第4話 飛べ飛べウササギくん

 天空都市を覆う膜は、障壁のような役割を果たしているそうだ。

 高度、約八千メートル。もうすぐ成層圏と言う厳しい世界で、この天空都市の気温を一定に保ち、住民たちの生活を守っている。

 そこに映し出された人工の夕焼けが、夜を告げる為にその深さを増していく。


 タイクウは人気のない町を歩きながら、夕空を眺めていた。この辺りは観光の中心部で、昔は楽しげな人々で埋め尽くされていたそうである。


 地上との往来が絶たれ、彩雲は元々少ないエネルギーのほとんどを障壁に回さざるを得なくなった。

 もう一時間もすれば、節電のために周囲の建物も一斉に照明を落とすだろう。暗くならない内に帰ろうと、自然とタイクウの足は早まる。



 ふと彼が視線を前方へ移すと、ガードレールに背中を預け、同じく夕日を眺めている人物を発見した。

 昼間に話をした御笠夕陽みさかゆうひである。


「夕陽さん?」

「あ、あの時の運び屋さん……」

 彼は昼間と同じ装いで、少しぼんやりとして答えた。タイクウは柔らかく笑って、彼に近づいていく。


「タイクウだよ。よろしくね。こんな所でどうしたの?」

 ここはまだ住居エリアよりも、タイクウたちの事務所の方が近い。彼が考えさせてくれと言って、事務所を出て行ってから数時間が経過している。

 ずっとこの辺りにいたのだろうか。


「つい、その、考え事を。タイクウさんはお買い物ですか?」

 夕陽はタイクウの手元に視線を落として言う。そこには、少し中身の膨らんだ買い物袋があった。

「うん。そんなところかな。となり、いい?」

「え、ああ、はい」

「ありがとう」

 タイクウは夕陽の隣に並び、彼と同じようにガードレールに背を預けた。


 夕陽の手元を見ると、一枚の写真が握られている。亡くなったと言う両親と幼い頃の夕陽だろうか。

 幸せそうな家族が、カメラに向かって笑みを浮かべている。


「ああ。これは父が肌身離さず持っていた物なんです。こんな時代だと、アナログの方が逆に便利ですよね」

 顔を歪ませて笑い、夕陽はその写真を黒皮の手帳に挟んでしまう。


 ちょうど、ビルとビルとの間に、沈んでいく夕日の映像が鮮明に見える。

 偽物だと知らなければ、その鮮やかな橙色に感動すら覚えたかもしれない。


「申し訳ありません。即答、できなくて」

 夕陽が不意に口を開く。彼は眉を寄せて、自嘲のように笑った。


「地上に行きたい気持ちは本当なんです。でも、ここでの生活も、決して悪いものではなかった。だからいざとなると、考えてしまって」

「いや、それって当たり前だよ! 誰だってあんな風に言われたら、そりゃあ困っちゃうよね」

 でも、と言って、タイクウは言葉を区切る。


「地上は理想郷でもなんでもない。ここより少し便利なだけの、普通の場所だよ。だから、そこに下りることを本当に望んでいるのかどうか。命を懸ける価値があるのかどうかを、よく考えてほしくて」

 この選択は、その後の人生を大きく左右する。だからこそ、しっかり考えて選んでほしい。


 運び屋、藍銅鉱アズライトは万年閑古鳥が鳴いているが、短気なヒダカも、決して依頼人を急かしたりはしなかった。


「どちらが後悔しないかと言うよりも、僕は結局、どちらを選んでも後悔しそうで怖いんです。あまり自分に自信がある方ではないので。――お二人みたいな方なら、自分の選択に自信を持てるんでしょうね」

 タイクウは目を大きく見開いて、慌てて手のひらを顔の前で激しく振った。


「そんなことないよ! 僕なんか、しょっちゅういろんなことで後悔してるよ。ヒダカに矯正されたから、いつまでもメソメソ引きずることはなくなったけど、未だによく『あんなことしなきゃよかった』って思うよ」


「そう、なんですか?」

「そうそう。小さい頃は特に酷くてね、走って転べば『走らなきゃ良かった』、買ったお菓子が好みじゃなければ『あっちを選べば良かった』。自分でも面倒くさくて、ウンザリするくらい」


『こーわーいー! やっぱり地上を見るなんて、ムリだったんだよぉー! こなきゃ良かったぁ!』

『うるせぇ! タイクウがついてくるって言ったから、こっそり滑走路までつれて来たんだろ!? 泣くな! うっとうしい!』

『うわーん! おちるぅー!』

『さわぐな! 見つかるだろーが!』


 ふと懐かしい記憶がよみがえり、タイクウはくすぐったそうに笑う。

 昔は何かあるとすぐ自分の選択や行動を嘆き、いつまでもグズグズめそめそと泣いていた。そんな自分に付き合うヒダカは、さぞ鬱陶しかったことだろう。


「だからね。難しいことをお願いしてるな、とは思うんだ。僕はいつも悔やんでばかりなんだから」

 タイクウは目を伏せ、袖とグローブで隠れた右腕に、そっと触れた。


「でもね。『後悔』って、余程どうしようもないことじゃない限り、その先の行動によっては、切り替えたり絶ち切ったりできるものだと思うんだ。だから万が一後悔するようなことがあっても、夕陽さんが頑張れば、いくらでも良い方向に変えていけるよ。だから今回選ぶのは、それができそうな方を選んでほしいかな。……って、その方がよっぽど難しそうだけどね」

