第7話
クリスマスソングが流れるファミレスの店内で、玲央はコーンスープをすすっていた。辛うじて温かさは感じるが、とうもろこしの甘みがまったく分からない。スプーンを持つ指は緊張で小刻みに震える。
――これってどういう状況?
〝ホリデイ〟の放送を終えたあと、玲央たちは空腹を訴えた柘榴の希望によりちょっとした打ち上げも兼ねてファミレスを訪れた。右隣に座った彼は先ほどあれこれと注文したにもかかわらず、デザートのページを見て食後にどれを頼むか選んでいる。
柘榴の対面には初雪が座り、仏頂面で腕を組んでいた。
その隣、つまり玲央の正面にはもう一人、ソファに腰かける者がいる。
「……あのさ、柘榴先輩」
玲央はスプーンを置いて柘榴の袖を引いた。
「なんで嵯峨さんもいるの?」
呼ばれたことに気づいたのだろう。菊司がぴくりと肩を揺らして、居心地悪そうに席のすみに体を寄せた。
店に入った時まではいつも通り三人だったのだ。それから十分後、なぜか菊司もやってきたのである。
驚いたのは玲央と初雪だけで、柘榴は平然と挨拶を述べて初雪の隣に座るようすすめた。菊司は何度もぺこぺこと頭を下げて恐縮しきり、スタジオで圧巻のパフォーマンスを披露した人物とはとても思えなかった。
「ああ、僕が呼んだんだよ」
それがどうかしたか、と言わんばかりに首を傾げられ、玲央は唖然と目を丸くした。
「言ってなかったっけ」
「聞いてないよ! だからびっくりしてるんだけど!」
「それより玲央くんお腹空いてないの? スープバー以外なにも頼んでなかったよね」
「いやまあ、お腹は空いてるけどそれどころじゃないっていうか」
玲央が聞きたいのは「なぜ菊司をカレンデュラのプチ打ち上げに呼んだのか」ということだ。改めて問おうとした矢先に柘榴が注文したステーキだのパスタだのが到着し、幸せそうに頬張る横顔を見るとなにも聞けなくなった。
一方で初雪は柘榴を睨みつけていたが、やがてため息をついて菊司を一瞥した。
「柘榴に呼ばれたってどういうことだ」
「え、えっと、スタジオから出て行くときにメモ渡されて」
「メモ?」
――もしかして埃がどうのって声かけた時?
思い当たる瞬間と言えばそれしかない。不自然だと思っていたが、やはり埃はただの口実だったのか。
菊司はジーンズのポケットをあさると、その際に受け取ったと思しき紙片を机に置く。そこにはファミレスの名前と集合時間だけが簡潔に書かれていた。
「ずいぶんアナログな連絡方法だな。今どきメールとかいくらでもあるだろ」
「連絡先交換してなくて……千両くんとやり取りしてるって知ったら、輝恭くんが絶対に怒るし」
「テルヤスにはここに来ること言ってないのか」
「言えるわけないよ。初雪さんと会うなんて言ったらそれこそ……」
最後まで言い切らずに菊司は首を横に振って肩を落とす。恐らく烈火のごとく怒られるのだろう。幼馴染と言えど叱られるのは怖いらしい。
「玲央は菊司と会うの初めてだよな。紹介って言ってもさっきスタジオで観たから分かってると思うが、霹靂神の菊司だ。俺の一つ下の後輩」
はじめまして、と菊司はか細い声で挨拶してくる。玲央も同様に初雪に紹介され、緊張を振り払い背筋を伸ばして頭を下げた。
初雪と菊司の間には微妙な距離感がある。会話から刺々しい雰囲気は感じられず、二人の仲は険悪ではなさそうだ。しかし脱退以降まともに連絡を取っていなかったとみえ、ゆえにどことなくぎこちないのかも知れない。
「で、柘榴」
「なに?」
分厚いステーキを丁寧に切り分けて、口いっぱいに頬張りながら柘榴がきょとんと目をまたたく。
「いつから菊司と連絡取りあってたんだ」
「初雪さんが霹靂神抜けたあとくらい」
「……は?」
「ミュージカルのオーディションがあってね。そこで菊司さんと一緒になったのがきっかけで」
