第2場

 ガチャガチャっと音が鳴ると、体育着姿の蒼が稽古場に入ってきた。


 部屋の中を見回し、誰もいないのことを確認すると立ち止まる。


「現在の時刻十五時四十六分十三秒。ホームルーム開始時刻は十五時三十分なので約十六分経過」


 蒼は無機質な声を出した後、微動だにしなかった。


 十数秒経つと少し乱暴にドアが開き、焦った様子の愛海が入って来た。


「蒼くん! ゴメン遅れた!」


「いえ、自分も今来たばかりです。あ、あの……」


 蒼はどうやら昨日やった台本のセリフを全て覚えて来たようだ。そのことを愛海に伝えると驚かれる。


「門田役って序盤は少ないけど後半は自分の思いを伝えるのが多いからセリフ量多かったよね! あの量をたった一晩で……。ねぇ、どうやって覚えたの? 紙に殴り書きするとか? それとも音読とか黙読? 実際に動きながら読んでみるとか!?」


「あ、あの、愛海さん。優里さんと恵くんは?」


「あぁ、ごめん」


 愛海によると、優里と恵は掃除当番だから遅れるらしい。


 二人が来るまで準備して待ってることにした。


 数分後、ちょうど机や椅子などの『舞台装置』なるものを設置し終えたタイミングで掃除当番だった二人が慌ただしく入ってきた。


 二人は急いで荷物を置き、中から台本を取り出す。


「昨日ダメ出し出来なかったし、今日はまずダメ出ししよう」


 『ダメ出し』とは、一般的に演出の人が演者に対して「こうして欲しい」と指示を出す、ダメを出すことである。


 この部は蒼が入り四人となったが、演出を誰かに任せるほど余裕はない。


「ダメ出しって、どうするのですか? 日をまたいだので皆さん昨日のことを鮮明には覚えていないと思うのですが」


「そう言えば言ってなかったね。実は芝居してるときはスマホで撮影してたんだ。だからその撮った動画を見て改善点挙げようと思って」


 四人は愛海の小さなスマホ画面に流れる動画に集中する。


「う〜ん、蒼くん以外は座っちゃってるから動きが少ないなぁ」


「しょうがないんじゃないか?」


「だけど演劇としては動きあった方が良くない? たぶん私この劇見せられても飽きちゃうよ」


「そりゃそうだけどよ」


「あ、ここ。蒼くんと優里場所被ってるね」


 スマホの画面に映っている蒼と優里を指す。愛海は立ち上がると、「こういうときは無理に近づかなくてもこう、逆に離れてみてもいいと思うよ」と実際に動いてみせた。


「蒼たしか最後笑わないといけないはずだ」


 思っている以上に表情や目の動きなどは観客に見える。それらは人の心を表しているため気をつけなければならない。


「大会に出るのも決まったんだし、本格的に芝居で表情をつくる練習をしないとな」


「分かり、ました……」


 蒼は俯いた。


「もしかして、表情をつくるの苦手? 作り笑いとか」


「はい……。苦手というより『出来ない』です」


「こう、なんていうか、嬉しいときを思い出すと良いんじゃない?」


 演者が笑ったり泣いたりするときは、その気持ちをつくる。それ以外のときでも気持ちをつくり、ステージ上では常にそのキャラとして存在しているのだ。


「答えづらかったら答えなくてもいいんだけど、もしかして笑ったことないんじゃない?」


 上原の疑問に蒼は表情には出ないが、その体が一瞬動いたことから驚いたようだ。


「笑うのが『苦手』じゃなくて『出来ない』って言ってたし……」


 愛海の質問に蒼は答えたかったが答えられなかった。


「これから練習していけば良いよ。入ったばっかなんだし!」


 蒼が向き直って言う。


「一つ、いいですか?」


「うん。どうぞどうぞ〜」


「心をこめられれば、笑えると思うんです。心がこもれば、自分は笑えると思うんです。それで、『心をこめる』ってなんでしょうか?」


 しばらく沈黙。


「すみません、答えにくかったですよね……」


 三人とも考えるが、これといった答えは出なかった。


 その後、四人は気を取り直して演劇の稽古を始める。昨日と同じ配役で。


 昨日同様、蒼は無表情で演じる。それが気になった愛海は彼の頬を上げて表情をつくろうとするが、手を離した途端に真顔に戻ってしまう。


 今日中に直すのは諦めて、稽古を続けた。




「それでは、ありがとうございました。さようなら」


 下校時間となり、蒼は他よりも先に帰った。


「ねぇ、心をこめるってなんだろうね」


 優里の言葉で二人は再度『心をこめる』とは何か、熟考し始める。


 恵は何か思い付いたように言う。


「よ〜分からんけど。悩みがロボットみたいだよな、アイツ」


「ロボットみたい? なんで?」


 恵が言ったのは良くあるSF物語の話。その中でも彼が最近見たアニメの話だ。


 ロボットが人間と接していくうちに、心を理解していく。ロボットは人間を滅ぼす敵ではない、人間と共存していく友なのだという、そんな例え話だ。


 だが所詮フィクション。現実ではない。


「ううん、参考になると思う。あくまで創作物、想像上の物語だけど、的を射ている気がする。うん、ありがとう」


 愛海は何かヒントを得たように答える。それから恵にロボットらしい特徴があったかを聞いた。それに彼はそのアニメ中にあったロボットの描写を簡単に説明する。


 すると愛海は何かを思い浮かんだように話し始めた。


「そうなんだ。……蒼くんっていつもテスト九十点以上なんだって。数学とかは毎回百点らしいよ」


 愛海はまるで蒼がロボットであるかのように話す。優里と恵は反対した。


「俺でも現実とそういうものの区別はつけられるぞ」


 普段自分がおバカだとイジっていた彼に言われ、愛海は考える。その間に二人は荷物を持ち、稽古場を出て行ってしまった。


「『心をこめる』ってなんだろう……。どうして蒼くんは悩んでるんだろう……」


 外から優里の呼ぶ声が聞こえ、愛海も稽古場を出て行った。

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