結末

「素晴らしい話だったわ……ありがとう、漸くアタシを残して死んだ彼女の気持ちを理解する事が出来たわ」

 モデルはそう礼を言うと、涙を拭った。彼女の感情が読み取れない。悲しみか、それとも自分がそれ程までに求められた事に対しての喜びか……

「画家さんの自殺については分かりました。では今回の事件の動機は一体なんですか?」

「個人的な挑戦……かなぁ?」

「挑戦?」

「さっきも言ったけど、姉さんは私にとって越えるべき壁だったんだ。私はどうしても姉さんに勝ちたかった。けど彼女は既にこの世にはいない。だからモデルさんを利用して、彼女に勝てないかなって考えたの」

「それじゃ、やっぱりモデルさんを殺そうとしてたってことですか?」

「確かに最初は殺そうと思ってたけど、途中で考えを変えたんだ。本来モデルさんを独占する事が目標であって、別に殺す必要はないって気付いたんだよ。姉さんは絵で表現し切れなかったから、そういう思考に陥っただけ。その点、私の表現方法は写真だからね。シャッターを切れば現実を時から切り離して永遠に、完璧に対象の美を保存できるんだよ」

「確かに写真家さん、よくアタシのことを綺麗に撮ってくれてたわね。そういう理由だったのね」

「えへへ、まぁね~。最初に文化荘で見た時、ビビッときたんだ。手紙で姉さんが褒めてたのは、全然大袈裟じゃなかったって。長い時間掛けて準備して来て良かったって心底思ったよ」

「長い時間……てどれくらい?」

「姉さんの自殺を知って、大学に通い始めてからだよ。元々推理小説が好きだったから、どうすれば姉さんが殺せなかったモデルさんを殺せるか考えて……姉さんと親しかった料理家さん経由で文化荘の住人になる事までは確定してたけど、捕まりたくなかったし、部外者の第一発見者を作り出して、その人と第一発見者の立場を共有して、捜査側の立ち回りをしようって考えたの」

「え、じゃあ2年でボクに話し掛けてくれたのって……」

「大学で知り合った誰かを使おうとしてたんだよね。ちょうど毒がトリックになってる推理小説読んでた君も候補に入れたんだ。講評の時から、頭もそれなりに回るなって目星はつけてたよ。他にも何人か候補は居たけど、このタイミングに近所でデリバリーのバイトしてたのは君だけだった。本当にありがとね」

 彼女はそう言うと悪戯っぽく笑った。あの時、知り合った事すら計画の一部だったとは……想像を遥かに超える規模の壮大さに眩暈がしてきた。

「大学生のうちに料理家さんと接触して、そこからじっくりと少しずつ、嘘の情報を伝えていった。遺書があって、『手繰り糸』のジェンダー表現にショックを受けてたこと……彼は面白いくらいに信じてくれた。そもそも、脚本家と俳優を罰しようって言い出したのは彼だったんだよ。アイツらも反省させなきゃダメだって」

「やはり、計画をそのまま話して協力させるのではなく、料理家さんが勝手に暴走する様に誘導して操ったんですね」

「私から持ち掛けるのは利用してる感じが強くて嫌だったんだよね。それにこういう、人として一線を超えちゃうような事は、自発的にやって貰わなきゃ信用できないじゃん?」

「台本に関してはどうしたんですか?今の話だと料理家さん個人の意思として殺意があった事になります、それだと脚本家さんは当然、自分の危機に気付いてしまう……台本が書かれなければ事件も始まらないですよね」

「あぁ、アレね。そうそう、君の推理はかなりイイ線いってたよ!自分から書くように焚き付けた……けど、脚本家さんが台本を書き始めた動機は贖罪の為なんかじゃない。もっと不純なんだ。料理家さんが姉さんの自殺の真相を伝えた時、脚本家さんは納得しなかった。根拠となる私の存在が伏せられてたから、純粋に彼が推理して真相を導き出した事になってたんだよね。脚本家さんは自分の才能で辿り着けなかった真相に、ただ画家に想いを寄せていただけの料理家さんが先に辿り着いた事を認めたくなかったんだって。だから俳優さんを使ってもう一度、姉さんが死ぬまでに至った心理状態を解き明かそうとした。料理家さんの語る真相と自分の才能による検証結果をぶつけて、どちらが正しいか証明しようとしたんだよ」

