09.予兆 2
「お疲れさま。ナート、リアノス」
ナートを訪ねる人々が少しだけ減ったある昼下がり、アミシャがかごを片手にやって来た。
「バッスキを焼いたから、持ってきたの」
小麦粉に蜂蜜や卵、砕いた木の実を混ぜてよく練り、一口大に丸めてそれを延ばして焼いたものが、バッスキだ。封印役として眠りにつく前、アミシャは時々作っていた。
「おいしそうだ!」
かごの中をのぞき込んだナートが歓声を上げる。
「家に戻って、ウルスタにお茶を入れてもらおう」
「うん。ムカガさんとウルスタさんの分もあるから、そうしよう」
「ナート、いいのか?」
「最近は訪ねてくる人も減っている。おやつの間くらい、構わな――」
嬉しそうな声が、ぷつりと途切れる。ナートの視線を追いかけると、木陰に隠れてこちらの様子をうかがう娘の姿があった。
「あの子の願いを叶えてから、だね。リアノスとアミシャは、先に行ってて」
「アミシャ、先に行ってくれ。俺はナートと一緒に行く」
リアノスはアミシャの背中を軽くして、ムカガ達の家に向かわせた。
「リアノスも行けばいいのに」
「すぐそこだし、ナートを一人にするわけにはいかない」
言いながら、リアノスは木陰に隠れる娘に手招きをした。
赤毛の髪を後ろで一つの三つ編みにまとめた少女は、木陰から出ると、おずおずといった様子でやってくる。彼女が近付くと同時に、リアノスはいつも通り、ナート達から距離を取った。
ナートの前に来た娘が何かを言い、ナートが頷く。少女の口元はなおも動き、ナートがちょっと首を傾げた。
リアノスのところには声が届かないので、二人がどんな話をしているのか分からない。ただ、願い事を叶えてもらう前のやりとりが、他の者達より長いようには感じた。叶えてもらうのが可能なのか、確認しているのだろうか。
それにしても、とリアノスは娘に視線を向けた。ティサの住人全員の顔と名前を覚えているわけではないが、赤毛のあんな娘が、ティサにいただろうか。アミシャと同じか、少し下に見える。
封印役の代替わり前にアミシャと仲が良かった少女達は、当然ながら今はすっかり大人になっている。目覚めた後のアミシャは、かつての友人達と話をすることもあるが、歳が離れ、暮らしぶりも変わってしまったため、かつてのような関係ではいられなくなっていた。その代わり、同年代の少女達と交流している。
なので、リアノスは自然と、アミシャと同じ年頃の娘達の顔と名前を覚えることになったのだが、その中に、赤毛の少女がいた覚えがない。
住む場所が離れていれば、小さな里の中でも滅多に会うものでもないので、リアノスが彼女の存在を知らない可能性も十分にあった。
そんなことを考えながら二人を眺めているうち、少女がナートの手を握り、離した。ぺこりと頭を下げ、来た時とは反対にそそくさとした足取りで去っていった。
「リアノス、終わったよ」
ナートの表情は、おやつを楽しみにしている子供のそれと変わらない。
「あの子と何を話してたんだ?」
「珍しいな。いつもはそんなこと訊かないのに」
ナートが軽く目を丸くする。
「……いつもとちょっと様子が違うかな、と思っただけだよ。俺の気のせいだったかな」
リアノスはごまかすように、アミシャ達が待っているムカガの家に向かって歩き出そうとした。
「僕のことを知らないみたいだったよ」
「何だって?」
「『あなたが願いを叶えてくれるの?』って確かめられたよ。見かけない子だったから、僕のことを知らなかったのかな」
だからナートが首を傾げていたのかと、その点については納得したのだが、リアノスは眉をひそめた。この里で暮らす者が、ナートの存在やその力を知らないなどあり得るのか。
「……他には、どんな話をした?」
「本当に願いを叶えられるのか、どんなことでも、何度でもいいのかとか、確認をされたね。でも、それだけだよ」
封印される前にも、そういうやりとりは数え切れないほどあったのだろう。ナートは気にした様子もなく、そんなことより早く戻ろう、と急かした。
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