「待て待て待て」
初雪が脱退した頃からなら、少なくとも二年近く交流があったということだ。想定外の期間に初雪だけでなく玲央も混乱した。
「で、でも頻繁に話したわけじゃないよ」と菊司が慌てて口を挟んでくる。「初雪さんをスカウトしたいから連絡先教えてくれって、初めはそれだけで」
「柘榴お前、菊司から俺の電話番号聞き出してたのか!」
「それが一番手っ取り早そうだったから」
のちに聞いたところ、柘榴はいきなり初雪に電話をかけて「話したいことがある」と呼びだし、玲央をスカウトした時のようにファミレスでユニット結成を持ちかけたという。
なぜ毎回ファミレスなのかと聞いた時には「いろんなジャンルのご飯がそろってて食べたいものを食べられるから」と答えられた。
ぐったりと額を押さえて項垂れる初雪に同情しつつ、玲央は柘榴に改めて問いかけた。
「なんで嵯峨さん呼んだの。なにも理由ないってわけじゃないよね」
「そうだね。ちょっと大事な話をしたくて。ステーキ一切れ食べる?」
「じゃあ貰う」
ステーキのソースには刻んだ玉ねぎがたっぷり入り、甘辛い味付けが食欲をそそる。ミディアムレアに焼き上げられた肉は柔らかく、噛めば噛むほど肉汁が溢れてきた。
「菊司さんはね、初雪さんと輝恭さんに仲直りしてほしいんだって」
ステーキとセットで付いてきたサラダにドレッシングをかけ、柘榴はレタスをぱりぱりと咀嚼して言う。
「玲央くんは初雪さんがなんで霹靂神を抜けたのか、詳しいこと調べたりした?」
「ちょっとだけ。でも不仲説とか、初雪さんが言ってた方向性の違いってことくらいしか書かれてなくて」
「だろうね。じゃあ実際のところはどうだったのか、はい、初雪さん」
「……なんで言わなきゃならない」
初雪は頬杖をついてうんざりと視線をそらす。決していい思い出ではないのだろう。だが柘榴から無言の圧力をかけられ続け、最終的に折れたようだった。
「……あいつの隣に立つのが苦しかったんだ」
菊司も初めて理由を聞くようで、唇を引き結び、心配そうな目を向けている。
「さっきのステージ観て、玲央はなにか思わなかったか」
「なにかって……」
ざっくりしすぎて逆になにを思い返せばいいか分からない。
精力的に活動してきただけあり、ファンはもちろん本人たちに勢いがあったのは確かだ。まばたきをする一瞬すら目を離すのが惜しく、いつまでも彼らの世界観を味わっていたいとも思えた。
「あとは輝恭さんがすごいなあって。なんだろ、強者の風格みたいな?」
ひたすら前進を続ける意思が滲んだ眼差しと、感情豊かに歌詞を歌い上げる声。指を伸ばす動きすら一切隙が無く、足音一つとっても洗練されていた。
「柘榴先輩とは違ったアイドルらしさがあったっていうか、歌もダンスも才能のかたまりっていうか」
「それだよ」
「え?」
「俺はあいつの才能を間近で見るのが耐えられなかった」
ソファに深くもたれかかり、初雪は苦笑しながら天井を仰ぐ。
「眩しすぎたんだ。絶対的な自信を持ってて、注目を浴びれば浴びるほど活き活きする。追いつこうと努力してもテルヤスの才能はそれを上回る。俺はこいつみたいになれないんじゃないかって思ったら、もう無理だった」
高校で芸能科を選んだのは俳優に憧れたからだと初雪は語る。テレビに映ることも興味があったし、在学中に演技などを学んでいつか役者としてデビューする日を夢見ていた、と。
「たった一言喋るだけ、たったワンフレーズ歌うだけであいつはファンの視線を引きつけて、心に強烈なインパクトを残す。例えるなら雷だ。ユニット名の通りにな」
「? 霹靂神って雷って意味なの?」
菊司の説明によると〝はたた〟とは激しい音を示す擬音語で、そこに雷の語源である〝
「霹靂神を結成しようと言ったのは輝恭さんだそうですね」
