第6話
雑誌の撮影やインタビュー、レッスンやレコーディングなど慌ただしく過ごしているうちに、気がつけば〝ホリデイ〟当日を迎えていた。
出演が決まってからのスケジュールは怒涛だった。仕事関連だけでなく学校行事も重なったのだ。あまりの多忙さに修学旅行に出席できるか心配だったけれど、マネージャーがスケジュールを調整してくれたおかげで無事に参加した。
「この前玲央くんがくれたお土産、昨日全部食べ切ったよ」
楽屋で出番を待っている間、玲央は柘榴にスマホのカメラを向けていた。柘榴は笑顔でピースサインをしつつ、カメラ越しにそう伝えてくる。
「やっぱり沖縄って言ったらちんすこうだよね。僕も修学旅行でいっぱい買ったなあ」
「具体的にどれくらい買ったのかは聞かないでおくよ」
「お前らの高校は毎年沖縄なのか」
初雪が鏡の前で髪型のチェックをしながら訊ねてくる。うん、とうなずきながら玲央は彼にもカメラを向けた。
「初雪さんは修学旅行どこだったの」
「韓国か北海道か長崎」
「なにそれ。どこ行くか分かんない的なこと?」
「どれにするか選べたんだよ。俺は北海道にした」
まあ行けなかったが、と初雪は残念そうに続ける。
どうやら修学旅行の直前にデビューしたために仕事が山ほど詰めこまれ、欠席せざるを得なかったようだ。もしかするとマネージャーがスケジュールを調整してくれたのは、学生時代の貴重な思い出を潰さないように初雪が気を回してくれたのかも知れない。
「で、玲央はさっきからなに撮ってるんだ?」
「妹さんからまた写真欲しいって言われたんだって」
前回写真をねだられた時、二人は妹以外に見せないという条件付きで撮影を許可してくれた。あれから妹はますますカレンデュラのファンになり、ことあるごとにオフショットだのサインだのを求めてくる。
とはいえいちいち要求を聞いていては付け上がりかねず、九割がた断っている。
今回は柘榴に「妹がまたこんなこと言ってきてさ」と愚痴をこぼしたところ、撮影を快諾してくれた。ちょっとしたクリスマスプレゼントのつもりだそうだ。
初雪の笑顔も収めたところで、マネージャーが移動の時間だと知らせてきた。玲央はジャケットの襟を整え、表情をきりりと引きしめる。
柘榴の絵を見た時はどうなることかと思ったが、衣装は信じられないほど見事に仕上がった。ジャケットは普段と違って光沢のある生地が使用され、赤と緑のクリスマスカラーが映えるベストには雪の結晶の刺繍が施されている。
「そういえばさ、クリスマスカラーには意味があるみたいなこと言いかけてたよね」
スタジオまでの廊下を歩きつつ、玲央は緊張を紛らわせるためにも忘れかけていた話題を引っぱり出した。
「気になる?」訊ねられたのが嬉しかったらしく、柘榴がわくわくと目を細める。「例えば僕らのユニットのカラーでもある赤色なんだけど、これは愛って意味が含まれてるんだって」
「緑は?」
「永遠の命。ちなみにシャツの白色は純潔とか、純粋な心だったかな」
「へー。柘榴先輩詳しいね」
「ふふ、ありがとう。初雪さんこういうのあまり聞いてくれないから」
「聞いてやらなくて悪かったな」
不服そうな初雪に肘で小突かれても柘榴は朗らかに笑っている。それを見ていると自然と肩から力が抜け、玲央は穏やかな心地でスタジオに足を踏み入れた。
だがほんの数秒で息をのむことになった。
生放送はすでに始まっており、スタジオにはセットが組まれている。テレビ越しでしか見たことのなかった照明だとか、テレビには映らない機材だとかを目にする興奮もあったけれど、なによりも驚いたのは別の点だ。
現在パフォーマンスを披露しているのは、軍服風の白い衣装が雄々しくも凛とした二人の男だ。帽子の下から見える髪はそれぞれ金と黒で、特に金髪の男がカメラや観客に向ける挑発的な眼差しは敵を前にした肉食獣に似ている。
一方、黒髪の男はたおやかで落ち着きのある声をメロディーに乗せていた。目元は帽子と前髪で陰になっているためよく見えないけれど、緩やかに弧を描いた唇から、慈愛に満ちた表情を浮かべていると分かった。
「は……」
――
間違いない。初雪がかつて所属していたユニットだ。
はっとして彼の顔を見上げると、あからさまに眉間にしわを寄せていた。その視線は玲央の隣に立つ柘榴に向けられている。
「……おい」とひそめた声は低く冷たい。「なんであいつらがここにいる」
「なんでもなにも、同じ番組に出るんだからいない方がおかしいよ」
「そういうことじゃない! 出番の時間は被らないはずだろ!」
〝ホリデイ〟の出演順は数日前に知らされ、見た限りどうにか遭遇は避けられそうだったのだ。使うスタジオも別のはずだし、タイムスケジュール通りに動けばなにも問題ないと思われていた。
意図的に会おうとしない限りは、だが。
「……柘榴先輩」
