第2話

 人気ユニットに現役高校生が途中加入するという知らせは、一瞬だけ盛り上がってすぐにネットニュースの波に埋もれた。それもそうだろう。人気があるとはいえ、老若男女どの世代にも知名度がある国民的ユニットではないのだ。興味が無い人々の目には留まりさえしない。

 だから学校でもそれほど話題にならないと高をくくっていたのだが。

「お疲れさま、玲央くん」

 校門を出たところで声をかけられ、玲央は俯けていた顔をはっと上げた。門柱にもたれかかり、手をひらひら振っていたのは柘榴だ。そうと気づくのに時間がかかったのは、普段は隠しているはずの前髪が後ろに流れていたためだ。

「お疲れさまです、柘榴さん。今日は髪型違うんですね」

「一種の変装だよ。プライベートでは変えてるんだ」

「あれ、でも初めて会った時は下ろしてましたよね?」

「初対面だったからね。玲央くんが知ってるのは仕事中の僕だろうし、その方が話もスムーズかなと思って。実際、今の僕見てすぐに誰か分からなかったでしょ?」

 服もシンプルでゆったりとしたサイズの白いシャツに、すっきりとしたラインの黒いパンツを組み合わせており、黒と赤を基調としたステージ衣装とはまるで印象が違う。そのおかげか、続々と校門から出て行く生徒たちは柘榴が芸能人だと思いもしないらしく、見向きもせず通り過ぎていた。

 今日はこれからステージ衣装を着て写真を撮る予定だ。撮影スタジオに向かう前に事務所に集合すると聞いていたが、わざわざ彼は迎えに来てくれたのだろう。

「でもオレ、事務所の場所もう覚えてますよ。契約しに行ったりしましたし」

「迎えに来たのは僕が玲央くんと話したかったからだよ。ファミレスで喋ってから、インタビューとか僕の仕事が立てこんでたりして、あんまり時間取れなかったしね」

 行こうか、と柘榴は音もなく歩きだす。隣に並んでいいものか逡巡して、玲央は一歩後ろをついて歩くことにした。

「玲央くんも急にバタバタし始めて疲れてない? ちゃんと睡眠時間取れてる? 顔色がちょっと悪いように見えたから」

「そ、そんなにですか」

 毎日三食きっちり取っているし、睡眠も最低六時間は取っている。そのうえで顔色が悪いと思われるならば、原因は一つしかない。

「あー……仕事では疲れてないんですけど、学校でヘロヘロになるっていうか……」

「そんなに授業きついの?」

「いや、休み時間とかに取り囲まれるんです」

 玲央の予想に反して、休み時間や放課後になると主に同級生の女子たちが寄ってきたのだ。なぜアイドルになろうと思ったのか、柘榴や初雪とはどんな会話をするのか、もっと有名になる前に今のうちにサインが欲しいなど、ありとあらゆる質問や要望をされた。

 ニュースが出た直後に比べれば落ち着いたけれど、一週間経ってもまだ聞きに来る生徒はいる。受け流せたら楽なのだろうが、あいにく今の玲央にそんな器用さはない。

「人の噂も七十五日っていうからね。適当に誤魔化すことも大切だよ」

「ですね。あっ、でも質問ばっかりじゃないんですよ。仲良い友だちとか、部活の先輩とか後輩はデビューおめでとうってお菓子くれたりしました」

「良かったね。部活はなに入ってるの?」

「陸上部です。走るのが好きなので」

 もとは体力作りを目的に入部したのだが、いつのまにかどこまでも遠く、速く走るのが快感になっていた。走り高跳びも得意である。

「柘榴さんは部活なに入ってたんですか?」

「昔から絵描くのが好きだったから、中学も高校も美術部だったよ。そういえば美術の吉野先生は元気?」

「どうでしょう、オレは美術を選択してないので……っていうか、柘榴さんもしかしてここの高校出身なんですか」

「うん。言ってなかったっけ?」

 柘榴は玲央と三つ離れており、今年で二十歳だそうだ。モデルとして活動し始めたのは高校三年生の頃らしいが、当時は表紙を飾ることがほぼなく、頻繁に掲載されていたわけではなかったため、玲央のように同級生から取り囲まれた経験はないらしい。