柘榴はいつの間にかステーキとサラダを平らげ、フォークにパスタを巻きつけながら菊司に問う。彼はこっくりと控えめにうなずいた。
「中学の時に『高校生になったら結成しよう』って提案されてて」
「ということは、もとは輝恭さんと菊司さん二人だけのユニットになるはずだったんですよね。初雪さんも加えようと言ったのはどちらです?」
「……僕」
菊司は机の上で指を組み、俯きながらぎゅうっと強く握りこむ。
「輝恭くんと初雪さんが友だちなのは知ってたから、せっかくだし一緒にやるのはどうかなって提案したの。輝恭くんはちょっと……嫌そうだったけど」
「ちょっとどころか、だいぶ渋ってただろ」
しかし結果的に輝恭は初雪が加わることを認め、文化祭のステージに立ったことをきっかけに霹靂神は三人でデビューした。
当時は積極的にライブを開催してファンを着実に増やし、勢いのあるユニットとして少しずつメディア出演も増えたそうだ。
「だいたいどこでもテルヤスが一番目立ってた。リーダーだからってのもあるし、俺さま系に見えて礼儀作法がしっかりしてるから、ギャップがあるって受けたんだ。ファンサービスは多い方じゃなかったけど、そのぶん貴重だって喜ばれてたな」
「それを初雪さんは『羨ましいなあ』って見てたわけだ」
柘榴の一言に初雪はキッと鋭い目を向ける。反論しようとしたらしいが、何度か口をはくはくと動かして、やがて「ああ」とか細い声でうなずいた。
「そうかもな。羨ましかった、嫉妬してたんだ。あいつのアイドルとしての才能に」
自分とはレベルが違う。輝恭のようになりたいと思ってもがいても、肩を並べることを許されない。羨望はいつしか劣等感に変わり、初雪は現実から逃げるがごとく霹靂神を抜けたのだ。
「抜けるって言った時、輝恭さんにはなんて言われたの?」
「第一声は『ふざけんな』だったな。よく覚えてる」
どういった言い合いをしたのか初雪はそれ以上の詳細を語らない。誰でも嫌な記憶を掘り起こされたくはないだろう。
「菊司さんは初雪さんを止めなかったんですか?」
「止めたよ。輝恭くんの説得だってした。でも」
双方の意思は固く、菊司はなにも出来ないまま、去っていく初雪を見送るしかなかった。
玲央はすっかり冷めたコーンスープをすくい、「でも」と唇をへの字に曲げる。
「仲直りって、どうして今さら? 共演NG出すくらいなのに」
「……僕はただ、せめてもう一度だけでも、三人でステージに立ちたいんだ」
菊司の声は今にも泣きそうなほど震えている。切なる願いがはっきり感じ取れ、柘榴もパスタを巻く手を止めていた。
「初雪さんが抜けて、僕は悲しかったよ。僕だけじゃない、ファンの人たちだって寂しかったと思う。カレンデュラを結成したんだから、歌ったりするのは嫌いじゃないんでしょ?」
「まあ、そうだが」
「だったらまた僕たちと一緒に歌おうよ」
――え?
菊司の提案に、玲央はわずかに目を見開いた。
――それってつまり。
――霹靂神に戻ってきてってこと?
初雪の反応は芳しくない。否定的に眉をひそめてすらいる。菊司は彼に体ごと向き合い、手を取って「お願い」と頭を下げた。
「あの時は輝恭くんも初雪さんも、頭に血が上ってて冷静な話し合いが出来なかったんだよ。でも今なら……さっき話してくれた理由を説明してくれたら、輝恭くんもやみくもに怒ったりはしないと思う」
「やめてくれ菊司」
「僕も一緒に輝恭くんを説得する。だから、また霹靂神として――」
どん、と不意に鈍く重い音がした。窓からだ。
なにごとかと周囲の話し声が一斉に消える。嫌な静寂が満ちるなか恐る恐る目を向けて、玲央の顔から血の気が引いた。
窓の外には憤怒に表情を歪めた輝恭が立っていたからだ。
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