10.騒乱 7

 補佐官が、あの男を止めろ、と怒声を上げる。オスタムを捕まえようと、剣を持つ役人たちが走り出す。同僚が前に出たせいで、弓矢を持つ役人たちは矢を放てなくなった。

 リアノスの服を掴む手の一方が離れ、オスタムに差し出される。オスタムは、その手をしっかりと握った。

「こいつらを――役人たちを、今すぐティサから追い出してくれ!」

 願いが叶う瞬間を、リアノスは、まさにこの森で初めて目にした。あの時はココリの実だったから分かりやすかったが、果たしてオスタムの願いはどういう形で叶うのだろう。

 オスタムの願いは、補佐官をはじめ、役人たちの耳にも届き、一瞬、場が静まりかえる。

 何が起きるのかと、役人たちが身構えるのが分かった。辺りを見回す者もいる。けれど、何も起きない。

「なんだ、何も起きないでは――」

 補佐官が、少しひきつった表情で笑ったその時だった。遠くから、蹄が土を蹴る音が聞こえてきた。

 全員が音のする方に顔を向ける。

「補佐官、急ぎエキシビにお戻り下さい!」

 馬に乗ったまま森の中を駆けてきたのは、新手の役人だった。ただし、現れたのはその一人きり。

「明日、領主様がエキシビにお越しになります」

「領主様が!? そんな話は聞いていないぞ」

「急遽決まったそうです。長官は、滅多にないことなので全員でお出迎えをするとおっしゃっています」

 補佐官は一度リアノスたちを見たが、きびすを返した。

「すぐにエキシビに戻る。急げ!」

「補佐官。子供は?」

「――また後日だ! 真偽のほどは分かったからな」

 足早に森の外へ向かう補佐官は、一度振り返った。その顔は、いかにも悔しく口惜しげだった。

「リアノス! ナート!」

 森の中に、まだ静けさは戻らない。帰っていく役人たちと入れ替わりに、アミシャが駆け寄ってきた。心配と不安と安心が入り交じった顔は、涙で濡れている。

「リアノス、大丈夫か?」

 オスタムが、リアノスを支えようと背に手を当てる。だが、リアノスが痛みでうめく声を上げたので、すぐに引っ込めた。

「リアノス!」

 矢が当たったのは、アミシャの位置からでも見えただろう。近くで改めてその惨状を目の当たりにしたアミシャは、この世の終わりのような顔で、リアノスの傍らに膝を突いた。

「リアノス、ごめんね。わたしがあの人たちにあとを付けられなければ、こんな、怪我なんて」

「……アミシャのせいじゃないよ」

 泣きじゃくる声を遮ったのは、ナートだった。リアノスの正面に膝を突き、手を差し出す。

「全部、僕のせいだ。僕が目覚めなければ、こんなことにはならなかった」

「ナートのせいじゃない。わたしが、一緒に起きようってナートにお願いしたから」

 しかし、ナートは首を横に振る。

「僕の力のせいだ。僕はやっぱり〈災いの元〉にしかなれない。だから、僕にもう一度眠りにつくよう、願ってくれ。もう二度と目覚めない眠りにつくように。今度は、一人で眠るから」

 わざとなのか、ナートはおどけた声で笑う。そして、早くとばかりに更に手を前に出す。

「リアノスの願いじゃなくて、悪いけど」

 地面にへたり込むリアノスの手は、冷たい土の上に置かれたままだ。

「ナート……」

「……誰も僕を知らない世界なら、ふつうに生きられるんじゃないかって思ったんだ。でも、やっぱりだめだった」

 ナートは顔は笑っていた。だけどその目は涙でいっぱいで、いつ溢れてもおかしくなさそうだった。

「こんな力なんか、なければよかったんだけど――。だから、リアノス。そういう夢を、僕に見させてよ」

 とうとう、一筋が頬を伝う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る