第5話
帰宅して自室に入るなり、玲央は制服のブレザーも脱がないままベッドに倒れこんだ。考えたいことがあるのに疲労で頭が上手く回らない。くたびれた枕に顔面を押しつけた数秒後には眠ってしまい、気がついたのは三十分後だった。
「お兄ちゃん!」
「うわっ」
耳元で叫ばれ、勢いよく体を起こす。痛む耳を押さえて視線を巡らせると、呆れた様子の妹と目が合った。
「な、なに」
「『なに』じゃないよ。何回も『ご飯出来たよ』って呼んだのに、全然来ないから様子見に来たの」
早く来ないと冷めるよ、と言い残して妹は出て行った。階段を弾むように降りる音を聞きながら、玲央は再びうとうとと目を閉じかける。
数分後、「玲央、なにしてんの!」と今度は母親に呼ばれ、慌てて一階のダイニングに向かった。妹と弟はすでに席に着き、毎日恒例となっているおかずの取り合いをくり広げている。
テーブルの中央には鶏のから揚げの山が築かれていたようだが、二人の手によってすでに半分ほど減っている。この勢いだと、父が仕事から帰ってきた頃には衣の欠片しか残っていないだろう。玲央は妹の隣に腰を下ろし、自分の取り分を小皿に移動させた。
「今日も事務所で歌の練習?」
向かい側に座った母親に訊ねられ、キャベツのサラダを咀嚼しながら首を横に振る。
「今日は打ち合わせみたいな感じ。今度テレビ出ることになったから」
「テレビ!」といち早く反応したのは弟だ。「お兄ちゃんやっとテレビ映るの? なんの番組?」
「言えるわけ無いじゃん」
〝ホリデイ〟の今年の出演者はまだ公表されていない。いくら身内相手とはいえ、詳細を教えてやるわけにはいかなかった。
弟はつまらなそうに唇を尖らせる。そんな顔をされても無理なものは無理だ。一方で妹はそのあたりの事情を察したのか、まあまあと弟を諫めてくれた。
「話せるようになったらすぐに教えてくれると思うし、それまで楽しみにしとこうよ」
「えー、せっかく友だちに『お兄ちゃん今度これに出るんだって』って自慢できそうだったのに」
「ニュースとかで発表してから自慢してよ。情報漏洩で怒られるのオレだし」
「えー」
「隙あり」
「あー!」
妹は中央の大皿からではなく、わざわざ弟の小皿から唐揚げを奪っていった。喧嘩になるだろうになぜわざわざ、と思っていると、勝ち誇ったようにウインクをされる。どうやらこれ以上、玲央があれこれ追及されないように気を遣っての行動だったらしい。
実際、弟は兄のテレビ出演に関してどうでもよくなったのか、おかずの取り合いに専念し始めた。
貸し一つだからね、と目で訴えられ、玲央は軽く肩をすくめる。
「お望みは?」
「柘榴さんか初雪さんの写真が良いなー」
「分かった。撮ってもいいか聞いてみる」
妹は以前からカレンデュラの楽曲を聴いていた。熱心なファンというわけではなかったが、玲央が所属してから積極的に過去のライブ映像やミュージックビデオを見るようになり、さかのぼれる範囲でインタビューなども読んでいる。
最近は柘榴が〝推し〟らしい。ほんわかとした幼さがまだ残る顔立ちに反し、声は低く渋いのがギャップになって良いそうだ。絵や料理が下手なことはまだ知らないが、教えたらどんな反応をするだろう。それもギャップとして受け止めるのか、もしくは驚きすぎて引くか。
――イメージ壊す気しかしないし、うん。知らなくてもいいことだってある、よね。
しゃく、とキャベツを噛んで、視線を手元に落とす。
――オレだって、そうかもしれないけど。
夕食の後片付けはじゃんけんで負けた者と決まっている。今日は弟がストレートで負けた。不満の声をよそに空になった食器を流し台に移動させ、玲央はリビングのソファに深く腰かけた。
いつもならなにかしらバラエティー番組を見るのだが、今日はスマホを目の前に置いた。某動画投稿サイトを開き、検索欄に「
「えーっと、どれだろ……」
精力的に活動しているだけあり、動画もそれなりの量が公開されている。人気があるもの、再生数が多いもの、最近公開されたものなどずらりと並んでいて目移りしてしまうが。
スクロールやページの移動をくり返して、ようやく目当てのものを見つけた。
投稿時期は五年前の五月五日だ。初めて開催したライブの様子を撮影したもので、「
「!」
イヤホンをつけようとした矢先に雷鳴が響いた。体の芯をびりびりと揺らすほどの迫力で、天候の悪化を疑ったものの、予報ではしばらく晴天のマークが続いていた。
はっとしてスマホに意識を戻すと、雅やかな音色でイントロが流れ始めている。先ほどの轟音はイントロの前に流れたものか。正面のステージには照明が灯り、三人の若者が和服をアレンジしたような白い衣装をまとってマイクを持っていた。
客席では黄色いペンライトがいっせいに振られている。光の波に対し、彼らは手を振ったり微笑みで応えた。
――真ん中にいるのがリーダーの磯沢さんかな。
――この時から金髪なんだ。
Aメロに入ると、まず歌い始めたのは輝恭だった。勇ましく堂々とした歌声は少し高い。カメラが向けられると真っすぐに視線をこちらに投げ、勝気な笑みを見せていた。