 タイクウは歯を見せ、おどけたように笑う。釣られたように夕陽は、少し弱々しい笑みを浮かべた。


 タイミングよく、誰かの腹の虫が空腹の音を鳴らす。

 顔を赤らめ、夕陽は自分の腹を押さえて俯いた。


「……失礼しました」

「あらら。ずっとここに居たなら、お腹空いてるよね。んー、でも今食べられる物何か持ってたかな?」

 デニムやコーチジャケットのポケットを探るタイクウに、夕陽が慌ててお構いなくと声をかける。


「そうだ! 小さすぎて、お腹の足しにはならないかもしれないけど、良かったらコレ食べて」

 タイクウが差し出したのは、小さなビニール袋に入ったラムネ菓子だった。

 真っ白で丸いシンプルな形状はどこか錠剤を思わせるが、袋にはピンク色でメーカーのロゴが入っている。


「これ……」

「ああ、お菓子のオマケ。知ってるかな? 老舗のメーカーが出してた『飛べ飛べウササギくん』シリーズって言う」

 タイクウの言葉を遮るようにして、夕陽は目を見開き表情を輝かせた。

「え⁉︎ やっぱりあの、羽が生えたウサギの、申し訳程度にオマケがついてるシリーズですよね? 懐かしいなぁ! まだあったんですね」


 思いがけず同士を見つけた嬉しさで、タイクウはパッと表情を明るくした。


「そうそう。元々それを作る工場で働いていた人たちが『彩雲』にいて、趣味と実益を兼ねて作っている物なんだ。個数も少ないし値段もお高めなんだけどね。いつも仕事終わりのご褒美で買ってるんだー」


 ラムネ菓子を差し出すと、夕陽は両指でそっと大切そうにそれを受け取った。

 閉じた唇に力が入り、何かを噛み締めるようにそれを見つめている。


「本当に懐かしいな。母がまだ生きていた頃、よく両親に強請って買ってもらってました。このラムネも意外と好きだったんだよなぁ」

 彼の声は、泣いているかのように震えている。

 タイクウは見守るような眼差しで、彼の横顔を見つめた。


「――僕のこの、『夕陽』と言う名前。夕焼けからいただいたそうです」

「うん」


「もう大分薄れてしまいましたが、断片的に覚えている記憶の中には、絶えず変化する空と、その下で笑う両親の姿がありました。この食玩も、保育園の帰り道によく買ってもらってたんですよ。あの時の夕焼け、綺麗だったなぁ……」


 彼は今、幼い頃の思い出の中にいるのだろう。

 夕陽の両目から不意にこぼれ落ちた物を見て、タイクウは思わず息を呑む。


「ねぇ、タイクウさん」

 夕陽が顔を上げ、空を見た。

「地上の空は、今も変わっていないでしょうか?」


 彼の顔は、涙で顎まで濡れている。

 タイクウは脱力するように息を吐くと、柔らかく微笑んで告げた。


「変わってないよ」


 心の底から絞り出すように、夕陽は堪らず嗚咽を漏らした。






「ただいま」

 薄暗い事務所の扉を開けて、タイクウは中にいる相棒へ声をかける。

 扉を閉めてパーテーションを覗き込むと、ヒダカは事務椅子に胡座をかいて座っていた。髪が湿っているので、シャワーでも浴びたのだろう。

 彼はタイクウの姿を見とめると、ぶっきらぼうに声を発する。


「メシは?」

「ん? 外で食べてきたよ」

 シンクを覗くと、食器カゴにまだ滴のついた食器が伏せられている。

 彼はもう食事も片付けも終えたらしい。


「そうだ。夕陽さんに会ったよ。彼、『飛べ飛べウササギくん』知っててさ! 嬉しかったなぁ、語れる人がいて」

「俺はいい加減にして欲しいけどな。テメェの机の上で増殖しまくってる謎の生物が、鬱陶しくて仕方がねぇ」


 ヒダカの向かい、タイクウの机の上には、羽とくちばしの生えたウサギの人形フィギュアがズラリと整列している。

 中でも謎のウサギが風船を持っている人形フィギュアは、片手で数えきれない数になっていた。


「あはは、上手く揃わない物だよねー。もっと吟味してから買えば良かったのかなー?」

「知るか、ンなこと!」

 吐き捨てるように言ったヒダカに、タイクウは思い出したように告げた。


「そうそう。近々、仕事になるよ。準備しておかないとね」

「――そうか」

 それで察したのか、ヒダカは好戦的に犬歯を見せつけるように笑う。

 彼の日頃のトレーニングは、この為にあるのだ。腕試しのような感覚があるのかもしれない。

 そんな彼を少し寂しげな笑みで見つめて、タイクウは彼の名を呼んだ。


「ねぇ、ヒダカ」

 目線だけをこちらに向けた彼に、タイクウは視線を逸らして言った。


「後悔しないって、本当に難しいね」

「まぁな」

 その声は珍しく、どこか柔らかい響きを持っていた。

 

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