2 好転

 王都での社交シーズンを終え、領地を持つ貴族は自らのホームタウンへと帰っていった。

 それで社交が終わるわけではなく、秋からはそれぞれの領地で狩猟をしながらの社交が行われた。

 狩猟は王族と彼らから許可された貴族のみの特権だったので、権威の象徴としてことさら豪華に開催されるものだった。

 男性はクマ、シカ、イノシシ、ウサギなどを狩りに出かけ、女性たちは自身が連れ立ってやってきたパートナーを見送ったあと、開けた場所に張られた天幕の中でお茶を飲みながら優雅にその帰りを待った。

 

 その日は王族を招いての狩猟だったので、ひときわ華やかに開催された。しかし、その最中に一時的な大雨に降られる時間帯があった。雨は珍しくないし、天幕も傘もあるので心配は何もなかったが、問題はそのあとに起こった。


「逃げろーーーーー!」


 その声にハッと周囲を見渡すと、一頭の獣が森の方向から天幕の方向へと猛然と向かってきていた。猟師から逃れるため、イノシシが脇目も振らず突進してきていたのだ。

 猪突猛進という言葉は、臆病なイノシシがあまりの怖さに方向がわからなくなって走る様子を誤解して作られたと言われているが……。その通り、女性たちが華やかに過ごし、賑わっている天幕に気づいているのかいないのか、そのまま直進してその場を踏み荒らす勢いだった。

 そして、その辺り一帯に女性たちの恐怖の叫び声が響き渡った。


 突然現れたイノシシから逃げ惑った女性たちは、恐怖のため混乱に陥った。

 当然身を守ることが最優先なので、雨が降りしきる中でも傘をさす余裕はなかった。

 

 

 イノシシから一心不乱に逃れた結果、女性たちは冷たい秋雨に打たれることになってしまったので、まず身体を温めることが先決だった。

 人数もそれなりにいたので、着替えやその場所の準備にも時間がかかりそうだった。それを待つ間、効率を考えて先に暖を取れる場所を一カ所準備し、ホットワインを飲みながら身を寄せ合って温もりを分け合った。

 

 その時、一人の貴婦人が驚いてつい溢してしまった呟きがその場に衝撃を与えたのである。


「お肌の色が、チェスボードのよう……」


 その場にいた女性たちはこの一言を敏感に拾い、発言した彼女の視線の先を一斉に辿った。


 そこには面食らった表情をしたマーガレット・アンブローズ公爵令嬢とその侍女がいて、その隣には不思議そうな表情をした《反ヴィタリーサ》を掲げるカメリア・ブルノン公爵令嬢とその侍女が並んで座っていた。

 静かにいがみ合っていた二人はその場に衝撃を与えた一言を聞き逃しており、なぜ周りから一斉に視線を浴びているのか理解できていなかった。

 

 雨で化粧を洗い流された二人の肌の色は、隣に並んでしまうと一目瞭然で、白と黒のマス目が交互に描かれるチェスボードのように明暗がはっきりと分かれていた。


 それに気がついたアンブローズ公爵令嬢は、化粧が洗い流されてもなお損なわれない美貌を惜しげもなく晒し、美しい笑みを浮かべながら言った。


「私は美の女神アイリーンと特に親しくさせていただいておりますので。ごめんあそばせ」


 と――。


 肌の白さを手に入れることを至上の命題とする貴婦人たちは、血走った目でお互いを見比べ始めた。

 

 日差しの強い夏を色白を保ったまま越した人物は……王太子の婚約者であるソフィア、ヴィタリーサのビューティーアドバイザーと仲が良いと知られているイザベラ、ビューティーアドバイザーの義母であるグレン伯爵夫人……そしてその周りの侍女たち。

 

 対して、ヴィタリーサの商品を忌避して使うことをしなかった多数の貴族女性たち。

 双方の肌色を比べるとやはり一目瞭然だった。

 ヴィタリーサの化粧品の有能さが実感をもって浮き彫りになった瞬間であった。


 

 

 ひと夏の間、日焼け止めを含むヴィタリーサの化粧品を使い続けたソフィアたちの肌の色は非常に羨ましがられた。

 どんなに対策をしても、家から出たり、屋敷の中にいても日光を浴びてしまうと肌は小麦色に近づく。夏の間の日焼けは、長い間どう頑張っても避けて通れない問題であったのだ。

 

 今回は「日焼け止め」という新商品がその問題の解決策として急浮上したことになる。画期的な商品であった。

 

 しかも、使い続けた人と使わなかった人の肌色の違いを実際目の当たりにしたことが人々の認識に大きく影響した。

 日焼け止めの効能は実感しづらいものなので、それを偶然にも客観的に判断できたことは、しくも最高の宣伝効果をもたらすことになったのである。


✳︎✳︎✳︎


 なぜか急に、ソフィアお姉様から「知人に頼まれたの」と言って日焼け止めを含む大量の化粧品の注文を受けた。


――顧客名簿に名前がある方たちだったので受けたけれど……。


 それだけでなく、領地に戻ったはずの貴族令嬢やその侍女が時間をかけてまで王都のヴィタリーサまで化粧品を求めにくることも激増した。

 

 来店してくれたお客様の話を聞いてみると、やはり「肌が傷つく」と聞いて万が一が起きたら怖いから使用を控えていたこと、それから最近はヴィタリーサを真似して割と品質のいい化粧品も増えてきたから、肌が傷つくリスクを抱えるくらいなら、とヴィタリーサの化粧品の使用を控えたのが間違いだったと気づいたのだということだった。


 気づいたきっかけに関して詳しく聞いたときは、その場で感想を述べることは控えたが、「イザベラ様美しかっこいい」と思ったものである。

 

 他の化粧品が悪いわけでは決してない。

 でも、今回の件で日焼け止めに関してはヴィタリーサの商品が一番ということが証明されたようだ。

 

 エミリオ様がとても苦労して日焼け止めを開発してくれたことを思い出す。

 あの努力が認められたようで、自分のことのように嬉しかった。

 

 イノシシのおかげでまたもやヴィタリーサは忙しい毎日に戻った。

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