真相

 唐突に、大袈裟なリアクションと共に会話に割って入ってきたのは、他でもない写真家である。

「写真家……さん」

「君ってやっぱり凄いね、その通りだよ。私が料理家さんの共犯……ってか、この事件の主犯だよ」

 彼女はそう言い放ち、さも当然の様に堂々と円卓に歩み寄ると、対面する椅子にゆっくりと腰掛けた。緊迫した空気が流れる。

「君があの施設に行くの止めるべきだったかなぁ……いや、やっぱそれは不自然だよね。先回って証拠隠滅しても院長が話したら私の事がバレるし、成り行きに任せるしかなかったな。いつから疑ってた?それとも施設で初めて気付いたのかな」

「決定的だったのは施設の記録を見た事です。ただ、それ以前にも色々と気になる事はありました」

「色々?そんないっぱいミスしてた?教えてくれるかな」

「まず一つ目は最初の目撃証言です。写真家さんは糸が105号室に勢い良く入っていくのを見たと言ってましたよね。現場検証の時に洗濯機を使って試行錯誤しましたが、どうしても再現出来なくて……巻き込みの速度が一定なので、大廊下を横切る時に糸が垂れてしまうんですよ。恐らく写真家さんの才能を活かす演出としての嘘だったんでしょう、それなのに貴女の証言は台本に沿っていたから、疑問に思っていました」

「なるほど、やっぱりあのギミックには無理があったよね。お察しの通り偽証だよ。実際に洗濯機を使って巻き取られた糸はドアの途中で垂れ下がってた。台本が見つかった時に再現性が高い方が良いかなと思って、そっちに合わせちゃったんだよね……他には?」

「二つ目は台本に設定されてるのがボクであること。写真家さんが偶々ボクの事を脚本家さんに話した事で第一発見者としてキャスティングされたとしても、単なる第一発見者として使われたボクが、事件のタイミングでちょうど配達を担当するなんて余りに都合が良過ぎる。偶然だと思いたかったけど、ボクの出勤日時に合わせてピザを注文するだけのことですよね。ボクの事を計画に組み込めるのは貴女しか居ません」

「うーん、そこも疑われてたんだ。運命的な、ロマンチックな再会って事でヒロイン補正掛かれば疑われなくなるとも思ったんだけど……悔しいな、ご都合主義すら許されなかったかぁ」

「三つ目は……これはかなり後になってから気付いた事で、本当にこじつけと言うかメタっぽくなっちゃうんですけど、台本の中の一人称です」

「一人称?分かんないなぁ、どういうこと?」

「『文化荘の殺人』において、キャラクター各々の台詞は一人称を分ける事で区別されています。写真家さんの一人称は漢字で“私”そして黒幕がメールで使う一人称も同じく“私”でした。もしかすると脚本家さんは無意識の内に、全てを仕組んだ真犯人が写真家さんである可能性に気付いていたのかも……と」

「あっちゃ~、そんなとこにもヒントあったんだ……私ったらダメダメだね。原稿もっと読み込むべきだったな、やっぱり探偵を演じる人は格が違うね」

「いや、こんな幾つも疑うべきヒントが提示されていながら、施設の資料を見るまで真相に辿り着けなかったボクに、探偵を名乗る資格はありません」

「謙虚だね……そういうとこ嫌いじゃないよ」

「そもそも料理家さんが自白をした時、なぜこのタイミングで暴走したのかをもっと疑問に思うべきでした。彼が初めから画家さんの自殺に思う所があって今回の事件を起こしたんだとしたら、5年も沈黙していたのは何故か?計画の準備期間にしては長いですし、脚本家さんが台本を書き始めたのも去年の夏頃、どうにも合わない気がしたんです。この数年の間に、料理家さんに何か変化を与えるキッカケがあったと考える方が自然です。つまりそれこそが写真家さんの接触だったんですよね?」

