第3話
「〝ホーリーミュージックデイ〟?」
机の上に置かれた資料を引き寄せ、玲央は対面に座る柘榴を見た。彼の手元には事務所に来るまでに購入したと思しきクロワッサンが積まれている。焼き立ての香ばしいにおいが会議室の空調に乗ってただよい、鼻孔をいたずらにくすぐった。
「一ヵ月後のクリスマスに放送される音楽特番だよ。そのままだと長いから、たいてい略して〝ホリデイ〟って呼ばれてるね」
「それただの〝休日〟って意味にならない? あ、あとクロワッサン一個ちょうだい」
「いいよー。プレーンとチョコとあるけど、どっちがいい?」
「チョコ」
受け取ってさっそく齧れば、ほどよく溶けたチョコのほろ苦さと、バターの甘じょっぱさが舌いっぱいに広がった。これは確かに次々と口に運びたくなる。
「初雪さんも食べる?」
「じゃあ一つ」
玲央の左に座る初雪も食欲を誘う芳香に負けたらしい。どことなく悔しそうにプレーン味を受け取っていた。
「話進めるね。〝ホリデイ〟は三時間の生放送で毎年やってるんだけど、玲央くんは出たことある?」
「無いかも」
アイドルとしては当然だが、バックダンサーとしても出演した覚えがない。
放送予定時間は夜七時からで、これも毎年変わらないそうだ。ちょうど夕食時だし、今までに一度くらいは自宅で観たことがあるかも知れなかった。
「柘榴先輩たちは?」
「去年声はかけてもらったんだけど、諸事情で見送っちゃったんだ。一昨年はそもそも結成前だし、僕はソロとしても出たことないよ」
「そうなんだ」
結成して一年未満なのに声がかかるということは注目度が高かったはずだし、他のライブや番組からも出演依頼が来ていたのだろう。どれを優先すべきか熟慮して、去年は出演を断ったとみえる。
今度はプレーン味のクロワッサンを貰って頬張っていると、初雪が小さく吹き出した。
「なに?」
「いや、もうすっかり馴染んだなと思って」
カレンデュラに加入してから早二ヵ月が経ち、玲央は着実に柘榴たちとの距離を縮めた。
メンバーなんだから気を遣わなくていいと言われてからは敬語を止め、柘榴のことは相変わらず「先輩」と呼んでいる。最近はレコーディングに向けて二人から歌唱の指導も受けており、アイドルとしての道を少しずつ歩んでいた。
「そうだ、僕この前玲央くんにご飯作ってもらったんだよ」
「は? なんで」
「作ったって言うか、ほとんど夕飯の残り物を弁当に詰めこんだやつだけど」
いちいち購買に足を運んでいては時間がもったいないし出費もかさむため、玲央は高校に弁当を持参している。柘榴にそう話したところ、「いいなあ、僕も玲央くんのお弁当食べたいなあ」と羨ましがられたのだ。
「きんぴらごぼうがピリ辛で美味しかったよ。レンコンとニンジンの煮物も最高だった。卵焼きも半熟部分があって、定食屋さんで食べるのと変わらないくらい美味しくて。また食べてみたいな」
「喜んでもらえるなら別にいいけどさ、ただの弁当だよ。今まで作ってもらったりしなかったの?」
「両親が作ってくれたこともあったよ。でも二人ともあんまり料理が得意じゃなくて、作るのに時間がかかっちゃうから最終的にお金渡されて、購買とかコンビニで買う方が多かったんだよね」
「そうなんだ。自分で作ったりもしてないの?」
「こいつには無理だぞ」
初雪は苦笑するとスマホを取り出し、なにやら写真を見せてきた。
白く丸い皿には得体のしれない黒い物体が鎮座している。これはなにかと視線で問えば、信じられない答えが返ってきた。
「柘榴が作ったパンケーキ」
「…………どこが? 丸くも平たくも無いんだけど」
「どれ見せたの? あー、それか。初めて作ったからちょっと失敗しちゃったんだ」
「ちょっと? だいぶの間違いじゃなくて?」
パンケーキならばこんがりきつね色をしているはずだが、どこにもその片鱗が無い。こんもりと盛り上がった姿は岩か木炭に見える。火加減を誤ってしまったのか。
他にも色々と料理の写真を見せてもらったけれど、どれも見た目は炭と大差ない。
「……もしかして柘榴先輩って、料理ド下手?」
「下手だ」と初雪がすかさずうなずく。「俺もあまり自炊しないから人のことをとやかく言えないが、柘榴は下手とか不器用とかのレベルじゃない」
「才能が無いんだよね」
ふふ、とあっけらかんと笑って、柘榴はクロワッサンを優雅に咀嚼していた。ニ十個はあったはずのそれは、きれいさっぱり消えている。
「頑張ろうとした時期はあったけど、食材がもったいなくて潔くやめちゃった」
「ダンスと歌は得意だけど、そっちの才能はゼロだったんだね」
「そういうこと。伸ばせる才能なら伸ばしたけど、料理は伸ばせる分野じゃないって判断したから」
「……だったら……」
初雪がなにかぽつりと呟く。掠れた声はあまりに小さくて、隣にいる玲央にしか聞こえていないようだ。
「だったらなんで、俺をやめさせてくれなかったんだ」
「……初雪さん?」
どういう意味だろう。玲央が首を傾げると、聞かれていたと気づいたのか、初雪は「なんでもない」と曖昧に笑った。
――はぐらかされた、よね。
「えーと、なんの話してたんだっけ」
