10.騒乱 8

 アミシャと共にナートが目覚めてからの日々が蘇ってくる。少しこましゃくれた子供だが、ごくふつうだと思っていた。それこそが、彼が望んでいたものだったのだ。

 もう一度眠りについたら、ティサで過ごしたような日々を、夢で見続けるのだろうか。

「――なら、願えばいい。ふつうの人間になりたいって、自分に」

「え」

「自分で自分に、願えばいいんだ。ナートには、人の願いを叶えられる力があるんだから」

 ナートはきょとんとした顔で、リアノスを見る。どうやら、考えたこともなかったらしい。

「……でも、どうやって?」

「こうやって、だ」

 痛みをこらえ、冷たい土から手を離し、胸の前で自分の両手の指を絡めてみせる。こうすれば、自分で自分の手を握ったことになるだろう。

 ナートは、リアノスの手を見て、顔を上げる。本当にいいのか、大丈夫なのか、という不安とためらいを見て取り、リアノスは小さく頷いた。

 ナートがゆっくりと、リアノスがやったように、自分の手の指を絡めていく。確かめるように、一本一本ゆっくりと。

「――僕は、人の願いを叶える力なんてない、ふつうの人間になりたい」

 端から見れば、それはリアノスに向かって願っているように見えただろう。あるいは、祈っているようだったかもしれない。

 願いを口にしても、先ほどのように、急に何かが起きるわけでもなかった。

 ナートは指をほどき、再び、リアノスに手を差し出した。

「リアノス、僕に願ってくれ。怪我を治してくれって」

 ナート自身の願いだけ、もしかしたら叶えられないかもしれない。それは、やってみなければ、正直リアノスにも分からなかった。

 だから、今度はリアノスが祈るような気持ちで、ナートの小さな手を握った。

「……背中の怪我を治してくれ」

 口にして、これほど空虚な願いはないと思った。リアノスは今、怪我が治ってほしくないのだ。痛みならいくらでも耐えるから、どうか――。

「……痛い」

 背中は相変わらず、痛くて、熱い。だが、口元に笑みがあるのが、自分でも分かった。痛いというのに、笑い声すら漏れている。

「リアノス、大丈夫か?」

 ナートが心配そうな顔でのぞき込む。

「……こんなことなら、先に怪我を治してもらっておけば良かったよ」

 ナートは目を瞬かせ、それから笑った。

「そうだね。残念だったな、リアノス」

 初めて会った時のような、意地が悪い笑みだった。

「ナート……!」

 アミシャが、背中からナートに抱きついた。

「よかった……よかったね……!」

「ありがとう、アミシャ。僕を目覚めさせてくれて」

 アミシャは何か言ったようだが、涙声でよく聞き取れず、リアノスにも分からなかった。ただ、喜んでいるのは間違いない。

「水を差すようで悪いが、リアノスの治療をしないと。医者がいないと治せないぞ」

 オスタムは、さすがに泣いてはいなかったが、安堵した顔だった。

「それにあの子も、彼女の里に送り届けないと」

 赤毛の少女は、所在なさげに佇んでいる。何が起きたか分からず、きっとまだ不安でいっぱいに違いない。

「あの子は、僕がムカガの家に連れて行くよ。ひとまず休んでもらった方がいいだろう?」

「わたしはお医者さんを呼んでくる」

 アミシャは涙を拭き、森の外へ駆けていった。そのあとを、ナートが追いかけていく。

 森の中に静けさが戻るには、もう少し時間がかかりそうだった。

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