第12話
オーディション会場は都内の貸しスタジオだった。五階建てのビルで階数ごとにオフィスや教室などシチュエーションの異なる場面が用意され、後日の撮影もここで行われるという。
玲央は学校の制服に身を包み、大蔓とともに受付で自身の名前と所属事務所、ここに来た目的を告げた。なるべくはっきり発音したつもりだが、緊張で全身がこわばり震えた気がする。
「では三階に設けてあります控室でお待ちください。順番が来ましたら同じ階の面接室までお越しください」
「分かりました。ありがとうございます」
会釈して背を向けても気を抜けない。会場に来た時点で審査は始まっているのだ。一挙手一投足をつぶさに観察され、役にふさわしい人材か見極められる。階段を上り始めたところでようやく周囲の目が無くなり、少しだけ肩の力を抜けた。
「はー、緊張した……」
「本番はまだこれからですよ。ほら、背中を曲げてはいけません。ステージに立つ時のように、堂々と胸を張ってください」
「それとこれとは別じゃないですか」
ステージ上なら自分以外に人がいるし、客席の人が多すぎて逆に視線は気にならない。
だがオーディションでは玲央一人が長時間じっくりと見られることになる。それも好意的な眼差しであるとは限らず、考えただけでも全身から汗が吹き出しそうだ。
だが大蔓の言う通り、本番はこれからだ。控室に入ってすらいないのにへこたれるなど、試合の前から負けるようなものだ。
「……よし」
三階の床を力強く踏みしめ、玲央は控室と紙が貼られた部屋の扉をノックして静かに入った。
学校の教室程度の広さの室内には、すでに他の参加者が十五人ほどいた。きっちりとしたスーツを纏うのは大蔓と同じくタレントのマネージャーだろう。誰もが付き添いを伴っているわけではないようで、服装だけで察するに同じオーディションを受けるのは玲央を含めて九人と思われる。
年齢層は十代から三十代と様々だが、性別は全員男だ。役柄をイメージしたであろう衣装を思い思いに着て、ある者は台本を何度も読み返し、ある者はパイプ椅子に腰かけてじっと本番を待っていた。
「……なんか、結構ぴりついてます?」
他の参加者の集中を妨げないよう、玲央は大隅の耳元で声をひそめた。
「会場なんてどこもこんな雰囲気ですよ。和気藹々としている方が珍しいかと。知り合いがいたら会話を楽しんだりもするでしょうが、だいたい見えない火花が散っているものです」
「そっか。全員がライバルですもんね」
役が一つしかない以上、選ばれるのも一人しかいない。ふさわしいと判断されなければ容赦なく振り落とされるのだ。玲央のように今回が初めてという誰かもいれば、このチャンスに全てを賭ける誰かだって存在する。
そう考えれば、確かに穏やかな空気が流れるわけもない。
玲央のあとから参加者は増えず、程なくして迎えに来たスタッフとともに一人目が部屋を出て行った。
面接時間は十分程度と受付で聞かされた。玲央の番はおよそ一時間半後か。
突っ立ったままでは疲れそうで、かと言ってうろついては迷惑になる。玲央は近くにあったパイプ椅子に腰かけ、台本を頭の中で反芻した。
「役と台詞はしっかり覚えていますか」
「大丈夫です。何回も練習したし、その通りにやれば噛まないと思います。練習に付き合ってくださってありがとうございました」
「いえ。お力になれたのなら良かったです」
「でも柘榴先輩にバレそうになった時は、ちょっと冷や冷やしましたね」
オーディションの練習はだいたい事務所の会議室で行っていた。本来の打ち合わせより早めに入り、大蔓に練習を見てもらったのだが、予定より早く柘榴が来てしまったことがあったのだ。
