第1場

日が傾き始め、黄色く色付いた日の光が窓から差し込む部屋。演劇部員三名は少人数でありながらも演劇の稽古に励んでいた。


「『おい! こいつを死なせたくなかったら、とっとと金を出せ!』」


 男が額に汗を掻きながら、手にハンドガンタイプのエアガンを持ち、女の頭にその銃口を向けている。


「『そ、そんな……! ウチに五百万円なんて大金ありません!』」


「『お母さん! 怖いよぉ……!』」


 たった三人。されど三人。少人数でありながらも彼らは空気を作り、それが部屋全体を満たしていた。そこに、この空気を壊す不純物などない。


「『それなら今から用意しろ! でないとこいつは』……えぇっと……」


 セリフを忘れ、言い淀んでしまう。ただでさえ汗を掻いているのに、間違えてしまったことによって更にドッと汗がその皮膚から湧く。


 そこに先程娘を連れ去られる母親役をしていた女が囁くように『誘拐』と言った。


「おおう。『でないとこいつはユウカイしていく!』」


「『お願いですから! 娘を、明里を返してください!』」


「『娘を返して欲しけりゃ、金を用意するんだな!』」


 男が、女を無理矢理引き摺り連れ去っていく。


「『お母さん! 助けて!』」


「優里! 優里ぃぃぃいいいい!」

 

 最後の女の叫びは迫真で、声が遠くまで響いた。表情も涙は流してはいないものの、泣いているだなと分かる。


 女が手を叩き、ダメ出しをしようと言う。するとさっき誘拐犯を演じた男と、彼に引き摺られた娘役の女が戻ってきた。女はゴムで髪をまとめてポニーテールのようにしていたのを、今はストレートにしている。


「この台本さぁ、ツッコミどころ満載じゃね? 普通誘拐してから金要求するだろ」


「そういうもんでしょ。これガチじゃなくてコメディーだし」


「あと、愛海。最後のなに名前呼んでんだよ」


 誘拐犯役の男、伊藤恵が胡座をかきながら先程の演技の指摘を母親役の上原愛海に言う。その声は笑っていた。


「しょ、しょうがないでしょ。話の展開ハチャメチャなんだから。本名くらい言っちゃうよ」


 恵につられてか、愛海も笑いながら答える。だがそこに彼が間髪開けず「言わねえよ」とツッコミ。


 そこへ娘を演じた女、秋葉優里がさっき恵が漢字を読めてなかった事を指摘する。彼女は髪を金髪に染め、化粧も不自然ではない程度にしている。


 彼は強張って「余裕」と言ったが、優里の指す台本に載っている言葉『僥倖』を読めず、結果、ほぼ全ての漢字に読み仮名を書くことになった。


 優里はそんな彼を見て、ため息を吐きながら言う。


「虚しいなぁ。新しく人入ってくんないかなぁ」


 演劇とは大人数でやるもの。この三人のように登場人物が少なければ出来なくはないが、大人数の方が雰囲気も迫力も出るのだ。


「ないでしょ。もう提出締切過ぎてるだろうし」


 人数がもっといれば、もしくはまだ三年生が引退していなければ大会に出れたかもしれないと、吐露する優里。


「別に締切過ぎてて大丈夫じゃね? 俺だってお前らがこの部に入ったのを聞いて、後から入部したんだし」


「締切過ぎてんのに今から演劇部に入る人なんていないでしょ」


 演劇に興味がない

 ステージの上に立つのが嫌

 大きな声を出せない

 セリフを覚えられるか不安


 入らない理由は人それぞれだろう。


「だけど、やるならさ、大会出たいよね」


 千人、二千人収容出来る大きな舞台で大人数の演劇をやってみたいと優里は言う。それに対して愛海は小劇場のようなこじんまりとした舞台に立ちたいと言った。


 どのみち、どちらの希望も人がいなければ叶わない。そう恵がボヤいた瞬間、稽古場のドアが開いた。


「失礼します」


 入ってきたのは神生蒼。これに三人は三者三様の驚き方をした。


「えっと、なんか用か?」


「はい。ここって演劇部ですよね?」


「そ、そうだが」


「今日から演劇部に入部しました。二年生の神生蒼と言います」


と、彼は三人に深々とお辞儀をし、挨拶をした。


 期待していた新入部員にテンションが上がる三人。一番テンションの上がっていた優里が、部員が四人になったのなら別の、登場人物四人の台本が出来ると短絡的に考え、その台本を取りに行った。