「なに?」
まさかわざとこのスタジオに来たのではないか。
言葉にせず視線で訊ねてみたが、察してくれなかったか、もしくは察した上か定かではないけれど、柘榴は先ほどまでと変わらない朗らかさで「ふふ」と笑うだけだ。
薄暗い照明の中で見る笑みは、そこはかとない不気味さを秘めている。
曲は終盤に差しかかり、観客の盛り上がりも最高潮に達した。
いつしか玲央は彼らのステージから目を離せなくなっていた。実力と人気、自信を兼ね備えたユニットの堂々たる歌い方はあまりにまばゆい魅力を放つ。
画面越しでは伝わらない生ならではの迫力と熱量が、現実の憂いや悩みをすべて吹き飛ばして忘れさせてくれる。そんなパフォーマンスだ。
「!」
不意に輝恭と目が合った。帽子の陰になっていてなおぎらつく瞳は、玲央、柘榴と順に見やっていく。
そして最後に、初雪の姿も捉えたはずだ。
余韻を残して曲が終わり、二人はスポットライトの中でポーズを決める。観客はいっせいに賞賛の拍手を送り、照明が消えるや否や、スタジオ内は次のアーティストの出演準備で慌ただしくなった。
「どうだった?」
ひょいと柘榴に顔を覗きこまれ、玲央はステージからはけていく二人を目で追いながら吐息をこぼすように答える。
「す、すごかった」
「でしょ」
「一瞬で引きこまれるっていうか、動画で観るのと全然違う。霹靂神の音楽に没頭しちゃう……じゃないな、したくなる感じ。かっこよかった」
曲自体は決して激しくなく、むしろ琴や
それでもなお感じた強烈さは、輝恭から放たれる圧倒的な気高さが理由か。
離れた場所から見てもぞくぞくと背筋が震えたのだ。息遣いさえ感じる間近にいたらどうなっていただろう。
「ファンの人とか失神してそう」
「過去にはそういう例もあったみたいだよ。最前列の人が興奮しすぎて倒れちゃうとか」
「あったんだ」
冗談のつもりで言ったのに、まさか現実に起こっていたとは。玲央がぽかんと口を開ければ、柘榴はおかしそうに初雪を見る。
「ね、初雪さん」
「……俺に振るな」
「え? 初雪さんもファンの人失神させちゃったことあるの?」
「振るなって言っただろ」
どうやらあると見える。本人は思い出したくない記憶なのか、露骨に眉をひそめていた。
こつ、と靴の音が鼓膜を叩く。引き寄せられるように目を向けると、薄暗い照明の奥からゆらゆらと白い影が近づいてきた。
出番を終えた霹靂神が、玲央たちのそばに迫っていた。
――ど、どうすればいいんだろ。挨拶した方がいい、のかな。
――でもオレが一方的に知ってるだけだから面識ないし。初雪さんは元メンバーだけど仲悪いなら話しかけないと思うし。
――……柘榴先輩はどうなんだろ。
「玲央くん」
肩を軽く揺さぶられ、玲央はいつのまにか柘榴と初雪が一歩下がっていたことに気づいた。このまま突っ立っていては、楽屋に戻るであろう輝恭たちの邪魔になる。二人に倣って慌てて道を開けた。
輝恭はステージ上から間違いなく初雪を見ている。場合によっては一触即発の空気が生まれかねず、手のひらにじっとりと嫌な汗がにじんだ。
だが、輝恭はあっさりと三人の前を通過していった。見向きすらされず、もしや衣装が黒いおかげで暗がりに紛れたのだろうかと玲央は胸を撫で下ろす。
しかし安堵も束の間、ふっとかすかな風を右隣から感じた。
輝恭の後ろを歩いていた菊司に対し、柘榴が音もなく近づいたのだ。
「失礼」と柘榴は彼の袖口に手を伸ばす。「埃がついてましたよ」
「……ああ、ありがとう」
菊司は伏し目がちに礼を言い、小さく会釈してからぱたぱたと輝恭を追ってスタジオから出て行った。
「さて、じゃあ僕らもスタジオに行こうか」
ぱちん、と柘榴が指を鳴らし、玲央は「えっ」と目をまたたく。
「ここじゃないの?」
「うん。僕らはパフォーマンスの前にトークがあるから、いったんメインスタジオに行かなきゃ」
「やっぱりな……」
初雪はぐったりと肩を落としてため息をつく。玲央も予想していた通り、やはり意図的に霹靂神がいるスタジオに連れてきたようだ。
しかしなぜなのか理由が分からなかった。初雪に対する新手の嫌がらせではあるまい。
それに加えて菊司への近づき方も不自然だった。ろくな明るさでもないのに埃が見えたとは思えないからだ。
「急ごう。のんびりしてると遅刻しちゃうからね」
玲央が疑問を抱いていると察知しただろうに、柘榴は脱力したままの初雪の腕を引いて歩き始めてしまう。
――もやもやしてる場合じゃない。意識を切りかえないと。
このままでは初めてのテレビ出演なのに、へまをやらかしかねない。玲央は己の両頬を思いきり摘まみ、疑問を頭の片隅に追いやって柘榴の背中を追いかけた。
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