第8話

 インターフォンを押す指が震える。優花は緊張していた。ハルカの家は大豪邸ではないものの金持ち感が溢れている。ヨーロッパ風の建物にレンガの門まであった。

 深呼吸をして、やっとのことでピーンポーンという音を鳴らす。この音はどこの家も大差ないらしい。

 すぐに声があり、ハルカが出てきた。

「いらっしゃい」

 と迎えてくれたハルカは、ジーパンによく分からないTシャツ姿だ。それでも、スタイルの良いハルカには似合っている。

 そのまま二階に上がり、ハルカの部屋に入った。中にはゆうとが既に来ている。部屋も広く、優花のより二倍くらいはありそうだ。そこに大きめの本棚が鎮座している。でも中身は漫画か楽譜ばかりだった。なんかハルカらしいと感じる。

 その本棚の中段に、青いお皿があった。覗き込むと、それは鍵置きとして使っているようだ。その中に、一つだけ大きく錆びた鍵があった。何の鍵だろうと思ったが、あまりじろじろ見過ぎるのも良くないと感じ、視線を逸らす。

「指の調子はどう?」

 ハルカに言われ、そっと右手の人差し指を動かしてみる。ピクリともしなかった。

 優花は首を横に振ってみせる。

 ハルカは頷くと、

「じゃあ、その指は使わないようにアレンジするからちょっと待って」

 と本棚から楽譜を拾い上げ、鉛筆で何やら書き込んでいく。

 書き終えられた楽譜を見て、ハルカはやっぱり天才だなぁと優花は思う。ただこの手で弾けるようになっているだけでなく、新たな味が出ている。

 優花が頷くと、ハルカも返した。

「じゃあ、早速練習しよ。一回に防音のピアノ専用部屋があるから」

 そう言って、ハルカはそさくさと部屋を出ようとする。

「ちょっと待って」

 今まで黙って、ハルカと優花を見ていたゆうとが声を上げた。

「本当に文化祭で演奏するの?」

「もちろん。そうだけど」

 ハルカが当然のことのように答える。

「でもまだ許可も取ってないんでしょ」

「許可くらい何とかなるって」

「でもまた横川先生に何されるか分からないよ」

「ゆうと、」

 ハルカが珍しく、真剣なトーンになっている。

「分かってる。それでも優花はピアノが弾きたいって言った。私も同じ気持ち。だから弾く」


 3人は、舞台袖からブラスバンド部の演奏を聴いていた。舞台袖と言っても、体育館のステージ脇にある倉庫にいるだけだ。そのとき拍手が起こり、指揮者の夏目先生が一礼する。そして部員たちは各々の楽器を片づけ始めた。

 夏目先生がこちらにはけてくる。優花、ハルカ、ゆうとはそろって頭を下げた。

「良いの、良いの。もともと時間が余る構成だったし」

 優花たちは、ブラスバンド部の時間を分けてもらうことで演奏できることになった。

「それに、私もあなたたちのピアノ聴きたかったし」

 そう言うと、夏目先生は手を叩いて幕の裏に隠してあるグランドピアノの方へ歩いていく。3人もそれに続いた。そしてみんなでピアノを押し、ステージの中央まで持っていく。プログラムにない項目だと気づき始めた観客がざわつき始める。

 優花は期待感に胸を膨らませた。光の当たるステージに立つと、いつもワクワクする。自分のピアノに一喜一憂してくれる人がいるのだと。

 与えられた時間は次のダンス部の発表まで。大体15分弱。既にさっきまで3人がいた舞台袖では、ダンス部員がカッコいい英語の文字が入った衣装に着替えている。

「じゃあ、がんばってね」

 そう言うと、夏目先生が去っていく。ゆうとも優花とハルカに向かって頷くと、夏目先生に続きステージを降りた。

 優花とハルカは目を見合わせる。二人ともこれまでにない真剣な表情だ。今、この瞬間、このステージには、この二人しか立っていない。立つことが許されていない。その重量感がその場を支配した。

「おいっ‼︎何をやっとるんだ」

 ただ一人を除いて。怒鳴り声を上げながら、横川先生がステージに上がってくる。

 それは、優花とハルカの演奏が終わったことを意味した。

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