反対に伏し目がちだったのは向かって右側にいる菊司で、照れくさそうなところに初々しさが感じられる。声は輝恭よりやや低く、しっとりした中に力強さが潜んでいる印象だ。
「……で、これが初雪さんか」
すぐに確信が持てなかったのは、衣装はもちろんのこと、髪型がカレンデュラの時と違うからだ。
初雪は柘榴と反対に、仕事中に限って前髪をすべて後ろに撫でつけている。だが映像の中で歌っている彼は前髪を下ろしているし、長さも現在と違う。それでも声は確かに初雪のそれだ。
「初雪さん、本当に霹靂神だったんだ……」
「なに観てるの?」
テレビをつけようとしたのだろう、妹が玲央の隣に座りながら覗きこんできた。
「これって霹靂神?」
「知ってるの?」
「友だちに磯沢さん好きな子いてさー。カラオケ行くとよく歌ってて、映像も本人のが流れたりするし」
曲はサビに突入し、三人の歌声がきれいに重なった。
重厚感のある和太鼓の音が、会場全体を稲妻のごとく駆ける。客席の興奮はいやまして、輝恭が歌の合間にファンたちを煽ると歓声が上がった。
とてもデビュー一年未満の学生ユニットとは思えない。年齢は今の玲央とそう変わらないなど、とても信じられなかった。
「あ、これ三人いるから初期のやつ?」
「今気づいたんだ。うん、そう。初雪さんがいた頃の」
「抜けたの二年前だっけ。友だちがめっちゃショック受けてたの思い出すなー」
「そういう人多かったの?」
「あたしに聞かれても」
でも、と妹は映像を観ながらぽつぽつと続ける。
「初雪さんを推してた人とかは、びっくりしたし悲しかったんじゃないかなって思うよ」
「友だちの子、は、そうか。磯沢さん好きって言ってたから、あんまりダメージなかった感じ?」
「ショック受けてたって言ったの忘れた? 最推しは磯沢さんだったけど、次に好きなのは初雪さんだったの」
当時はそれなりにニュースになったようで、妹に頼んで検索してもらうといくつか記事が引っかかった。本人は「方向性の違いってやつだ」と言っていたが、とある見出しには「磯沢との不仲が原因か?」と記してあったりもする。
脱退時にはかなり言い合いもしたそうだし、あながち間違っていないのだろう。
似たような記事が並ぶなか、玲央はとある一文を見てぎょっとした。
「『脱退後は芸能界引退を考えているとの情報もあり』……って、え? どういうこと? 初雪さん引退するつもりだった……?」
「これ見る限り、そういうことじゃない?」
「でもカレンデュラにいるのに」
――あれ、そういえば。
打ち合わせの時に、初雪は気になることを呟いていなかったか。
――「だったらなんで、俺をやめさせてくれなかったんだ」って言ってたような。
本人は引退するつもりでいたのに、柘榴に引き止められたのか。
カレンデュラ結成に関しても記事があり、いくつかはコメントの書きこみもある。初雪がアイドルとして復帰したのを歓迎するだけでなく、霹靂神に戻ってほしいという願い、引退したのではと困惑する声など様々だ。
「不仲なあ……これ見た感じだとアイコンタクトとかしっかりしてるし、仲良さそうに見えるのに」
「磯沢さんと嵯峨さんは幼馴染らしいよ。実家も隣同士なんだって」
「それも友だち情報?」
そう、と妹はうなずいて、ローテーブルに置いてあった煎餅に手を伸ばす。唐揚げだけでなく白米も二杯ほど食べていたはずだが、まだ腹に余裕があるのか。よく食べる姿が柘榴と重なる。
「磯沢さんと初雪さんは同じクラスだったらしいから、仲良い時期もあったのかな。嵯峨さんはどうなんだろ」
「さあ? でもユニット組んだくらいなんだし、嫌いではなかったんじゃない?」
初雪が脱退する際に引き止めたりしなかったのだろうか。もしそうだったとしても、昔からの仲であり、かつリーダーである輝恭の判断に従わざるを得なかったのかもしれない。
〝ホリデイ〟では出演時間が被るか分からない、と柘榴は言っていたけれど、果たして顔を合わせずに済むのだろうか。もし遭遇したとしても、お互い大人なのだから表立って衝突はしないと思いたい。
動画はいつの間にか終わっている。玲央は検索結果の画面に戻り、最新の動画をタップした。
清涼飲料水のCMソングに使用された曲で、雨粒や波紋をイメージしたと思しき照明が涼やかだ。当然ながら初雪の姿はなく、先ほど見たライブ映像に比べて歌も曲調も大人っぽい落ち着きがある。
――もし。もしも。
動画の中の菊司が、こちらに向かって手を差し伸べる。前髪に覆われていてほとんど見えないが、かすかに見える瞳はなにかを求めるような、訴えるような光を浮かべていた。
――もし磯沢さんや嵯峨さんに「霹靂神に戻ってこい」って言われたら、初雪さんはどうするのかな。
訊ねたらどんな答えが返ってくるだろう。一抹の不安が胸をよぎり、玲央は少しだけ下唇を噛んだ。
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