「〝ホリデイ〟の件だろ。毎年やってるが、去年は出てないってところから進んでない」
「そうだった。資料がある時点で二人ともなんとなく予想ついてると思うけど、今年は出ることにしたんだ。三人体制になってから初めての公の場だしね」
「あ、もしかしてここの局って、先月くらいに音楽番組の見学に行かせてもらったとこ?」
そうそう、と柘榴と初雪がそろって答える。
バックダンサーとして番組に出演経験はあっても、それを観る側としてスタジオに入ったことはほとんどなかった。それを知ったマネージャーの計らいで、柘榴たちとともに事務所の先輩ユニットの番組収録を見学したのだ。
〝ホリデイ〟の放送局は、その際に訪れた場所と同じだった。収録スタジオは違うかもしれないが、まったく知らない場所に行くよりかいくぶん気が楽である。
「というか、お前はまた俺たちになんの相談もなく出演を決めたんだな……どうせマネージャーから話を持ってこられた時点で即答したんだろ」
「だってリーダーだし」
どこに問題があるのかと心底不思議そうに柘榴が目をまたたく。返す言葉が思いつかなかったのか、初雪はため息だけこぼしていた。
「なんの曲やるかも決めてあるの?」
「玲央くんが絶賛練習中の新曲。CDの発売時期も番組出演の前後になるよう調整するってマネージャーさんが言ってた」
カレンデュラはこれまで積極的に楽曲を発表してきたが、いずれも柘榴と初雪が二人で歌う前提の下で作られてきた。要するに玲央のパートがないのだ。そのため玲央が練習しているのは完全な新曲で、それ以外は歌えないのだ。ダンスも同様に、バックダンサーとして踊るならともかく、彼らと並んでの振り付けはまだ考案が追いついていない。
だから新曲を披露すると教えられて安堵した。しかし次の瞬間には緊張と興奮が全身を巡り、「おあぁ」と言葉にならない声を漏らしながら頭を抱えた。
「なんか、こう、いよいよカレンデュラに加わったんだなあって実感が……」
「衣装は撮影でもう何回も着たのに?」
「だってそれはあくまで写真撮影だったじゃんか! ファンっていうか、お客さんたちの前で歌ったりするのはこれが初めてでしょ。しかも生放送だし、絶対に失敗できないし!」
なにより気にかかるのは、カレンデュラのファンの反応を身近で感じるであろう点だ。
なんの前触れもなくバックダンサーの少年が正式メンバーとして加わったのだ。柘榴と初雪を応援してきた人たちの中には、玲央の加入を好ましく思っていない誰かがいる、というのはあり得ない話ではない。
当日スタジオでスポットライトを浴びた時、そんな雰囲気が漂っていると察してしまったら。恐怖で足が竦んで動けなくなってしまったら。悪い予想ばかり次々に浮かんでは消えていく。
「大丈夫だ」
とん、と肩に温かな感触が乗った。初雪の大きな手のひらが、落ち着かせるように優しく撫でてくれる。
「いざお前の歌声を聞いてダンスを観たら、誰だって『玲央がカレンデュラに入って良かった』って感じるはずだ」
「……そう、かな」
「ああ。俺が保証する」
頼もしくほほ笑みながら、初雪は玲央の眉間を指先でぐりぐりと押してくる。無意識のうちに深いしわを刻んでいたようだ。
「ちょっと安心した。ありがとう、初雪さん」
「どういたしまして」
「けどやっぱり緊張はすると思う……。お客さんだけじゃなくて、いわゆる大御所みたいなさ。そういうアーティストの人だっていたりするよね」
「資料に出演者一覧も載ってるよ」
手元に置いてあるそれを見るよう柘榴から指示され。玲央は番組ロゴだけが書かれていた表紙をぺらりとめくった。次のページにはユニット名、そこに所属するタレント名が記されている。
ざっと目を通してみると、知っているユニットが半分、そうでないユニットが半分といったところか。芸歴三十年を超す大物から、玲央のような新人まで幅広く出演するようだ。
くり返し一覧を目で追う中で、気になるユニットに目をとめる。
「ねえ、これなんて読むの?」
玲央は一部分を指さしながら、柘榴と初雪に問いかけた。
そこには〝霹靂神〟と、やけに仰々しいユニット名が記されている。
「最初の二文字って『青天の霹靂』のヘキレキだよね。そのまま〝へきれきかみ〟って読んだらいいの?」
「ああ、それは……」
「――〝はたたがみ〟だ」
柘榴がなにか言いかけたのを遮って、初雪が答えてくれる。
「へえ、そんな風に読むんだ。ありが、」
ありがとう、と礼を言いきる前に、玲央は口をつぐんだ。
初雪が腕を組み、柘榴を鋭い眼差しで睨みつけていたからだ。
「どういうことだ」
「なにが?」
「すっとぼけるんじゃない」
声からは静かな怒りが漂っている。玲央がぎょっとしたのに対して柘榴に動じた様子はなく、それどころか薄く笑みさえ浮かべていた。
「は、初雪さん。急にどうしたの」
「……そういえば言ってなかったな」
初雪は柘榴に視線を据えたまま、ぎしりとパイプ椅子にもたれかかる。
「諸事情があってな。俺は
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