第12話 合気道は柳生心眼流と関係か深い

そもそも合気道とは合気武道から合気道になった。

合気道の創始者は現在の和歌山県田辺市が発祥地とされている。

それは明治四十一年頃、植芝盛平氏と記されている。

 植芝盛平氏は、その頃、村の青年達に武術と柔道を教えていた。

 それと同時に後藤派柳生流柔術の道場に通っていた。柳生とは柳生心眼流の剣豪で名高い。小説、映画などに登場してくる柳生十兵衛である。

 そして、もう一人歴史を飾る剣豪、荒木又右衛門まで歴史を飾る顔ぶれが揃っていた。

 柳生心眼流の流れを汲む六代目、後藤柳生斎氏がのちに、合気道へ多大な影響を与えたと記されている。今や合気道は世界に数十ケ国の支部があり、特に女性には護身術として海外の大学でも取り入れている。


小夜子は改めて、合気道とは何かを健に教えた。大学が休みの度に帰って来て教えた。

「合気道はね。心、技、体、気の総一なのよ。心眼で捉えるのよ」

つまり攻撃の為にあるのではなく護身術からの攻撃、女性には特に薦めたい武術である。

「そう、空手と違うのは力まない事なの。もっと楽にして」

 門下生が帰った後に時々教わっている健も、その合気道の奥深さに魅入っていた。

流石に高校、大学と名の知れた空手家の健は呑み込み方が早かった。

 それから更に半年の月日が流れ、心の部分が大きく変った。次に取り組んだのが〔気〕である。相手の気を見抜き、空気の流れ、肌に感じる温度、例えばドアの裏に潜んで居ても気で五感に感じ捕ることが出来る。

 相手の身体の動き、相手が爪先に重心が掛かった時、次の行動を読み取る事が出来る眼の動き、手足の些細な動きも同じ事だ。常に相手の動きを先に読み取る。目を閉じていても相手の呼吸、空気の流れ僅かな音でも読み相手の動き力を利用して技を決める。これが合気道の心眼だ。

 相手が踏み込んで自分に触れる寸前に、その動きを逆に利用して流れるように相手を瞬時にねじ伏せる。これが合気道の極意である。


 しかしこの易まで達するには誰でも、と云う訳にはいかない。やはり素質と努力だ。

小夜子は此れまでに熱心に教えてくれた。その訳は果たして何を意味するのか?

ここは岩手県の三陸海岸、浄土ケ浜である。三陸海岸とは青森県から宮城県にかけて太平洋に面した海岸である。岩手県にある浄土ケ浜は東北でも名所であり、海水浴場や観光地としても有名であり、小さな湾になっていて観光船やボートなども楽しめる。

その海岸の砂浜を走っている二つの影があった。健と小夜子である。

足場の悪い砂浜は恰好の運動になる。足腰を鍛えるには、むしろこう云う場所が望ましいのだ。


つづく

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