第8話

 菊司は輝恭に初雪たちと会うことを教えていないと言っていた。なのになぜ彼が店の外にいるのか。

 乗りこんできたりしないかと身構えたが、輝恭は立ち尽くしたまま四人を見下ろしている。なにか喋っている様子もない。しかし表情から明確な敵意と嫌悪が感じられ、全身が凍り付いたように動けなくなった。

 ピンポーン、と間抜けな音が響いて、玲央は我に返った。どこかの席の誰かが呼びだしボタンを押したのだ。それをきっかけに店内も喧騒を取り戻し、無意識に浅くなっていた呼吸も元に戻る。

「ご注文をお伺いいたします」と店員がテーブルの横に立った時には、別の驚きで目を丸くしたけれど。

「抹茶パフェを一つと、ガトーショコラを一つ。あとわらび餅とほうじ茶のセットも一つで」

 メニューを読み上げる声が真横から聞こえ、玲央の喉から思わず「は?」と声が漏れる。

 ボタンを押したのは他ならぬ柘榴だったのか。玲央たち三人が輝恭に気を取られている間に、のんきに食後のデザートのことを考えていたようだ。

「どうしたの?」

「どうしたもこうしたもないよ! よくこの状況で注文できるね」

「だって美味しそうだったから」

「そういうことじゃなくてさぁ……! あっ」

 輝恭は初雪を睨みつけると、コートのポケットに手を突っこんで立ち去ってしまう。喧嘩が巻き起こらずにほっとした反面、なにも告げずにここに来た菊司との関係がぎくしゃくしてしまわないかと別の不安が首をもたげた。

「ご、ごめん」と菊司が荷物をまとめて慌ただしく立ち上がる。「僕、輝恭くん追いかけなきゃ」

「その方がいい。多分テルヤスも冷静じゃないだろうし、大人しく話を聞いてくれるか分からんが」

「聞いてもらえるように頑張る。……初雪さん、さっきの話、一応考えておいて。じゃあまた」

 菊司は机の上に千円札を置き、ぺこりと頭を下げると走り出す。ほどなくして窓の外を駆けていったが、口の動きから察するに輝恭の名を呼んでいるようだった。

 入れ替わりにパフェやケーキが到着して、柘榴はほくほくと満面の笑みでパフェのアイスをスプーンですくっている。玲央は頬杖をつき、呆れを通り越して感心の眼差しを向けてしまった。

「ほんとよく食べるよね」

「そう? 今日はいつもほど頼んでないんだけど。緊張してたからあんまりお腹空かなくて」

「それだけの量食べといて?」

 食事が喉を通らなかったのは菊司の方だろう。 初雪が千円を手に取って「あいつなにも注文してなかったのに」と苦笑していた。

「ていうか緊張って、なにに? 初めて〝ホリデイ〟出たことに? 柘榴先輩でも緊張とかするんだ」

「もちろん。どんな番組でも、どんなライブでも緊張しなかった日はないよ。でも今感じてた緊張は〝ホリデイ〟出たからじゃないけど」

「?」

「それより初雪さん、久しぶりに菊司さんに会ってどうだった?」

「どうもこうも……」

 初雪が肩をすくめてソファにもたれかかる。

「お前がなに考えてるのか分からん」

「僕?」

「今日のことを菊司と企んでたんだったら、俺があいつから『霹靂神に戻ってくれ』みたいなこと言われるのも前もって聞いてたんじゃないのか」

 半信半疑の問いかけに、柘榴はけろりとした顔で「うん」とうなずく。

 カレンデュラに加入してから半年も経っておらず、柘榴のことをなにもかも知っているわけではない。それでも多少は性格や趣味嗜好など、日々の会話から察するようにはなっていたが。

 ――初雪さんでも「なに考えてるのか分からない」って言うくらいなのに、オレがこの人のこと完全に理解出来るのいつになるんだろ。

 パフェに詰まっていたシリアルを奥歯で砕く音がリズミカルに聞こえてくる。一切れだけ食べたステーキの味も舌に残って食欲を刺激し、玲央はのろのろとメニュー表に手を伸ばした。

