5 謝罪と風評

 怒涛の攻めの姿勢から、このままでは難しいと悟ったのか、エミリオ様は作戦を切り替えたようだ。

 相手の同情を誘うような、捨てられた子犬のような表情が冴え渡っている。


「エミリオ様……!」

「僕のせいでごめん。マーガレットの肌の状態が心配だ。少しでも跡が残ることになったら耐えられない。だから、僕が作ってきた薬を塗らせてくれる?」

「ええ……! もちろんです。ご心配いただきありがとうございます……!」


 エミリオ様の言葉に、アンブローズ公爵令嬢は感動しきりだ。


「よかった! この薬、きみの苦手なナメクジのぬるぬる成分を抽出して作ったものなんだけど、肌の炎症にすごくよく効くんだ。きみの好きな薔薇のエキスも混ぜてあるからそんなに気にならないと思う。塗ってあげるね」

「……ナメクジ?」

「ああ。ナメクジのぬるぬる成分が炎症の沈静効果があることが研究でわかったんだ」

「あの、申し訳ありません。やはり遠慮してよろしいでしょうか……」

「え? だめだよ。僕はきみが心配なんだ。僕のせいで肌に後遺症でも残ったら後悔してもしきれないからね。絶対に塗らせてもらう。アイリーン。マーガレットを押さえて」


 ちなみに、ナメクジのぬるぬる成分が何かの効果を発揮するというのは全くのデタラメだ。

 事前にエミリオ様から誘導尋問に引っ掛からなかったらこの手段でいくとは聞いていたものの、彼女の青褪めた表情を見るとちょっとかわいそうな気もしてくる。


「アイリーン、早く」


 鋭い目で命令されたので、行かせていただきます。ごめんね、アンブローズ公爵令嬢。でも、そもそもあなたが嘘をつかなかったらこうはならなかったんだよ……。

 私は心の中でそう嘆きつつも、エミリオ様の指示に従った。これで彼と私は立派な共犯者である。


「じゃあ、塗るからじっとしててね」


 エミリオ様はいい笑顔でそう言って、本当はナメクジから抽出した成分など一滴も含まれていない、ただのローズオイルを指で掬った。

 ぬるぬるてかてかしている。本物のナメクジが通り道に描く軌跡のように……。


「きゃぁぁぁぁぁあぁぁ! むし、虫は苦手なのよぉぉぉおぉぉ!」

「ごめんね、じっとしてて」


 このセリフ、つい最近聞いた気がするなぁ、と思いながら暴れる彼女を取り押さえる手に力を入れる。エミリオ様は幼馴染みの悲鳴を聞いてもさすが、微動だにせず己の職務を全うしようとしている。

 ちなみにもう一つ。ナメクジは虫ではない。


「申し訳ありません……! 嘘をついておりました! 化粧品を使って私の肌が炎症を起こしたなどという事実はありません……!」


 半泣きのアンブローズ公爵令嬢はついに白旗を上げた。ナメクジは強かった。


✳︎✳︎✳︎


 あまりの恐怖に疲れきってしまったアンブローズ公爵令嬢を気遣い、その日はとりあえずおいとますることになった。

 

 後日、ゆっくり話を聞いたところ、ラヴィーナ様がお兄様であるエミリオ様を私にとられてしまったと感じたのが始まりだったのだという。


「まあ。ラヴィーナ様とおっしゃるのはエミリオ様の妹姫様だったのですね」

「そうなんだ。本当にあの子は……迷惑をかけて申し訳ない」

「いいえ、私の配慮が足りませんでしたね」


 ラヴィーナ様は私がエミリオ様に近づくのが気に入らなかったから、エミリオ様を慕うアンブローズ公爵令嬢に『魔女が兄をそそのかそうとしている』という情報を与え、魔女を間接的に排除しようとしたのだという。アンブローズ公爵令嬢が私を陥れるために行動を起こすと確信していたのだ。


