月を拝む

尾八原ジュージ

月を拝む

 某国の有人ロケットが月に不時着して以来、望遠鏡から覗いた月に黒子のようなものが増えたと評判になった。見えるという人もいれば見えないという人もいるらしい。

 今夜は中秋の名月である。星の見えない夜空に、満月がぽっかりと浮かんでいる。ベランダの手すりに肘をついたぼくの恋人が、「月がきれいですね」とお約束の台詞を呟いた。

「ねぇ、ロケットの中のひとたち、丸一日くらいは生きていたってほんとかな」

 そう言いながら、彼女は天体望遠鏡を覗き込む。

「よせよ、そんな話」

「でも通信があったって」

「噂だろ」

 そんな状況下で生きていたなんて、なんともぞっとしない話だ。

「あっ見えたかも。ねぇあれじゃない、ほら」

 そう言いながら、恋人が夜空を指差す。僕は「わかんないって」と苦笑する。彼女が望遠鏡を独占しているのだから、ロケットがあろうとなかろうと僕に見えるわけがない。

 恋人は月に向かって手を合わせている。きっと知らない人の墓を拝むような気持ちなのだろう。今夜はいったい何人が同じことをするのだろうと思いながら、僕は彼女をベランダに残し、一人でそっと部屋に戻った。

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月を拝む 尾八原ジュージ @zi-yon

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