第11話  第一章  第三節 合気道の真髄 

 やがて堀内健は二十一歳になっていた。小夜子は父と縁側で話しをしている。

 健の事は何も聞かずに自分が知っている限りの合気道の事は教えて来たのだが、しかしそれも限界に近づいて来た。それ程迄に健の合気道が上達している。やはり天性なのか。

「お父さん。堀内くんの過去を教えてくれませんか。彼の暗い部分が見えてくるの」

小夜子は健の、心の奥の影に以前から気になっていた事を父に訊ねた。

「どうしてそんな事を聞く? 知ってどうする」

父、要山和尚は逆に聞き返した。だが小夜子は男と女の仲を言っているのではない。

 その眼を見れば分る。要山和尚ぐらいの達人ともなれば話さなくても、眼を見れば相手の感情を読み取る事が出来るのである。

「小夜子! ただの同情なら止めなさい」

いつも温厚な父に何故か一喝された。

聞いてはいけない事に触れたのかと思った。それ程までに、健の過去は暗いものなのか?


だが小夜子の真面目な顔を見て、やがて要山和尚は静かに語り始めた。

寺の庭にある池では小夜子の母、登紀子が鯉に餌を与えている。

それは穏やかな朝の光景であった。

縁側で父と娘が、その母の後姿を見つめながら話が続いた。健の過去を訊くうちに、小夜子の表情が強張っていく。健が偶発的な事故とはいえ親友を死に追いやった事を、そして大学まで辞めざるを得なかった事を。

そんな思いで正堂寺を訪ねて来た事を、小夜子は知って愕然とする。

 小夜子はショックだった。その暗い過去を健が背負っていたことを。だから合気道から何かを感じ取って。私に教えてほしいと訴えた謎が、いま解けたような気がした。


 そんな時、母、登紀子が来て小夜子の肩を叩き微笑んで、二人にお茶を入れてくれた。堀内健には衝撃的な事件だった。生涯忘れる事が出来ない。親友を失い故郷を失い、いや失ったのではなく、自分がこのまま故郷に居ればまた原田の両親、親戚、友人と会う事になる。自分は堪えても相手には忘れようと思ったものがまた蘇ってくる。自分の両親もその度、悩ませる事が辛い。だから故郷を去るしかなかった。

親友を殺したからこそ自分が幸せになってはいけないと幸福の文字に封印したのだ。

 池の鯉が跳ねてバシャと音をたて小さな波を作った。父、要山和尚の話は、まだ続いている。

「いまの彼に必要なものは精神の修行しかないのだよ。小夜子」

 小夜子は頷いた。健が重い過去を持っていたなんて、その苦しみを救ってあげたいと。

「お父さん……彼がね。私に言ったのよ。合気道の心を知りたいと」

 和尚の表情が少し変った。健の心に何か変化が起きたのかと。和尚はやっと健が断ち切れそうになったのかと感じた。正堂寺に来て二年近くの日を経て、やっと感じたのか?

「そうか分かった。いずれ私が指導しよう。今はまだ、お前が教えてやってくれ」

要山和尚は思った。若い二人なら心も道も開けようと。しかし健に、あと何を教えたらと小夜子は考えていた。合気道は奥が深い、まだまだ教える事がある筈だと。


つづく

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