「うん、正しいね。それで合ってるよ」

「聞かせてもらってもいいかしら?写真家さん。貴女と画家さんの関係について……」

「いいけど、本当は気付いてるんでしょ?モデルさんは姉さんと長いこと一緒に過ごしてたんだから」

「姉さんね……気付いてるってのは才能の事かしら?確かにアナタの抜群の視力と瞬間記憶による神懸かりな観察力は、画家のそれと瓜二つだとは思ってたわ。かと言って、それが血縁関係による遺伝的なものだとは言い切れない。アタシは確信が欲しいのよ」

「それなら残念、私にも本当のところは分からないんだ。姉さんって呼んでたのは身の上が似てて歳上だったのと、彼女が私より何でも上手く出来たから。事実として分かってるのは姉さんが施設に拾われてから2年後に、私が同じ場所に棄てられてたってこと。そして私達は幼い頃から一緒に過ごして、お互いの秀でた才能に気付いていた。それが一般的じゃないってことにもね。だからきっと二人とも同じ親から産まれて、似た様な理由で棄てられたんだろうって考えたんだ」

「多分その予測は当たってますよ。画家さんを起点に始まった寄付金は彼女が施設を出て2年後に途絶えたらしいです。ちょうど貴女が施設を出た時期に当て嵌まります」

「まぁそうだよね。けど個人的にはもっと確実な証拠がある。料理家さんの反応だよ。私と会った瞬間、強烈に動揺してた。彼の才能を信用するならだけど、私は姉さんと同じ匂いがしたんだってさ。説明を付けるとしたら、似た遺伝子配列による分泌物の一致とか?とにかく彼は説明するまでもなく私を画家の姉妹だって確信して、私の言う事は一切疑わずに全部信じてくれたよ」

「それは何よりも信頼に足る根拠だと思うわ。そう、貴女が……画家の妹なのね」

「ったく碌でもない親だよね。一回目で認知出来なかったのに2人目産むなんて。しかも何?せめて一緒に居させてあげようって?優秀過ぎる姉さんが邪魔で、私は絵を諦めて写真を選ぶ羽目になったんだよ?ホント最悪」

「そんな言い方……仲良かったんじゃないんですか?彼女の自殺への復讐で今回の事件を計画したんじゃ……」

「はぁ⁉︎んなわけないじゃん、姉さんは目の上のたんこぶだよ。死んだって聞いたときは口惜しかったけどね、二度と越えられないんだろうなって」

「じゃあ、どうして」

「話せば長くなっちゃうなぁ」

 そう怠そうに返しつつも、彼女はつらつらと語り始めた。

「そもそも姉さんが自殺した理由なんだけど、それはモデルさんが原因。あんたと初めてフランスで会ったときに一目惚れしたんだって。姉さんが施設を出てから時々、私宛てに手紙が届いたんだけど、ほとんどあんたの美しさを讃美する様な内容ばかりだったよ。出会えたことに感謝したり、一緒に居られて幸せだってね。けど偶に自己嫌悪の文章が混じってた。幾ら描いてもモデルさんの美しさを描き切る事が出来ないって。姉さんはあれで結構、自分の絵の才能を信じてたから。どうしてもあんたの美しさを表現したかったんだろうね」

「そんなに……嬉しいわね。確かに彼女からアタシの肖像画をプレゼントされたこともあるわ。大切に部屋に飾ってあるのよ。他の人達よりよっぽど仲が良かったと思うけど、どうしてアタシが自殺の原因だと思うのかしら?」