「そうして生まれたのが『文化荘の殺人』……」

「とんでもないエゴだよね。そして既に存在しない人間の行動原理に迫るには、話の舞台も登場人物も、他の要素を全て現実に合わせて忠実に想定する必要があったから、脚本家さんは台本を書く前準備として、周りの人達に取材を始めたんだ。警部さんから新米警官さんの話を聞いてたのも、その一環だったはずだよ。その後、引っ越してきた私にも取材をした。彼が想定した私は無邪気で純粋な写真家であって、事件の黒幕じゃなかった。誰の思惑で事態が動いてるか、少なくとも台本を書き始める前の、当時の彼は全く気付けてなかったと思うよ」

「あの台本にボクが設定されてるのも、貴女が発見者のキャラクターとしてボクのことを提案したからですね」

「文化荘に憧れていて、突然事件に巻き込まれる不憫な青年。ぴったりでしょ?」

 写真家はまた、悪戯っぽく笑って見せた。

「私は元から料理家さんに全部の罪を背負って貰うつもりだったし、モデルさんを殺せれば姉さんを越えられると思ってたから他はどうでも良かったんだけど、ここの人達から姉さんの話を聞いているうちにどうしても我慢出来なくなっちゃったんだよね。勝手に自滅しただけの姉さんが、最大の謎として文化荘に君臨してるのが許せなくて……だから最高に難解な事件を作り上げてやろうって、どんどんアイデアを盛り込んでいったんだ」

「その時まではまだ、アタシを殺すつもりでいたのね?」

「そうだね。けど文化荘でモデルさんと過ごして1年も経たないうちに、寧ろモデルさんを独占したいって気持ちが芽生えて来たんだ。だから途中で計画を変更して、モデルさん以外の住人を排除しようって決めたの」

「じゃあ、音楽家さんは事故で巻き込まれたわけじゃなく……」

「うん。料理提供の時に私が、モデルさんと音楽家さんのプレートを入れ替えたんだ。だからあの時、料理家さんは本当に驚いてたよ。直ぐに色々と悟ってくれたみたいだけど」

「あくまで、直接手は下してはいないかと思ってましたが……脚本家さんに毒を注射したのも、料理家さんじゃなく貴女ですね?病院の警備を潜り抜け、毒物を注射して帰ってくるなんて、余りに無茶です」

「御名答。モデルさん以外を排除するって決めた時に、出来る限り自分で手を下そうって思ったんだ。料理家さんは俺が直々に殺してやるなんて息巻いてたけど、厳重な警備の中で都合良く病室まで忍び込んで注射とか、出来るわけないじゃん。1時間くらいで効く毒を用意しておいて、脚本家さんが救急車で運ばれる事が確定してから、君と音楽家さんがリビングを調べてる間に私が廊下で注射したんだよ。料理家さんは病院に救急車が到着するのを確認するって名目で待機させて、ファックスの送信が一通り済んだら駐車場のカメラに映って帰る。囮役を引き受けて貰ったんだ」

 鬼畜――愉しそうに、冷酷な計画について話し続ける彼女を表現する言葉はもう、それしか思い付かなかった。

「毒に関しては君が気付いてくれるかと思ったのになぁ、『反作用のレシピ』は私達の思い出でしょ?わざわざネタまで合わせたのに」

「ご親切にどうも……料理家さんの話を聞いた時に、しっかり思い出してましたよ。トリカブトのアコニチン系カルロイドとフグのテトロドトキシン……それぞれ神経細胞に作用する猛毒で、特効薬や解毒方法の存在しない劇物。本来は接種から短時間で麻痺などの中毒症状を発症するが、前者はナトリウムチャネルを活性化し後者は抑制する為に、同時に摂取することで作用が拮抗して時間差で死に至らせることが可能……」

「流石、しっかり憶えてるじゃん」

「はは……けどまさか、脚本家さんの毒殺が1時間前に確定していたとは思い至りませんでしたね。撲殺し損ねたと思い込んでいたものですから」

「そういうの有耶無耶にする為に色々仕組んだからね。怖かったのは注射器を持って過ごしてた間かな。料理家さんが時間通りに帰って来ないからソワソワしちゃった。まぁアクシデントは付き物だよね。お昼ご飯の前に厨房で注射器を渡した時点で、状況証拠から彼が全ての犯人って結末は揺るがないものになったけど」