「嵯峨さんがなに言うか分かってたってことはさ、柘榴先輩は初雪さんが霹靂神に戻ってもいいの?」

 残っていたコーンスープを飲み干して、呼びだしボタンを押しつつ問いかける。店員にはカットステーキのライスセットを注文した。

「初雪さんが霹靂神に戻っちゃったら、カレンデュラは俺と柘榴先輩だけになるじゃん」

「それは困っちゃうなぁ」

「他人事みたいに……」

「でも現状、初雪さんは霹靂神に戻る気さらさら無さそうだね」

「当たり前だろ」

 返答は食い気味だった。初雪は氷が解けてぬるくなったお冷を一息で煽り、たんっと勢いよく机に置く。

「霹靂神に戻るくらいなら、今度こそ俺は引退するぞ」

「ふふ、声かけた時にそれは許さないって言ったの忘れた?」

「え、なに。そんなこと言ったの?」

 ――ていうか初雪さん、やっぱり引退するつもりだったんだ。

 玲央の頭の中に過去のニュース記事がよみがえる。火のないところに煙は立たないのだ。

「あのさ、初雪さんをスカウトした時ってどういう状況だったの? 柘榴先輩が嵯峨さんから連絡先聞き出したってのは、さっきの話でなんとなく分かったけど」

「おおまかには今まで話したのとそんなに変わらないよ。初雪さんが霹靂神抜けて、僕がスカウトしてって」

「……引退を許さないっていうのは?」

「玲央くんには前に話したことあるよね。僕がどうしてアイドルになったのか」

 確か「才能があると思ったから」だと言っていた。自身の持つ〝歌って踊れる能力〟を活かすには、アイドルが一番いいと思ったのだと。

 しかしなぜいきなりその話をするのだろう。玲央が首を傾げれば、柘榴はガトーショコラにフォークを入れながら微笑んだ。

「それと同じだよ。僕は初雪さんにも歌って踊れる才能があると確信した。だから『引退は許さない』って言ったんだ」

「無茶苦茶だろ?」

 当時を思い出したのか、初雪は辟易したように目を眇めた。

「テルヤスと自分の差に打ちのめされてから、俺はアイドルも芸能界も辞めるつもりだったんだ。なのに脱退直後からしつこく電話かかってきて、とりあえず俺の方針を直接会って伝えて諦めてもらおうと思ったら、真顔で『許さない』だぞ」

 柘榴の表情は基本的に笑っているところしか見たことが無いが、想像しただけで怯んでしまった。声が低いぶん凄みもあっただろう。

「だってもったいないでしょ?」

 唇についていたチョコをナプキンで拭い、柘榴が無邪気に言う。

「せっかく歌もダンスも上手いんだから、活かさずにただ腐らせるのは天が与えてくれた才能に対する冒涜だよ」

「……というわけで、俺は見事に言いくるめられてカレンデュラを組んだんだが」

「嵯峨さんは霹靂神に戻ってきてほしいと思ってる、と」

 お待たせいたしました、とステーキセットが運ばれてきた。夕食というには遅い時間だが、鉄板がじゅうじゅうと音を立てるのを間近で聞くと、腹が情けない音を立てる。玲央は火傷に気をつけながら肉の塊を口に放りこんだ。

 菊司は輝恭に追いついただろうか。落ち着いて話し合いが出来ていることを願うばかりだ。

「玲央くんはどう思う?」

「なにが?」

「もし初雪さんが霹靂神に戻るって言ったら、どうする?」

「ええ……そりゃ困るけど」

 そもそも玲央のダンスを見てぜひカレンデュラにと誘ってくれたのは初雪だ。やっと遠慮なしに話せるようになってきたのに、いなくなってしまうのは寂しい。

 ――でもこれはオレのわがままだし。

 本人に強い意思があるのなら、それを尊重すべきだと頭では分かっている。

 ステーキにフォークを突き刺したまま唸っていると、ふっと吐息に似た笑いが対面から聞こえた。

「柘榴が言ったのは〝もし〟の話だ。そこまで本気で考えなくていい」

「分かってるけどさ。〝もし〟が現実になるのもあり得る話じゃん。初雪さんが本気で戻るって言ったら、止めちゃいけないよなとも思うし……。柘榴先輩はどうなの。『困っちゃうなぁ』だけ?」

「展開次第かな」

 意味をはかりかねて玲央は初雪と目を見合わせた。柘榴は「まず一つ目の可能性」と右手の人差し指をぴんと立てる。

「菊司さんのお願いに応えて霹靂神に復帰する。でもあくまで一時的に、ね。例えば一夜限りの復活を謳ったイベントがあるとして、それが終わればまたカレンデュラに戻ってくる。この場合、僕は特になにも言わない。むしろ嬉しい選択だから応援するよ」