「この手紙を読めば、分かってくれるかな」

 写真家は懐から数枚の紙を取り出し、円卓に置いた。それは古い手紙で、丁寧な字で以下の内容が書かれてあった。


『誰かの大切な人になるというのはどれほど大変な事か、ボクらはよく分かっているね。それは自分が誰かを大切に想うことよりも遥かに難しく、とても尊い事なんだ。真に想い合える仲なんて、この世の中にそう多くはない。一般的なペアの殆どが、表面上の利害関係の一致を愛と履き違えているとさえ思うよ。ただ奴らは自身の愛し合ってる状態に惚けているから、真実の愛を求めるボクみたいな輩の事をバカにするんだ……そう、ボクは自分が愛されなくても、大切にしたいと思える人を見つけてしまった。前にボクを好きだと言ってくる料理家の話はしたよね。彼をぞんざいに扱ってしまうのも彼女が理由なんだ。あんなに愛される事を求めていたはずなのに……自分の気持ちと比較すると、どうしてもさっき書いた様な、低俗な好意にしか感じられない。それがどれほど純粋だとしてもね。こうなるともう、自己満足の域だよ。でも世界は結局のところ、自分の主観でしか観測し得ない。純粋さで比較するなら彼の想いは……そうだな、子供らしい純粋さだと思う。自惚れかも知れないがボクの想いはもう少し達観してるから、これも釣り合わないね。確認する勇気はないけど、ボクは彼女がただ共に過ごさせてくれることを愛だと思い込めるくらいには彼女の虜になっているし、実際それで良いんだ。ボクは何も求めない。ただ彼女の存在がどれ程のものか、それをボクに与えられた才能の全力でもって表現できれば満足だったんだ……しかし彼女はズルいよ。今回わざわざこうして赤裸々に自分の想いを書いたのは、彼女の存在に不穏な要素を感じたからだ。どうやら彼女は、周りの誰からも大切な人として扱われているようなんだ。思案した結果、きっとそういう才能なんだろうと結論が出た。他人から大切にされる、愛される才能……ボクらが捨てられたのは運が悪いんだと思ってたけど、多分違う。他人と比べても明らかに優秀なボクらだけど、きっとその才能だけが足りなかったんだ。彼女は、会う人全てを魅了する。そして皆んな、彼女を大切にしたくなる。そう考えたら、ボクはもしかすると一種の被害者なのかも知れない。怖いんだ。この数年、崇高なつもりでいたボクのこの気持ちが、ただ彼女の才能に影響されただけと思うと……でもその疑念を持ってしても、彼女を描くことを止められない。万が一、彼女に認めて貰えたら。万人からの愛情を受けながらそれら全てを受け流し、誰にも自らの愛情を与えることのなかった彼女から、真に想って貰えたなら。もうギャンブルと変わらないよ。これだけ注ぎ込んでしまったらもう、引き返せないんだ……』


 読み終わった時に浮かんだ言葉は、徒労。そして微かな……思春期特有の感情。言葉選び等から、確かに知性や精神年齢の高さを感じさせる文章ではあった。しかし逆に、他人と自分を比較したり気持ちの矛先を迷っている様子からは、まるで中学生のする片想いの様な、何処か未熟な印象を受けた。

「姉さんは文化荘に住み始める前から、モデルさんを描く事をライフワークにするって決めてたみたい。他のモチーフに全く魅力を感じなくなったって。一種の洗脳だよね。ずっと苦しかったみたいだよ、再現不可能な美を前にしながらの生活。毎日毎日、自らの表現力の限界に挑み続けて……天国と地獄って感じ?」

 写真家は戯ける様に笑ってみせた。ボクは必死に理解しようとするが、どうしても頭が追い付かない。彼女の語る内容は、確かに表現者にとってはごくごく身近な苦悩である。ただ今まで、そこまで思い詰めた経験が無いからか、自分の感覚とは乖離していて、どうしても結び付かない。そしてモデルの静かな呟きは更にボクを悩ませた。

「甘いわね……なまじ頭が良かった為に精神は早熟だったらしいけれど、そこから伸びなかったのかしら。誰にも愛を与えなかったですって?アタシが一番愛を注ぐ必要があったのは自分の才能よ。だからこそ愛された。その上で他の誰にも平等に接したわ……」

 マズい。相手を刺激する内容だ。もし怒らせて暴走したら……と考え一瞬ヒヤリとしたが、写真家から特に反応は無かった。モデルにしては珍しいボソボソとした呟き声は、対面にいる写真家の耳にまでは届かなかったらしい。一安心して声を掛ける。

