り知れない。脱退理由は明らかでなく、憶測ばかりが飛び交って精神的に疲弊したファンだっているはずだ。

「あの時は正直、逃げたいばかりで周りのことをなにも考えてなかった。でも今は違う。霹靂神だった時から応援してくれてる人や、新しくファンになってくれた人もいる。そういう皆をまた失望させるわけにはいかない。そうだろ」

「あとオレと柘榴先輩が怒るっていうのも忘れないで」

「肝に銘じておく」

 ひよひよ、とどこからともなく可愛らしい音が鳴った。メッセージアプリの着信音だ。柘榴からようやく返信があったらしく、初雪が小声で文句を垂れる。

「なんて書いてあったの」

「今着いたそうだ。遅れてごめんとか一言もないんだが」

 電車が走り去る音が聞こえて間もなく、大勢の客が改札の向こうから現れる。壁際にいては分かりにくいだろうと、二人は改札の正面で柘榴を待った。

 人ごみの中にいるはずの柘榴を探すのはなかなか困難だ。背がそれほど高いわけでもなく、初雪のように地味な格好をしていたら見逃してしまいかねない。

「お待たせー」と声が聞こえてきたのは、人波がまばらになった頃だった。

 自分の存在をアピールするがごとく恥ずかしげもなく大きく手を振り、柘榴が小走りで駆けてくる。寒がりなのか、何重にも巻かれたマフラーで口元まで覆っているために声がくぐもっていた。

 位置を知らせるべく玲央は片手をあげて、思わずぎょっとした。

 柘榴の隣に、周囲から文字通り頭一つぶん飛びぬけた男がいる。

「え、嵯峨さん?」

「……だな」

 さらによく見れば、柘榴は誰かの腕を掴んでいる。菊司ではない。ちょうど陰になって分かりにくいが、二人の間からちらちらと黄金色が輝くうえに、具体的には聞き取れないが不満にあふれた訴えも耳に届く。

 ――もしかして。

「ごめんね。ちょっと遅くなっちゃった」

 玲央と初雪の前で立ち止まり、柘榴は申し訳なさそうに眉を下げて謝った。だが二人とも戸惑いでなにも答えられず、どういうことだと目を見合わせる。

「いつまで掴んでんだ。放せ!」

 柘榴が連れてきたのは、霹靂神のリーダーたる輝恭だった。

 彼は鬱陶しそうに腕を振って柘榴の手を払おうとしたが、見かけによらず強い力で掴まれているようで、迷惑そうに舌打ちをこぼす。その目が一瞬だけ初雪に向けられたが、すぐに視線が外れた。

 玲央は菊司と新年の挨拶を交わしてから、おずおずと輝恭にも会釈した。無視されるかと思いきや、ほぼ面識がないにも拘らず「おう」とだけ応えてくれる。

「本当は集合時間前に到着する予定だったんだけど、輝恭さんにすごく抵抗されちゃって。無理やり引っ張ってきたら遅れちゃった」

「無理やりの自覚あんのかよ。ふざけてんのか」

「ふざけてませんって何度も言ったはずですが」

「……どういうことだ」

 低くぴりついた声で初雪が問いかけると、柘榴は輝恭の腕を力ずくで押さえながらにこにこと笑みを向けた。

「なんでこいつらもいるんだ」

「話し合いの場を設けたいって言ったでしょ。それでだよ」

「聞いてないぞ!」

 危うく怒鳴りかけて、寸前で自制心が働いたのだろう。初雪が拳を握りこんで柘榴に詰め寄った。

 三人の間に割りこめるだけの勇気はなく、玲央はこそこそと菊司の隣に並んで「あの」と肩をつついた。声が聞き取りにくかったようで、彼はわざわざ膝を屈めて玲央の高さまで耳元を近づけてくれた。

「嵯峨さんたちも柘榴先輩に呼びだされたんですか」

「もしかして千両くんからなにも聞いてないの?」

「一切合切」

 どうして、と言いたげに前髪の奥で目がまたたく。

「でも僕も詳しくは分からなくて……僕と輝恭くんの空いてる日を教えたら、じゃあこの時間にちょっと会いましょうって言われて、待ち合わせ場所に行ったらここまで案内されて、みたいな」

 つまり柘榴以外、誰も今日呼びだされた理由を知らないのか。

 言葉足らずというより、社会人として出来て当然の〝報告・連絡・相談〟が無さすぎる。玲央は額を手で覆って思わず項垂れた。

 柘榴は初雪から厳しく叱られたようだが、たいして堪えた様子もない。相変わらず微笑んだままだ。

「つまりね、初雪さんが霹靂神に戻るかどうかについて話し合いをしようと思って」

「俺にそのつもりは無いって言っただろ!」

「無かったとしても、意見交換は大事だよ。ってことで行こう。駅の近くに出来た新しいカフェのランチが絶品だって、この前メイクさんに教えてもらったんだ」

「……まさかそこに行きたくてここに集まれって言ったのか?」

「そうだけど」

 意見交換が大事だという割に、初雪の訴えを聞き流しているのはわざとなのか疑いたくなる。柘榴は輝恭から手を放すことなくずんずんと進み、三人が立ち止まったままだと気づくと「早くー」と手招きした。

 どうやらついていくほか無さそうだ。まったく気が進まないまま、玲央たちは重たい一歩を踏み出した。

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