「そうだ」と柘榴がパチンと指を鳴らす。「ちょっと僕のこと〝先輩〟って呼んでみて」

「ざ、柘榴……先輩?」

「ふふ、良い響きだね。せっかくだし、これからそう呼んでよ」

「構いませんけど、部活で呼ばれなかったんですか?」

「部員がそんなに居なかったんだ。僕の一つ下はゼロだったし、呼ばれる機会があんまり無くて。ちなみに初雪さんは茶道部だったらしいよ」

「へー。あんまりイメージ無いです」

 カレンデュラは洋風なユニットだし、和の印象が強い茶道部とはあまり結びつかない。意外な一面を知ってばかりだと思いながら、玲央は思い切って隣に並び、柘榴の横顔を見上げた。

 ――ただのバックダンサーだったら、こうやって気楽に話せたりしなかったかも。

 先輩と呼ばれた瞬間の彼はとても嬉しそうで、その笑みは無邪気な少年のようだった。仕事中はシックな雰囲気で大人びて見えるぶんギャップが感じられる。

「でも僕も気になるなあ」

「なにがですか?」

「アイドルになろうと思った理由」

「それに関しては誘われたからですけど」

 柘榴たちに勧誘されなければ、玲央は変わらずダンス教室に通い、バックダンサーとして経験を積んでいただろう。しかしその後について明確な将来計画があったわけではなく、場合によっては大学へ進学してからか、就職を機にダンスを辞めていたかもしれない。

 技術を求めてもらえるのなら、それに応えたかった。二人の素顔を間近で見る他の理由としてはそれが大きい。

「柘榴先輩は? どうしてアイドルになったんですか」

「そんなに大した理由じゃないよ。才能があると思ったから。それだけ」

 とんっと軽くスキップを踏むように一歩前へ跳びだし、柘榴は優雅に振り返る。

 口調から自慢の響きは感じない。淡々と事実だけを告げているのだろう。

「人は誰だってなにかしら才能を持ってると僕は思うんだ。僕の場合は、歌って踊れる才能を持ってた。それを活かすにはなにがいいか考えて、アイドルが一番いいなって思ったからなった」

 なろうと思っても簡単になれるものではないはずだ。世の中には夢破れた者だっているに違いない。その点、柘榴は己の希望を叶えている。

 ――それも一つの才能なんだろうな。

 玲央がそう考えたところで、「でも」と言葉が継がれた。

「多分ソロで続けてたら今みたいになってなかったかも。オーディションで事務所に入ったんだけど、デビューしたての頃はアイドルよりモデルとして活動してばっかりだったし、CDだって全然売れなかった」

「ソロ? 最初から初雪さんと組んでたんじゃないんですね」

「去年の三月だからちょうど一年半くらい前かな。初雪さんがふらふらしてたから僕が声かけて、カレンデュラを結成したんだよ」

 結成時期はなんとなく知っていたが、経緯は初耳だった。

 しかし「ふらふらしてた」とはどういう意味だろう。柘榴と同様に、初雪もソロ期間があったということだろうか。

 玲央の表情から疑問を感じ取ったのか、柘榴がくすくすと肩を揺らす。

「さては僕たちのことよく知らないね?」

「すみません! 興味が無いとかじゃないんですけど、えっと」

「謝らなくていいよ。僕たちだって玲央くんを詳細に知ってるわけじゃないんだし、お互いにこれから少しずつ知っていこう」

 そのためにこうして話しながら歩いてるんだから、と彼は玲央の肩を軽く叩いてくる。怒っている風でもなさそうで、安堵の吐息が無意識にこぼれた。

 その後は好きな食べ物や動物など、他愛ない話を交わしながら事務所に向かった。途中で電車に乗ったりもしたが、髪型が違う効果か、ほとんど気づかれる様子がなくて驚いたものだ。

