第6話

「ぅおいっ‼︎何をやっとるんだ、この馬鹿どもは‼︎」

 その叫びは横川先生のものだった。ピアノに集まった視線がそのまま体育館の入り口に移る。

 横川先生は両手に下げたビニール袋を放り出し、何やら叫びながらピアノまで歩いてきた。一歩進むたび、腰に携帯してある警棒が揺れる。

 そして強引に優花とハルカの手を掴み、そのまま二人をピアノから引き剥がした。それは一瞬のことで、優花は何が起きているのかまだ理解できていない。

「もう一度聞くぞ。何をやっとったんだ?」

「ピアノを弾いていました」

 とハルカが答えた。ここは正直になるのが得策と考えたのだろう。だが、横川先生は納得しなかった。

「そんなもんはわかっとるわ!」

 そう怒鳴ると同時に、ハルカの頬を掌で思いっきり叩いた。ハルカが倒れていき、尻餅をつく。

 優花はびっくりして、言葉が出なかった。途端に足が震え出す。

「北川、お前にも聞くぞ。何をしとったんだ?」

 その声は怒りに震えていた。何と答えても、ハルカと同じ目に遭うのは明白だ。でも、何か言わなければと思って必死に言葉を探す。

「あっ、あの。みんなの心が沈んでいたから、元気づけたいと思って」

「だからって、ルールを破って良いと思っとんのか‼︎」

 案の定、平手が飛んでくる。優花はただ目を瞑った。衝撃が頬に伝わり、体が後方に傾いていく。立ったままでいようと思ったけど、無理みたいだ。

 そのまま尻餅をつくと同時に、両手が体育館の床とぶつかる感覚があった。

 次の瞬間、右手に激痛が走る。運の悪いことに、突き指をした所で体を支えてしまった。思わず顔を歪ませてしまう。それを横川先生は睨まれていると感じたらしい。

「なんだその顔は」

 と言いながら、眉間に皺を寄せこちらを見下していた。

 侍が刀を抜く前のような静けさが、あたりを覆おう。

「何があったんですか?」

 そこに、明るい声が響いた。優花は体育館の入り口を見る。すると、夏目先生が小走りに近づいてきた。

 夏目先生が間に入ろうとする。それを横川先生が手で制した。

「この馬鹿どもがピアノを弾いてましてね」

 横川先生が胸を張って、電子ピアノを指差す。夏目先生はピアノを見て、キョトンとした。純粋にピアノを弾いて何が悪いのかと思っているのだろう。

 だが横川先生は気にも留めない。

「このピアノ、先生のですか?」

「いえ、これは優花ちゃんが持ってきて、音楽室に置いておいた物ですけど……」

 そこで、横川先生の目の色が変わった。それは獲物を見つけた肉食動物のようでもあり、客を得たピエロのようでもある。

 それは一瞬の出来事だった。

「北川!お前、こんなものを学校に持ち込んで、しかも音楽室に置いて夏目先生にまで迷惑をかけて。何を考えとるんだ」

「でも、これはクラスの出し物で使ったやつで………」

「言い訳は聞いとらんっ‼︎」

 その声と同時に、横川先生は腰から警棒を抜き出す。そして、すぐさまそれを天高く振り翳し、ピアノめがけて撃ち落とした。

 鈍い音があたりを漂う。

 おそらくこの電子ピアノが奏でた最初で最後の暴音だ。

「きゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ」

 ハルカが叫び声を上げる。

「何をしてるんですか」

 夏目先生が慌てて止めに入るが、もう遅かった。

 優花は一連の動きを、ドラマを見るように客観的に見ている。何も感じなかった。視界がモノクロになったように、世界から色という色が消えた気がする。

 さっきまでの高揚感や達成感はきっと幻だったのだろう。

 そんな中、鍵盤の外れた電子ピアノだけが紛れもない真実として、優花の脳裏に焼き付いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る