10.騒乱 1

 いつもよりも手早く朝の仕事と食事を済ませ、リアノスはムカガの家に向かった。

「朝早くからすみません。ムカガさん、ウルスタさん」

 訪ねると、ムカガとウルスタは既に食事を終えていたが、ナートはまだだった。

「今日は早いね」

 ナートが目を丸くする。

「ちょっと話がありまして」

 リアノスの表情を見て、深刻そうだと思ったのだろう。ムカガに、座るよう勧められた。

「――ナートが毎日頑張ったおかげで、彼に願い事を叶えてほしい里の者は、ほとんど叶えてもらっているはずです。もう、日がな一日待つこともない」

「僕は待つのは苦じゃないし、リアノスがそれに付き合わなくていいと言ってるじゃないか」

「昨日の赤毛の少女、アミシャも知らない娘のようだった。――つまり、ティサの住人ではない可能性がある」

 それを聞いて表情を変えたのは、ムカガとウルスタだけだった。ナートは先程と変わらぬ表情でパンをほおばっている。

「小さい里でも、顔も名前も知らない人間はいるんだろう?」

「だが、子供は大人よりも数が少ない。それに、赤毛の子は、ナートを知らなかったんだろう。ティサに住んでいて、そんなことがあるか?」

「あったんじゃないの? 昨日の子が、そうだ」

「俺は、探りを入れるために外部から来させられたんじゃないかと思っている。――里の外に、ナートの存在が漏れたんだ」

「いずれは知られるよ。隠し通せるものじゃないからね」

「ナート! 自分のことなのに、どうしてそんなに素っ気ないの」

 声を上げたのはウルスタだった。彼女は、心配と不安に歪んだ顔をしていた。

「どうしてと言われても……今までよくあったことだからね」

 ナートは困った顔で肩をすくめる。

「……リアノスの言う通りだ。里の外に漏れてしまったんだろう。これからは、外から来る者が増えるかもしれない」

 ムカガは重いため息を吐いた。今後どういうことが起こり得るか考えたのだろう。

「ナート。もう待たなくていい。そんなことをすれば、行列がティサの外まで続くようになるだろう」

「じゃあ、僕はどうすればいいの。また神殿で眠った方がいいかな」

 まるで他人事のような言い方だった。ムカガはゆっくりと首を横に振る。

「少し前と同じだ。朝、アミシャに迎えに来てもらって、リアノスの畑仕事を手伝う。帰ってきたら、この家の仕事を手伝う。子供らと遊ぶ。今まで通りでいい」

「僕を、封印しないの?」

 ナートがきょとんとした顔で、ムカガを見返す。

「当たり前だ」

 その言葉に、ウルスタが大きく、何度も頷く。

「……ありがとう」

 それは、リアノスが初めて目にする、照れくさそうな表情だった。


   ●


 朝食の後、片付けを済ませたナートを連れて、リアノスは畑に向かった。最近はナートに付きっきりだったから、雑草抜きが追いついていないのだ。

「だから、ずっとそばにいなくていいって言ったのに。雑草だらけじゃないか」

 ナートはぶつくさと文句をこぼしながら、草を抜いていく。

「口より手を動かしてくれよ。今日だけじゃ終わらないし、やることはまだ他にもたくさんある」

 収穫期を終えた作物を抜き、次の種蒔きまで土を休ませなければならない。冬に向けての準備もぼちぼち始める時期だ。

 今年はどれくらい寒くなるだろうか。この辺りは、数年に一度、雪が積もる時がある。ナートが雪を見たことがなければ、きっと目を輝かせるに違いない。キーヒャたちと駆け回る姿が容易に想像できた。

「リアノス、いたのか」

「オスタムさん」

 リアノスがナートのそばに張り付いている間、畑は家族やオスタムに任せきりだった。今日は、オスタムが手入れをする当番だったようだ。

 ようやく静かになって雑草を抜いていたナートは、ちらりとこちらを見て、すぐに視線を手元に戻した。

「いつもの場所にいなくていいのか」

 オスタムが潜めた声で尋ねた。

「長の判断で、もういいだろう、と。その間、お世話になりました。ありがとうございます」

「……待ち構えているより、いいかもな」

 ナートの噂を聞きつけた外部の者がティサを訪れたとしても、よその畑には簡単に入ってきたりしないだろう。

 冬への準備もしなければならないが、ココリの収穫時期になったら、森へ入るのもよさそうだ。余所者は、ますます簡単には近付かない。

 ナートの力が発覚して、しばらくの間、里の中は浮ついていた。だが今は、以前の落ち着きを取り戻しつつある。

 平穏な日々が続けばよいが、とリアノスは思い、そしてふと、そういう願いをナートに叶えてもらったらどうなるか、と思った。

 しかし、頭を振る。ナートに願わなくとも、平穏な日々はあった。今もそうだ。

 封印前にあったらしい、彼の力を利用しようとする人々の騒動は、こんな辺鄙なところでは起こらないだろう。

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