「ラヴィーナ様はまだ十四歳でしたよね? 賢いのですねぇ」

だね。そんなことを考えていたなんて……驚いたよ。まだ子供だと思っていたけど、考えを改めないといけないな」

「さすがエミリオ様の血縁ですね。思ったことを行動に移す行動力も目を見張るものがありますが、ラヴィーナ様はエミリオ様のことが大好きなんですね。微笑ましいです。でも、私もソフィアお姉様のこと大好きだから気持ちがわかります」

「そうなのか。アイリーンも兄上に嫉妬することがあるのか?」

「もちろんありますよ! 王太子妃のための勉強がなければもっとお姉様と一緒に過ごせたのになぁとか、家で一人でいるといつも考えてしまいます」

「そうか。……まだ『離れ』に住んでいるんだろう? この店の二階でよければ使っていいとエリーも言っていたと聞くし、倉庫よりこちらのほうがマシじゃないか?」


 ヴィタリーサの開店を決めてから、エリー様からは幾度もこの質問を受けた。その度に申し出をありがたく思いながらも、私の答えは変わらなかった。


「いいんです。お姉様との関係が好転してから、以前よりも居心地もよくなりましたし。もしかしたらお義母かあ様は出ていってほしいと思っているかもしれませんが……。やっぱり、家族ですし。いずれ結婚したら出ていくことになるのですから、それまでは一緒にいたいんです」


 実際、グレン伯爵夫妻とは顔を合わせることもないのだが、私はどうしてもそこから離れられないのだ。

「家族」に強い憧れを抱いていることは自覚している。もし可能なら関係の修復さえしたいと思っているから、諦めきれないのだ。

 お姉様が変わってくれた前例があるし、何より、グレン伯爵家にいればソフィアお姉様が家族に、私に会いに帰ってきてくれる。その温かさを自ら手放すことはできなかった。


「アイリーンがいいなら無理強いはしない。ただ、ヴィタリーサは僕とアイリーンの店だから。いつでも都合よく使っていい。それだけは覚えておいて」


 ここにも温かい気遣いを見せてくれる人が一人。私は本当に恵まれている。

 この幸せは絶対に手放したくないなと思った。


✳︎✳︎✳︎


 けれど、それからわずか三ヵ月の間で、ヴィタリーサの経営は徐々に傾くことになった。

 アンブローズ公爵令嬢がヴィタリーサの化粧品を使用して肌に傷がついたという噂が社交界で蔓延してしまったからだ。

 

「肌に傷がついた」というのは事実と異なるし、アンブローズ公爵令嬢は嘘を吐いたことを反省してくれていたので、噂を耳にするたびに事実とは異なることを弁明してくれたらしいのだが、証拠がないので信用されなかった。

 

 社交界においては女性にとって顔はいわば商売道具。自分の肌が傷つくかもしれないことを何よりも恐れたのだ。

 そこに貴族の家同士の政治的な対立構造も顔を出してきたので、事態はさらに悪化した。

 

 アンブローズ公爵家に対立する「ブルノン公爵家」の令嬢が「貴婦人の敵」と反ヴィタリーサを掲げ、不買運動を加速させていったのだ。

 

 実情は知られることなく、店の評判は悪くなるばかり。売り上げもどんどん落ち込み、閑古鳥が鳴くようになった。

 

 その状況に責任を感じてしまったエミリオ様の妹姫、ラヴィーナ王女殿下からヴィタリーサを言い値で買い取りたいという申し出もあったようだが、それはエミリオ様が丁重に断ってくれた。


 一応私にも相談してくれたけれど、そんなのお断りするに決まっている。幼い女の子に不良債権を背負わせるなんてもってのほかだ。

 

 

 私に前世の記憶が戻ったのは夏で――。

 それから家ではお姉様と関係改善して、学園ではイザベラ様と出会い、エリー様と出会い、一緒にお店を開いてアンブローズ公爵令嬢と出会い……ひたすら化粧品とそれを使って女性を輝かせることを考え続け、気づけば季節はまた夏を迎えようとしていた。

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