はたごの池

桜零

はたごの池

 もう三年も前の話になる。まだ私たちが中学生のころだった。

 夏のとても暑い日、私は友達の佳代と一緒に近所の岩山に来ていた。


「ねえ、愛華、なんか気味悪いよ。もう帰ろうよぉ」

「何言ってんの。あんたの忘れ物取りに来たんでしょう。まったく、なんでこんなところに忘れてくるのかな」

「だってぇ」

 佳代は半ベソかきながら言った。確かに、あちらこちらに石像が群立するその様子は気味の良いものではない。怖くてひとりでは行けないと言うからついてきたものの、私も少し不安になってきた。反射的に二の腕をさする。

 しばらくするとお堂の前に到着した。

「あ、あった」

 どうやら目的のものを見つけたらしく佳代は駆けだした。彼女が手に取ったものを見ると、驚くことにそれは一連の数珠だった。

「なんで、数珠?」

「だって、私怖がりだからぁ。お守り代わり」

 あまり答えになっていないが、どうせ、最近ここに家族と一緒に参拝しに来て、でも寺とか気味悪いからお守り(数珠)を持って行った、などということだろう。不思議ちゃんの解読も、付き合いの長い私にはお手の物だった。

 無事目的を達成した私たちは山を下りた。木陰の外に出たとたんどっと汗が噴き出した。

「どうせなら向こう側をぐるっと探検してから帰らない?」

 突き刺すような日差しを厭うことなく、佳代は元気にそう言った。気乗りはしなかったが、結局彼女の提案に乗ることにした。

 水岩山の境内の西側にはあまり行ったことがなかった。でも確か、昔使われていた線路があるだけだった気がする。

「みてみて、お花がいっぱい!」

 だが、意外なことにそこには菖蒲の花に囲まれた池があった。

 わぁ、きれい、と佳代は駆けだす。

「ちょっと、佳代、あんま近づくと落ちるよ」

 カッタン カッタン――

「大丈夫だって。愛華もおいでよ」

 カッタン カッタン――

「もう、早く帰るよ。ここのほうが気味悪くない?」

 カッタン カッタン――

「えー、そんなことないよ。それよりこの花、なんていう――」

 それは一瞬の出来事だった。池からにゅっと伸びた細くて白い腕が佳代の足を掴み、そのまま池に引きずりこんでいった。

「佳代……?」

 そう呼んでも、聞こえてくるのはカッタンカッタンという音だけだった。

 春風のような心地よい風が私の頬をかすめて、遠くに見える菖蒲の花を揺らした。


 気が付いたら私は山のふもとの岩に寄りかかっていた。隣に佳代はいなかった。急いで大人を呼んで例の池に連れて行こうとした。だが、山の西側にあったのは古びた線路だけだった。

 念のため、付近も捜索したが私があの時見た池はどこにもなかった。それに、よく考えてみたらこの季節に菖蒲の花が咲くこと自体おかしなことだった。

 近所の大人によると、ここには大正時代の末頃に遠州鉄道の線路が敷設されることになって、埋め立てられた池があったそうだ。そして私は、その池にはある不気味な逸話を聞かされた。

 昔、江戸時代の初めごろに一人の女がいた。その女は嫁に行ったが、機織りがうまくできずとうとう離縁させられてしまった。そうして行き場を失った女は入水自殺をした。それが、周りに菖蒲の花が咲き誇るこの池だった。

「その池は、はたご池と呼ばれておったんだ。愛華ちゃんたちが見たのは多分それじゃないかな」

 そんな馬鹿な、と私は思った。いくら昔ながらの神社がいくつもある地域だとはいえ、そんなことが現代におこるなんてあり得るのか。

「じゃあ、愛華はどうなったんですか!その女の人に連れ去られたとでもいうんですかっ!」

「とはいっても……別の場所だったりしないのか?ほら、本当に池があったの?」

「もういいです!」

 佳代を一生懸命捜索してくれている近所のおじさんに八つ当たりしても、意味がないことくらいわかっていた。でも、私はそれほどにひどく混乱していて、そして戻ってこない佳代がどうしようもなく心配だった。


 その後、近所の人も警察も懸命に捜索したが、佳代が見つかることはなかった。

 生きているのか死んでいるのかも分からないまま三年の月日が経った。私は地元の中学を卒業して、今は浜松の町の高校に通っている。佳代と一緒に通おうと話していた高校だ。

 あの時私がすぐ佳代を連れ戻せば、そもそも回り道などせずまっすぐ帰れば、佳代は今も私と一緒にいたはずなのに。自責の念に駆られて思わずポロリと涙が落ちる。

「佳代……」

 夏の日差しが素肌を差す。体全体が脱力して、その場にへたりと座り込んだ。熱せられたアスファルトが膝に食い込んで少し痛かったが、そんなことはどうでもよかった。

 目の前には今はもう廃線となった鉄道の線路がひっそりと横たわっている。どこにも、季節外れな菖蒲の花は咲いていない。

「佳代……会いたいよ……」

 アスファルトに落ちる涙を見つめて、そうつぶやく。

 

 ふと、背後に人の足音がした。ようやく正気に戻り、ゆっくりと立ち上がった。

 影が近づいてくる。私は後ろを振り向いた。それと同時に影の主はこっちにかけてくる。

 そして、私に飛びついて言った。

「ただいまっ。三日ぶり?」

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