危うくサプライズ計画が崩れ去るところだったけれど、柘榴は「あれ、今日は二人とも早いんだね」と珍しがっただけで、幸いバレずに済んだ。
「柘榴先輩もたまにオーディション受けてますよね。ドラマとか出たことあるんですか?」
「千両さんはソロの頃にミュージカルに何度か出演してますよ。アンサンブルの一人として出ることがほとんどで、カレンデュラを結成してからは一度だけ役名をもらったことがありましたかね」
「そうなんだ、知りませんでした」
「小さい劇場で、短期間だけやった作品でしたから」
「初雪さんは? 演技してるイメージありませんけど」
「霹靂神だった頃も、カレンデュラになってからもありませんね」
一度だけオーディションの話を持ちかけたことがあるそうだが、自分には向いていないからと断られたそうだ。しかし柘榴に連れられてミュージカルを観に行ったときには演出に興味を示したそうで、最近は人知れずその方面の勉強をしているそうだ。
「人知れずっていう割に大蔓さん思いっきり気づいてるじゃないですか」
「分かりやすいもので」
「あれ、でも初雪さん、この前は雑誌のコラムも書いてたような」
「女性向けのファッション誌で不定期に執筆してるんですよ。内容としては街ブラが多めですね」
読みやすい文章は読者に好評で、最近になって毎月連載化の話も持ち上がったという。
柘榴も初雪も、それぞれアイドルだけでなくモデルや役者など己の活躍の幅を広げている。果たして自分も二人のようになれるだろうか。
そのための第一歩が今日のオーディションなのだ。気合を入れ直すように、玲央は手の甲の皮膚を思いきりつねった。
「なあ」頭上から声が降ってきたのはその時だ。「あんたってカレンデュラの谷萩玲央?」
顔をあげると、目の前に若い男が立っていた。歳は玲央とそう変わらないだろうか。マッシュヘアには清潔感があるが、目がじとりと細められているために好意的な雰囲気を感じられない。
大蔓の視線が「知り合いか」と訊ねてくるが、見覚えのない人物だ。玲央は男の問いに「そう、ですけど」と答えつつ、大蔓には首を横に振った。
「なんでここにいるんだよ」
「オーディションを受けに来たからですけど……あの、失礼ですが、どこかでお会いしたことありますか」
「まあ知るわけないよな」
男は自嘲的に笑い、近くにあったパイプ椅子をそばまで引きずってくると乱暴に腰かける。
「あんたと事務所は違うけど、俺も何回かカレンデュラの後ろで踊ったことあるんだよ」
「そうなんですか」
珍しい話でもなく、玲央はすんなりとうなずいた。
バックダンサーは入れ替わりが激しく、同じダンス教室に通っていた面々であっても常に出演していたメンバーは少ない。玲央も毎公演出ていたわけではないし、彼に見覚えが無くてもおかしくなかった。
「実は俺もアイドル目指してた時期があってさ。ダンサーしながらアピールすれば、誰かの目に留まるんじゃないかって頑張ってたこともある」
「へえ……」
「ま、結局無理だったけど。ダンサーの仕事が少なくなってからは、細々俳優の仕事してんだ」
やれやれと言いたげに男は肩をすくめる。いまいちなにを言おうとしているか分からず、玲央は軽く首を傾げた。
「なあ、あんたどうやったんだ?」
「……はい?」
「どうやって千両と丹和に取り入ったのかって聞いてんだよ」
言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
――取り入る? オレが? 柘榴先輩と初雪さんに?
