08.原点 1

 彼が生まれたのは、貧しい村だった。

 物心ついた頃には既に空腹に慣れ親しんでいた。ぼろ布より多少ましな、ごわごわとした布を細い腰に巻き付けるそれが、村に住む子供の標準的な、衣ともいえない衣だった。もっと幼い子供は、裸でいることも多い。たくさんの衣が必要となるような寒さと縁遠いので、それでも十分だったのだ。

 空腹は慣れたものだが、慣れていれば消えてなくなるものでもない。水で腹を満たすのではなく、食べ物で腹を満たすのが、子供も大人も誰もが等しく抱えている夢だった。

 木の根をかじりながら、彼は自分より年上の子供に手を引かれていた。彼の兄姉ではなく、近くに住む遊び相手だ。

 その子と二人で掘り起こした木の根は、土を洗い落としても、まだ土のにおいと味がする。しかし、それでもいいから、噛むものがほしかったのだ。

「どうせなら、もっと甘ければいいのに」

 木の根をくわえたまま、彼の手を引く子がぼやいた。

 甘いものは滅多に口にできない。でも、それはこの上なくおいしいもので、ほとんど食べたことはなかったが、その味を彼はしっかりと覚えていた。

「……甘い」

 二人は、行くあてもなく、ぶらぶらと歩いていたが、彼の手を引く子が足を止めたので、彼も立ち止まった。

「甘くなった!」

「ぼくのはあまくないよ?」

「わたしのは甘いよ。ほら!」

 すっかり繊維がほぐれたそれを、彼に差し出す。くわえてみると確かに甘くて、彼は小さな目を見開いた。記憶している、数少ない甘みとよく似ていた。

 それが、彼自身は覚えていないが、初めて叶えた願い事だった。

 人の願い事を叶える力があるらしい、と分かるまでには、時間を要した。彼と手を繋いでいる時に誰かが何気なくこぼした願いは、叶ったり叶わなかったりしたからだ。

 けれど、同じようなことが何度か繰り返されるうちに、彼は不思議な力を持つらしい、ということに、周囲は気付き始めた。

 子供たちはこぞって彼の手を握り、木の根が甘くなってほしいとか、花の蜜をもっと吸いたいとか、ささやかなことを願った。彼が家にいる時に押し掛けてくる子供もいた。

 彼の両親は、無遠慮な子供たちをうっとうしがり、彼がなぜそんなことができるのか、不気味に思った。

「もしかして、食べ物を出せるんじゃないか?」

 ある時、ふと思い付いた彼の父親は、我が子の小さな手を握り、さらに山盛りの肉がほしいと願った。たちまちそれは叶い、両親は驚愕した。

「いいか、ナート。これからは、誰かがおまえに願い事を叶えてもらいたいと言っても、すぐに叶えちゃだめだ。絶対に手を握らせず、ここに連れてこい」

 父が何故そんなことを言い出したのか分からなかったが、親の言うことなので、ナートは素直に頷いた。今まで気軽に願いを叶えてきた子供たちでも、もう手を握らせるな、と父は言う。友達の頼みを断るのは心苦しかったが、母もそうしろと言うので、ナートは頷いた。

「ナート! お願いがあるの!」

 外に出ると、すぐに子供たちが集まってくる。今まではほとんど遊ばなかった、少し年上の子たちの姿もその中にはあった。

「……ごめん、だめなんだ」

 ナートは少し後ずさりして、両手を体の後ろに隠す。彼を取り囲む子供たちは、一斉に不満げな声を上げた。

「……ここじゃだめなんだ。でも、うちに行けば……」

 すぐに諦めてどこかへ行く子供もいるが、中には食い下がってくる子供もいる。そんな子供を、ナートは家に連れて帰った。

「ナート。子供は連れてこなくていい」

 ナートたちの姿を見た両親は、突き放すようにそう言った。

「いいか、坊やたち。ナートはもう子供の願い事は聞かないんだ」

 ついてきた子供たちは、ナートの父親に怖い顔で言われ、今にも泣きそうな顔で帰って行った。

 すぐに、ナートに願いを叶えてもらいたい、と大人が訪ねてくるようになった。両親は食べ物や金を受け取り、ナートの手を握ることを許した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る