「あの……モデルさん?」

「あら、失礼!あのコにそんな情熱的な一面があったなんて……アタシ、感動で泣いてしまいそうになるわ。彼女は芸術家としてのプライドに追い詰められた末に、自殺を選んでしまったのかしら?」

「いやいや、姉さんは流石にそこまで根性無しじゃないよ。ただ、ある一つの答えに取り憑かれちゃったんだ」

「答え?」

「『手繰り糸』の舞台があったでしょ?あの舞台の結末……憶えてる?クライマックスでモデルさんが、登場人物全員から愛の言葉を囁かれて求愛された時の返事」

「えぇ、勿論。――まずはっきりと言っておきます。アタシは誰の物にもなりません。皆さんの振る舞いを見れば、アタシの美しさがどうあっても皆さんの愛情を誘う事は疑いようの無い事実。それは謹んで認めましょう。しかし愛されたからといって、愛し返さなくてはならないなんて理屈はないわ。アタシは望んでこの美貌を持ったわけではなく、天から与えられただけに過ぎない。アタシは自由を愛していますの。ですから皆さん、どうかアタシに愛されようとしないでください。アタシはこの美しさを纏ってただ生きているだけで、誰かを誘惑したいわけではありません。仮にアタシのこの言葉で生きる希望を喪うという方がいらっしゃるのでしたら、それはアタシのせいではなく、その人自身の執着によるものだということを、しっかりと理解していただきたいわ――」

 舞台の台詞。そう理解して聴いていても、彼女の謳うマルセーラ じみたその台詞は、彼女の生きた言葉としてボクの脳内に響いた。圧倒的な迫力。一方で写真家は、モデルの言葉が終わると余韻すら感じさせず静かに切り返した。

「そう、その台詞なんだよ。姉さんが死んだ原因は」

「何よ。どういうこと?」

 モデルは興を削がれたように食い下がる。

「姉さんは舞台でその台詞を耳にして、自分の行為があんたへの執着に過ぎないと気付いたんだ。そればかりか、何年もモデルさんを描き続けているうち、いつの間にかモデルさん自身の美しさを表現することを諦めている自分にも気がついた。姉さんはね、ずっとあんたのデスマスクを描き続けていたんだよ。そうして自分が作品を描く度、自分の中であんたを殺している事を自覚した。そしてその事実を、執着という言葉に結び付けたんだ。つまり自分がライフワークと信じていたものは、モデルさんを殺して自分のモノにしたいという独占欲の、代替行為に過ぎないと結論付けた」

 椅子に深く腰掛けてゆっくりと話す写真家の姿は、さながら犯人を前に事件の推理を語る探偵のようだ。ボクはもはや、ただ彼女の話を聞いていることしか出来なかった。常人に理解出来るはずがない。提示された画家の思考は極めて論理的な構築を見せながらも、明らかに展開は破綻している様に思えた。

「彼女は料理家に貰った大量の毒物の事を考えた。純粋な趣味、ただのコレクション。それを使えばモデルさんを確実に殺す事が出来る……この屋敷で起きる事件はほとんど自分の手で解決してきた。信頼もある。料理家は言いなり。ミスで毒物の付着した食器を使ってしまったと、事故に見せ掛ければ……彼は全てを察して、身を挺して庇ってくれるに違いない……」

 モデルさんがごくりと唾を飲む音が聞こえた。

「完璧な計画だよね、流石は探偵って感じ!けど姉さんは、心底モデルさんの事を愛してたんだ。揺れに揺れて、結局どうにも自分を抑えられなくなって。このままじゃダメだ、なんとかして止めなきゃって考えて……けど、モデルさんを美しいまま保存したい。それが自分の人生の目標だから。そうして悩み抜いて、結局は自分の時間を永遠に止める事にしたんだよ」

 淡々と話し続けていた写真家はそこまで語るとやっと、話すのをやめた。

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