 秋葉がいなくなり、取り残された伊藤、上原は神生に自己紹介をした。


 上原の将来の夢はアニメの声優になることだと言う。その夢への第一歩として演劇部に入ったそうだ。


 彼女に対して、恵はゲームが好きと言うだけ。将来の夢などは特になく、進路も決まっていないようだ。演劇部に入ったのは、ただ秋葉と上原につられなのだと言う。


 自己紹介を終え、今この場にいない優里の紹介もする二人。


「優里はああいう見た目だけど、実は恵より成績良かったりする」


「はっ! 今度こそアイツに勝ってやる!」


「アンタ、この前優里と合計五十点以上離れたじゃん……」


「過去は過去。俺たちは今、そしてこれからを見ていくべきだぁ!」


 「はいはい……」と流すと、今度は蒼に演劇部について紹介する。


 規模は小さいと言えど、基本毎日活動している。


 説明される際に渡された『演劇の心得』とデカデカと文字がプリントしてある冊子を蒼は丁寧にバッグにしまう。


 しまい終えたと同時に、タイミングよく優里が何部か冊子を持って戻ってきた。


「はいこれ」


 その冊子は演劇の台本。厚さが十ミリほどのそれは、軽い教科書ほどの重量があった。


「これが台本。凄いですね。こんなに厚い台本を皆さんは覚えるのですね」


「そうだねぇ。まぁ、意外と覚えられるもんよこのくらいの台本なら。これは一時間くらいしかないし」


 ものによっては二時間もする台本もある、と付け足す。


「そうなんですか。二時間の物語だと、そのセリフの量を考えるのも億劫になりますね」


 うんうん、と相槌を打つ秋葉。


 台本は作る人にもよるが、最初に登場人物欄、次の見開きのページからが演劇となる本文だ。小説とは違い、主にセリフで物語を進めていく。たまに、登場人物の動きや情景などを示しす『ト書き』が書かれてある。


 優里は早速持ってきた台本をやってみようと提案するが、今日入ったばかりの蒼は演劇初心者。たまたま台本の最初は三人しか登場しないため、俺たちで手本を見せよう、と伊藤が提案した。


「そうね。いきなりはやっぱりハードルが高いだろうし。私がじゃあ石川役。優里が鈴木役」


「はい」


「木村役が恵ね。蒼くん、見てて」


 蒼は背負っていた鞄を部屋の隅に置き、邪魔にならない場所に体育座り。他三人は机と椅子を設置した。


「あ、蒼くん! 上に名前がない文、読んでくれない?」


 ト書きのことである。


「よし、スタンバーイ、ハイ!」


 愛海が手を叩くと部屋の雰囲気が変わり、哀愁漂う稽古場から小さなステージになった。


「『とある高校の放課後。夕陽の光が差し込む教室で、生徒三人が話し合っている。三人は椅子に座り、他に誰もいない教室でこの三人の会話だけがはっきり聞こえる』」


 蒼が“ほぼ完璧に”ト書きを読むと、その倍以上大きな声で恵がセリフを言った。


 さっきまでの声より少し高い。


 演劇はマイクを基本使わない。演者の声を、ありのまま見ている人に聞かせるために。そのためには普通の声では力不足だ。


 蒼は自分の番になったとき、三人に負けないボリュームでト書きを読んだ。


 次のセリフはなんだ。


 次のセリフを探そうと台本ページをめくろうとしたとき、愛海が手を叩いた。


「いいね蒼くん。特に今の声。読むの上手かったよ」


「それな。めっちゃ上手かった」


「そうそう! ねぇ、早速門田役やってもらってもいい?」


 急な無茶振りに驚きもせず、蒼は「了解しました」とハッキリ答えた。


 それに対して愛海は少し驚いたように言う。


「え、大丈夫? 初めて読んでもらったばかりだから難しいと思うんだけど」


 演劇の練習は『テーブル稽古』→『半立ち稽古』→『本立ち稽古』の順だ。


 テーブル稽古とは動かず、台本のセリフのみ練習する。『半立ち稽古』は台本を持ったまま、実際に動きをつける稽古。『本立ち稽古』が台本を無くし、完全にセリフを覚えた状態で演技をする稽古だ。