玲央が困惑しているにも拘らず、男は忌々し気に笑いながら続けた。
「特に目立ってたわけでもないダンサーの一人が、ある日いきなり千両と丹和に気に入られてアイドルデビューする、ねぇ。そんな上手い話あるなんてな」
「別にオレ、取り入ってなんか」
「俺みたいに夢破れた奴がどれだけいると思う? あんたはそんなの味わわずに、あっさり人気ユニットの新メンバーとしてデビューしてる。すげえよ、どんだけ媚び売ったらそんなこと出来るんだ? 今日もそうやって役を掴み取るのかよ」
「っ……!」
頭にかっと血が上り、感情に任せて勢いよく立ち上がる。挑発に乗ったのを喜ぶように男はにやにやと口の端を吊り上げ、大蔓もなにかしら苦言を呈しかけていた。
だが玲央が冷静さを取り戻すのが先だった。
ここはオーディション会場だ。他の参加者もいるなかで揉め事は起こせない。事務所や柘榴たちに迷惑をかけないよう、長く細く息を吐いて、必死に気分を鎮めた。ゆるゆると椅子に座り直せば、男は面白くなさそうに鼻を鳴らす。
「媚びなんて売ってません。取り入ってもいません」
玲央は太ももに拳を置き、男の目を見てきっぱりと告げた。
「オレは運よく初雪さんにダンスを気に入ってもらえて、それをきっかけにデビュー出来たんです。二人に見つけてもらえなかったら間違いなく今とは違う道を歩んでいたでしょうし、この会場にだっていません」
「気に入ってもらえた、か。才能のある奴は違うね」
「柘榴先輩や初雪さんに比べたら、オレなんてまだまだです。比べ物にならない」
「そうやって『僕は謙虚ですぅ』って顔して近づいて、気に入られたんだろ?」
「だから違うって言ってッ……!」
「お、悪いな。俺の番が回ってきたみたいだわ」
んじゃな、と男は颯爽と立ち上がり、部屋から出て行った。
二人の言い合いを聞いていたであろう参加者たちは、一様に玲央から目をそらす。入室した時とはまた異なる冷ややかな空気は居心地が悪く、ため息をついて顔を覆った。
「よく我慢しましたね」
淡々とした口調で労って、大蔓が軽く肩を叩いてくる。倦怠感を覚えながら顔をあげると、彼の目尻が苛立たし気に吊り上がっていた。普段ほとんど感情の変化が見られないのに今日はずいぶん分かりやすい。それだけ立腹しているのだろう。
「すみませんでした」
「谷萩さんは悪くありませんよ。立ち上がった時は殴るのではと焦りましたが、よく堪えました」
「……さっきの人、なんだったんですか? ほぼ初対面なのにいきなりあんな……」
「ライバルを蹴落とすための作戦だったのかもしれません」
意図的に揺さぶりをかけられれば集中力を削がれ、思うような演技が出来なくなる。経験の浅い役者なら効果が出やすいだろうし、結果的にオーディションから落ちる可能性が上がる。
騒動を目の当たりにした他の参加者たちも、狭い室内でのやり取りを完全に無視はできない。不愉快な気分を抱えたまま演技をして思うようなパフォーマンスが出来なければ、男が役を獲得するチャンスはどんどん高まる。
「つまり彼がバックダンサーをしていた、というのも口から出まかせかもしれません」
「でもオレの名前知ってたじゃないですか。オレはあの人の名前知らないのに」
「ホリデイで紹介されていたのはどこの誰でしょう」
「……あ」
「谷萩さんの名前と、過去にバックダンサーをしていたという情報だけなら、あの番組から読み取れます。彼はそれをたまたま覚えていたのでは。だから谷萩さんに目をつけ、揺さぶるターゲットに定めた。それだけのことです」
オーディションが終わったあとは控室に戻らず、真っすぐ帰宅して構わない。男もここに来ることはないだろう。
初雪に対する敵意なら輝恭から感じたことがあるが、自分に対する悪意を真っ向から受け止めたのは初めてだ。思い出すだけで苛立つだけでなく、恐怖も心の奥に刻まれた。
「でも切りかえないと」
動揺したままでは男の思うつぼだ。玲央は意識的に唇に強気な笑みを乗せ、ぎゅうっと頬を両側から引っ張った。
「練習通りに、やれるだけのことをやります。嫌がらせなんかに負けません」
少しでも柘榴や初雪に近づくために。
大蔓は空元気を懸念している様子だったが、やがて「その意気です」と眦から力を抜いて玲央の背中を撫でてくれた。
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