 事務所にはすでに初雪がついているらしい。柘榴の提案によりコンビニでいくつかスナック菓子や肉まんを調達したのだが、到着早々、会議室で待ちくたびれていた初雪に目を眇められた。

「また余計な買い物してきたのか」

「余計じゃないよ。小腹が空いてたからちょっとおやつ買っただけ」

「肉まん五個とポテチ六袋を世間一般では〝ちょっと〟とは言わない」

 しかし柘榴に反省の様子はなく、注意も右から左に聞き流している。初雪もそれ以上の小言は収め、呆れたようにため息をついていた。似たようなやり取りを何度もくり返してきたのだろう。

 玲央は初雪の隣に腰を下ろし、あれ、と首を傾げた。

「前髪にメッシュなんて入ってましたっけ」

 彼の髪は艶のある黒だったはずだが、前髪が二か所だけ橙色に染まっている。これか、と初雪はそれを指先で摘まんだ。

「美容師の姉に遊ばれた」

「遊ばれ……?」

「正確に言えば練習台だな」と初雪は眉を寄せて苦笑する。「止めろと言ったけど聞く耳を持ってもらえなくて」

「で、戻すのも面倒くさくてそのままなの?」

「時間が無くて戻せなかったんだ」

 だがこれから予定されている撮影は玲央単体ではなく、三人で揃って写るものもある。今日だけメッシュが入っているというも違和感があるだろうし、メイクの際に頼めば、メッシュの部分だけ一時的に黒く染めてもらえるかもしれない。

「でもお洒落でかっこいいと思いますよ。そのままでもいい気がするのに」

「ありがとう。けど明日か明後日には染め直すよ」

「なんかちょっともったいないですね」

「じゃあさ。僕と玲央くんも染めようよ」

「え?」

「は?」

 なにを言い出したのか分からず、玲央と初雪の困惑が声となって響いた。柘榴はもぐもぐと笑顔で肉まんを頬張り、二人が戸惑っている間に三つも平らげる。

「良くない? 初雪さんに合わせてメッシュ入れるの。同じ色だと面白くないし、僕は紅色で玲央くんはピンクとかどうかな」

「え、えっと」

「今から染めると撮影に間に合わないかな。代わりにエクステで対応しようか。うん、じゃあ早速マネージャーさんに連絡を」

「待て待て!」

 柘榴はスマホを取り出し、素早く画面を操作する。初雪は椅子を蹴り倒さんばかりの勢いで立ち上がると、慌てて彼の手首を掴んでいた。

「なんでお前と玲央まで染めるんだ!」

「えー、だってちょうどいいから」

「なにが」

「一部だけ染めるってちょっとした変化だけど、〝新生カレンデュラ〟って感じがしそうでしょ。ね、玲央くん」

「そ、そう、ですね……?」

 勢いに押されて疑問形ながら同意してしまう。新生と謳うのならいっそのこと衣装を大幅に変えるくらいしても良さそうだが、うっかり口にすれば採用されかねない。

「と、いうわけで」

 さっとスマホを初雪に見せつけ、柘榴がにっこりと微笑んだ。玲央も近づいて画面を覗くと、マネージャー宛に「紅色とピンク色のメッシュを二本ずつ調達してください」とメッセージを送信してある。話をしているすきに打ちこんだらしい。

「じゃあ撮影スタジオに移動しようか。ふふ、楽しみだね」

 呆然と立ち尽くす初雪に背を向けて、柘榴は残りの肉まんを胃に収めてからうきうきと歩き出す。

 ――もしかして、ふらふらしてた初雪さんに声をかけた時もこんな感じの勢いだったとか?

 先ほどまでは想像がつかなかったのに、今はなんとなく予想できる。大変だったのだろうなと思いながら、玲央は「お疲れさまです」と初雪を労うことしか出来なかった。

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