 今回の場合、いきなり『半立ち稽古』から始めようとしたので愛海が不安に思ったわけである。


「いえ、大丈夫です。それに、挑戦してみたいのです」


 蒼は真っ直ぐ愛海を見て言った。


「分かった。それじゃあ早速やってみますか」


「おー!」


「蒼、台本はこうやて持つと良いぞ。それで、最初だから難しいと思うが台本は時々見るくらいで、基本は演技に集中すると良いらしい」


 恵の持ち方を見様見真似する。


「あ、あの恵が、真面目に教えれてる……」


「お前は俺のことどういう風にいつも見てんだよ」


「どうせ市内演劇部の講習で聞いた言葉そのまま言っただけでしょ」


 愛海の言葉に図星を指される恵。


「うぐぐ……ほら、さっさとやろうぜ」


「『うぐぐ』なんて言う人初めて見た」


「悪いか?」


「はいはい!」


 愛海が二人の話を止め、続きを蒼も加えてやろうと言った。


「了解しました。あの、一つ質問があるのですが」


「うん、何?」


 神生の質問の内容は、台本上男性の人物を女性が演じて良いのか、というもの。


 これは演劇では些細な問題、とまではいかないが大袈裟に心配する必要もないことで、性別を変えても問題がなければ口調を名前と口調を変えるだけで良い。物語上性別を変えられない場合は女性は男装、男性は女装するなどを少し勇気を出せば解決出来る問題だ。


 その旨を蒼に教えると彼は納得したと返事する。そして、自分のために時間を浪費させてしまったことを謝った。


 「気にしなくて良いよ」と愛海は答える。


「それじゃあ続きを行くよ〜。スタンバーイ、ハイ!」


 また部屋の空気が変わる。


「『あれ、まだ教室に残ってたんだ。クラスTシャツのやつ?』」


 蒼は、抑揚はありつつつも、なんとも文句を言いづらい感じにセリフを言った。その顔に表情なんてものはない。


 これが国語の授業で、教科書本文の音読だったら完璧だっただろう。


 だがこれは演劇だ。授業中の音読ではない。


 他三人は演劇に慣れていることもあり、台本に印刷されたセリフを盗み見ながら大きく、堂々と演技をする。しかし三人が作った舞台の空気を蒼の言葉がどうしても濁らせてしまう。


 やがて、下校時間を知らせるクラシック曲が壁掛けスピーカーから流れ始めた。


「今日は私たちが片付けちゃうから、蒼くんはもう帰って良いいよ。先生に部活終わりましたって伝言してももらえると嬉しいな」


「明日は部活ありますか?」


「うん。学校ある日は基本毎日あるよ」


「了解しました」


 蒼は手に持っていた台本を持ち帰って良いのか質問し、オーケーがでたのでそれをバッグの中のファイルに丁寧にしまう。


 バッグを背負った彼は「明日からもよろしくお願いします」と言い立ち去った。


 彼の背中を見送ると、優里は溢れんばかりの笑顔で言う。


「蒼クン凄いよ! 初めてであんなに出来るなんて!」


 多くの人は最初大きな声を出せなかったり、セリフの途中で噛んでしまうだろう。そうしたミスなく彼は入部初日を乗り越えたのだ。


 だが彼にもミス、出来ていなかったことがあった。


「感情がこもってない感じがあったが、それ以外は良かったと思うぜ」


 『感情をこめる』


 極端に言うと彼は棒読みだったのだ。


「愛海、四人だったらさ、今年の大会出られるんじゃない?」


「え、四人だよ? それに私たち舞台に立ったことないし……」


 彼らは去年、照明や音響といった裏方の仕事に徹していたので大会や定期的に開く公演会にも出ていない。


「そこはさ、ほら、気合いで!」


 キャストが揃っても裏で誰が音と明かりを操作するのかを聞くと、「てきとうな人にやってもらう!」と返事が。優里は少し根性というか、気合いで乗り越えようとする節がある。


 だが大会に出てみたいのは優里だけではない。部長である愛海も恵もそうだ。


「今度顧問の先生に言ってみよう!」


「なんなら俺が言っても……」


「「ちゃんと伝わらないから恵はダメ!」」


「ちぇ〜」


 伊藤がこの二人に尻を敷かれるのが日常。


「品行方正成績優秀」


 周りから見た蒼の評価だ。彼は編入してから一度も問題行動を起こしておらず、成績も良い。


 それに対して恵は……


「『ヒンコウホウセイ』ってなんだ?」


「そういうところよ」


 新入部員が入っても、馬鹿さ加減は変わらない伊藤に二人は笑う。


 笑われた理由が思いつかない恵はなぜ笑うのか、二人に問いても誤魔化されて終わった。

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