 続いて柘榴は中指を伸ばした。玲央は黙ってライスを頬張り、じっと次の言葉を待つ。

「二つ目の可能性は、カレンデュラを抜けて正式に霹靂神として復帰する。この場合は、そうだね。残念だけど初雪さんがそうしたいっていうなら、僕は喜んで背中を押すよ」

 はー、と吐かれたため息はあまりに胡散臭い。初雪から懐疑的な目を向けられていると気づいているはずだが、柘榴は意に介した様子もなく薬指を立てる。

「最後。三つ目の可能性」

 ぞく、と玲央の背筋に冷たいものが走った。

 ――な、なに。

 ――柘榴先輩の声がさっきより低い、ような気が。

「全部煩わしく感じて、カレンデュラも抜けて霹靂神にも復帰しない場合。今度こそ引退ってなるだろうけど、その選択をした場合、僕は本気で止めに行くよ」

 恐る恐る横目で表情をうかがうが、柘榴は珍しく仕事中のヘアスタイルのままだ。玲央の視点では前髪で顔の左側が隠れていて判然としない。

 彼は机の中央にあるカトラリーケースに手を伸ばし、ナイフを一本、静かに手に取った。

「……殺してでも止めてやる、とでも?」

「ニュアンス的には近いかな」

「ちょ、柘榴先輩?」

「玲央くんはさ、僕らのユニット名がなにに由来してるのか知ってる?」

「え? えー……と……?」

 いきなり言われても頭が働かない。

 確か母親にユニットに加入すると伝えた際、なにか言われた気がするが。

「花の名前なのねって母さんが言ってた、ような。キンセンカの別名とか、なんとか?」

「半分正解。じゃあユニットのモチーフがなんなのかは?」

「それは知ってる。童話の〝赤い靴〟でしょ」

 だからどんな衣装であっても、靴だけは三人とも赤いのだ。

 話の概要も知っているかと問われて、玲央はぎこちなくうなずいた。幼少期に読んだきりだが、貧しい少女が赤い靴をきっかけに変化していく様子が描かれていた覚えがある。

 母の葬式で履いた際には咎められるも、とある老婦人に養われるきっかけとなる。成長した主人公はどんな場面でも赤い靴を履き続け、老婦人が死にかけているにも関わらずその靴で舞踏会に出席した時、ついに罰が降りかかった。

 昼も夜も、休むことなく踊り続ける呪いを受けたのだ。

「あれ、でもどうにか呪いは解いたんだっけ」

「そう。足首を切断してもらってね」

 柘榴は淡々と言いながら、空中でナイフを真一文字にスライドさせる。

「その主人公の名前は〝カーレン〟だ。翻訳によっては〝カレン〟って記されることもある」

「……あ。それで〝カレンデュラ〟を思いついたの?」

「ちなみに命名は初雪さん。ユニット名を決めた時にキャッチコピーも考えたんだよ。『踊り続けよう、果てるまで』って」

〝赤い靴〟のあらすじを聞いたうえで聞くと、美しい響きの中にわずかばかりのグロテスクさが潜んでいる気がした。

「要するに、ね。果ててもないのに引退するなら、カーレンと一緒にしてあげようかって脅してるんだ」

「一緒にされたらどのみち踊れなくなって引退だろ」

「だから僕にその選択をさせないでくれってことだよ。いくらなんでも犯罪者になりたくないし」

 柘榴が器用にくるくると手のひらでナイフを回す。危ないから止めろと玲央はとっさに取り上げた。その時目にした彼の顔には、よく見る微笑みが戻っていた。

「とりあえず嵯峨さんとはまた話したりするんだよね。考えておいてって、帰り際に言ってたし」

「そうだね。初雪さん、まだ菊司さんの連絡先分かる? 空いてる日を聞いておいてほしいな。ちゃんと話し合いの場を設けたいから」

「だったらお前が直接連絡すればいいだろ」

「えー、恐れ多くて無理だよ」

「意味が分からん」

 初雪は眉を曇らせていたが、従っておいた方が面倒くさくないと考えたのだろう。スマホを手にしてなにやらメッセージを打ちこんでいた。

 世間は煌びやかなクリスマスを謳歌しているというのに、自分たちは剣呑な雰囲気漂う聖夜になってしまった。ある意味で記憶に残ったからいいかと無理やり納得させて、玲央は最後の一口になったステーキをめいっぱい堪能した。

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