新商品の開発と絆
1 日焼け止め
「暇ねぇ……」
「暇だなぁ……。でも、僕としては研究が
「ポジティブ! ……実は、私もこの機会に相談したいことがあって……」
今日もお店は暇だった。でも、この会話からわかるように、私たちはこの状況を全く悲観していない。むしろ今まで大繁盛で忙しかったので、この機会にゆっくりと休む
私もせっかく今日は学園の休日で、せっかくお店に出勤できているのだから、この機会に前々からお願いしようとしていたことをお願いするしかないと
「いいよ? なんでも聞く」
――くっ……! なんだかこの頃やけにエミリオ様がかっこよく見えて困るんだよなぁ……。
エミリオ様自身は何も変わっていないのだから、私のエミリオ様を見る目が変わってしまったのだろうか。
今まで平穏無事に過ごしてきた世界が急に変わってしまったのだ。全てがエミリオ様中心で、私が視線を向ける先にはいつもエミリオ様がいる。一体何が起こったというのだろう。
このことを考え始めると、私の許容範囲を超えるためなのか一向に答えが出ない。
同じことを延々と考え続けることになるだけなので、この謎は一旦脇に置いておいて、話を進めることにする。
「ありがとうございます! もうすぐ夏なので、『日焼け止め』がほしいのです。作ってくださいませんか?」
「『日焼け止め』……。いいね。どういうものか聞かせてくれる?」
瞳を輝かせてわくわくしている様子のエミリオ様もかっこいい。
今はエミリオ様に微笑みを向けられただけで心臓が掴まれたような気持ちになるのに、今までの私はどうやって彼と普通に接していたのか……もう思い出すことができない。
「この世界には『紫外線』ってありますよね?」
「なにそれ?」
――そこからかぁ。私に説明できるかな……。
✳︎✳︎✳︎
「つまり、目に見える《可視光線》の中で最も波長の短い紫よりもさらに短い、目には見えない波長の光が紫の外側に存在するということだね」
「……? たぶん、そういうことです」
よくわからなくても私は頷いた。わからないなりに、聞いたことのあるフレーズが出た気がしたのだ。「紫」の「外」側にある目に見えない光が「紫外線」と習った気がする。
お客様には「紫外線」と言えばそれで伝わったし、その概念自体を説明する必要がなかったから、エミリオ様に説明するのに骨が折れた。
「その事実だけでも驚きだね。それはどうやって発見されたのだろう? ……でも、あるものとわかっていれば証明のしようはあるから。今度やってみよう」
エミリオ様がとても楽しそうにわくわくしている。彼が嬉しそうにしていて私も嬉しい。
「で、その『紫外線』と名付けられた光線が肌に当たると、日焼けをしてしまうという仕組みなんだね」
――やっと私の得意分野だわ! 任せて任せて!
「そうです。細かくいえば紫外線にはA波とB波があって、それぞれ肌に与える影響が異なります」
「なるほど」
「B波は皮膚の表面までしか届きませんが、A波は皮膚の奥深くまで浸透してしまいます。その影響から皮膚を守るためにメラニン色素が働くことによって色素沈着が起きるんです。その結果肌が黒くなる。これが日焼けのメカニズムです。B波は肌表面で吸収されて、A波ほどではありませんが肌色を黒くしますし、肌が赤く炎症を起こして、シミ、そばかすなどの原因になります」
「いつもながら勉強になるなぁ」
エミリオ様はメモを取りながら嬉しそうだ。ちなみに、なぜ私がこんなことを知っているのか疑問に思ってはいると思うけれど、実際に尋ねられたことは一度もない。
「あと、これも重要なのですが、A波は皮膚の内部まで届くので、ハリなどを保つために必要な細胞も破壊してしまいます。そのせいでシワやたるみなどを引き起こして肌の老化を促進するんです。これを『光老化』と呼びます」
「ふむ」
「これらの影響を防ぐために、『日焼け止め』が必要になるのです。貴族の女性は色白であることがステータスにもなりますから、需要は大いにあると思うんですよね」
前世の記憶ではいつも日焼け止めが必要となる春先からお客様に飽きるほど同じ説明を繰り返していたので、淀みなく説明の言葉を並べられた。
「おもしろそうだ。ちょっと時間をもらうけど、必ず作ってみせるよ。アイリーンの望む『日焼け止め』を」
「期待しています! ……でも、本当に大丈夫ですか? 王族の公務とかもたくさんあるのでは……?」
「心配はありがたいけど、本当に大丈夫なんだよ。父と兄からは好きにやっていいと言われているから」
そうか。そういうものかと納得する。国王と王太子がそういうなら大丈夫なのだろう。
「王族って言ってもみんなと同じ人間なのに。国のために働くのもみんな等しくしていることなのにね。権力も影響力も大きければ責任も大きい。王族だけ見えない枷が嵌められているようで、時々息苦しくて仕方がなくなるんだ……」
僕は王族に向いてないんだよ、とカラッと笑ってエミリオ様は話を終わらせたけれど、そこには大きな苦悩が滲んでいるようだった。
ヴィタリーサが彼の息抜きできる場所になっているのなら、私がその場所を絶対に守り抜こうと強く誓った。
✳︎✳︎✳︎
かくして日焼け止めは完成した。
簡単に言ってしまったが、エミリオ様をすごく苦しめてしまったかもしれない。
開発をお願いしてから店で会う日はずっと目の下にクマを飼っていたし、私に向けられる笑顔も弱々しかった。文字通り寝る間を惜しんで製作にあたってくれたんだろうと思う。責任感が強くて、研究大好きなエミリオ様らしい。
エミリオ様は研究が生きがいと自分で豪語するほどだけれど、それでも期限を設けられてしなければならない「開発」は仕事と変わらず、自分の好きなように気が向くままに楽しんでいた今までと大きく異なるだろうと想像できる。
声をかけることは憚られたけれど、店の裏で机に突っ伏して頭を掻きむしっていた彼の姿も目撃してしまったこともある。本人はそうは言わないけれど、大変な負担をかけたことには違いない。
そうして出来上がったエミリオ様の自信作だ。
「できたよ!」と大好きなものを手に入れた少年のように純粋な笑顔で渡されたとき、「絶対に売る。広めてみせる」と再度心に誓った。
しかし、販売促進のため、店頭で宣伝したり、セールストークも試行錯誤したり、売場のレイアウトも変えてみたり、装飾を変えてみたり……いろいろ手は尽くしてみたけれど、どうしても売り上げは伸びなかった。私のやる気は空回っていた。
――これからの季節に使ってほしいからエミリオ様に無理言って開発頑張ってもらったのに……。
責任を感じて下さったアンブローズ公爵令嬢やその周りの方々を始め、ソフィアお姉様やイザベラ様も私たちを信頼して購入してくれたけれど、それ以上は努力しても売れず、心が折れそうだった。
「大丈夫だよ。絶対客は戻ってくるから」
エミリオ様はいつも自信たっぷりだったから少し気は紛れたものの、私は絶対にいいとわかっているものをうまく布教できない情けなさに押し潰されそうになっていた。
前世でも心ない言葉をかけられたり、実際に接客をしてもいない方から叱責されたりということもあった。働いていれば理不尽な目に遭うことは避けられないのかもしれないけれど、それでも落ち込んでしまう気持ちを意識しないではいられなかった。
でも、今そういうどうしようもない気持ちになったときには必ず、そんな私の様子に気づいたエミリオ様が声をかけてくれた。それがどれほどの救いになったかをエミリオ様は知らないだろう。
そして、この状状況を一変させることになる事件が起こった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます