第5話

 次は何を弾こうかと考えていると、ハルカとゆうとが体育館に戻ってきた。

「ごめんね」

 それだけ言って、ハルカは再びピアノの前に腰掛ける。優花は、ハルカの顔が濡れていることに気づいてしまった。しかし、そんな事を考える暇もなく連弾が始まる。

 聴いている人が、再び始まった二人での演奏に期待を膨らませていた。

 優花は、さっきと同じようにハルカに合う音を探しながら弾いていく。しかし、今回は前とは違った。

 ハルカが、意図的に曲が壊れない範囲で音をずらしたのだ。

 そのせいで、優花はハモリを躱されてしまう。思うように弾けず、噛み合わないもどかしさが広がり始めた。

(なるほど、挑戦状か)

 アップテンポな曲の中で、ハルカは「合わせられるもんなら、やってみろ」とピアノで語りかけてきた。

 勇気が湧いてくる。

 これはピアノを弾いているときだけに現れる感覚だった。

(それなら、私は……)

 優花は奇策に出た。なんと優花もあえて音を外し始めたのだ。不協和音が体育館中に蔓延する。聴いている人たちも、眉を顰めたり、目を細めたりしていた。

 そしてハルカも、予想外の優花の応答に戸惑ったようだ。

(よし、良い感じ)

 次の瞬間。無秩序な音たちに規律が与えられた。強烈な一音一音が統制され完璧なハーモニーと化す。滑らかで、棘のない丸みを帯びた旋律。それは聴いている者の心になんの隔たりもなく入り込む。

 それが先ほどの不協和音と対比され、より強調されていた。

 ハルカを含めたみんなが驚き、そして直後に明るい光が溢れるのを優花は感じる。

 だが喜んでいたのも束の間。ハルカが次の攻撃へ転じた。

 ハルカが鍵盤を広く使い、優香を圧迫する。そして、ハルカの左手が次第に優花の右手に接近し、気がつけば優花のパートの一部をハルカが横取りをしていた。

 右手が手持ち無沙汰になり、優花は左手だけて縮こまって演奏する。対してハルカは両手を大きく広げ、鍵盤の上で躍動していた。

(負けてられない)

 優花は右手を、ハルカの左腕の下から忍び込ませる。そしてそのまま、本来ならハルカの左手が担当する鍵盤を叩いた。

 気づけば、手拍子が起こっている。体育館中が優花たちのピアノを中心に、一体化していた。

 ゆうとは観客に混じって、二人の演奏を聞きながら思う。今、二人は手をクロスさせて演奏していた。それは一見、パフォーマンスのようだ。しかし、実際はハルカの挑発に優花が完璧に合わせているだけだった。二人は協力しているのではなく、闘っているのだ。それでも曲が粗末にされることはなく、むしろ臨場感を増幅させているのは二人の実力故だろう。

 観客の注目もピークに達した。深く聞き入る者、熱く手拍子する者、快く音楽にのる者。三者三様の楽しみ方で皆、最大限に二人の演奏を楽しもうとしている。

 それをハルカも感じていた。優花が同じ高校なのは知っていたけど、一目見た瞬間から一緒に演奏したいと思ったのだ。そこには、嫉妬も劣等感も自己嫌悪もなく、純粋に二人のピアノを味わってみたいという気持ちしかなかった。

 そして今、ゆうとや体育館のみんなが二人の一音一音を聴き逃すまいとしている。実力に関係なくそれはピアニストにとって幸せな瞬間だ。ハルカは思う。きっと私だけではできなかったことだと。そこで少しだけど、優花に感謝した。

 そのとき、およそ人間の物とは思えない咆哮が体育館にこだまし、美しい音たちを踏み躙る。

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