「結局、モデルさん以外の住人を排除して、貴女の目的は達成されたんですね」

「え?そんなわけないじゃん!ちゃんと話聞いてた?私の最終目標はモデルさんの美しさを完璧に記録し続けることだよ」

「あら。じゃあアナタは、アタシの専属カメラマンになりたいの?」

「うーん、本来はこんな告白しなくても、自動的にそうなるかなって思ってたんだ。著名人が3人も死んだ事故物件に住みたがる人なんてそうそう居ないだろうし、事件から暫くはモデルさんと2人っきりで過ごせると思ってたから……」

 写真家は鋭くボクを睨み付ける。

「ちょ、まさかボクまで殺す気⁉︎」

「最初はそうしようかと思ってたんだけど、もう事件から2ヶ月以上経っちゃったし……全部話しちゃった今、君を殺すメリットが少ないんだよね。だから暫くここに棲んでいいよ。ただ一つ条件があるんだ」

「な、なに?」

「この事件の真相を、しっかりと小説にすること」

「あら、そんな事したらアナタ捕まっちゃうじゃない!ダメよそんなこと、許さないわ」

「え、モデルさん……?」

「小説家さん、確かにアナタの才能も稀有なものだと思うわ。でも申し訳ないけど、このコには敵わない。彼女には間違いなく画家と同じ血が流れてる……アタシには分かる。アタシがどうして海外で画家を探して、文化荘に呼んだと思う?アタシはね、自分の美しさという才能が、時間と共に劣化する儚いモノと理解していたの。だから画家さんに私の美を永遠に残して貰いたかった。けれど彼女は死んでしまった。写真家さんの目標はね、そのままアタシの悲願でもあるのよ」

 モデルは潤んだ目で写真家を抱き寄せる。写真家はフッと微笑んだ。

「大丈夫だよ、モデルさん。彼は私を告発できない。彼がいくら小説で事実を書いてもそれは結局、単なる想像の産物に過ぎないの。なぜなら現実では既に料理家さんが全ての罪を認め、裁かれているから。アタシが彼に話して聞かせたのは全部、姉さんに勝てずじまいだった悔しさや僻みから考え出した嘘。仮にアタシが本当にさっき話したみたいにサイコパスな殺人鬼だったとしたら、小説家さんを生き残らせてこのまま小説を書かせるワケないよね?」

「詭弁だ。ボクが生きているうちは逆説的にキミが無罪だって?」

「私は小説を面白くするネタを提供しただけだよ。それよりもモデルさんに想いが通じて嬉しいなぁ、こんな形で独占出来るなんて。正直に気持ちを伝えて良かった」

「アタシも、ずっと不安だったのよ……これで漸く、安心出来るわ」

「あぁそうだ、小説家さん。さっきは暫くって言ったけど、ずっとここに住んでいいよ。こうしてモデルさんと通じ合えたから、もう外野に誰が居ようと関係ないし……」

「ふふ、そうね。小説家さん、きっと面白くて素敵な物語を書いてくれるよわね……」

 そうして彼女達は、互いに強く抱き締め合った。その姿は、決して傷つける事を許されない神聖な存在のように、ボクには見えた。


――数十年後

 事件の真相が明かされた日から、ボクはがむしゃらに執筆を始めた。作品を世に出し続け、職業として小説家を名乗っても差し支えない程度の一定の知名度を得てから文化荘を後にした。そして今では田舎で独り、静かに物書きを続けている。

 一方の彼女達はというと、事件から数年の間に写真家は国内で何度か個展を開き、海外から招待を受けるほどの実力派の動物写真作家となり世界中を飛び回って活躍した。離れる事を不安がったモデルさんは彼女のマネージャーとして、行く先々へ同行していた。

 そして2人が何度か海外の遠征を済ませた頃、突然モデルさんは大々的に、写真集の出版を発表。カメラマンやロケ地の詳細が明かされることはなかったが、招かれた先で写真家が撮った写真を集めたものだというのは容易に想像がついた。本人がメディアに露出せずとも、写真という形で彼女の美は再び、瞬く間に世界を魅了したのだった。


 文化荘で過ごしている間、写真家からはずっと、早く例の小説を書くよう急かされたが、炎上商法みたいになるのが嫌だからと、作家としてのプライドを理由にそれを退けた。そんな啖呵を切った割に、ボクの作品はなかなか陽の目を見ることはなかったが、モデルさんはボクの才能を信じていつも温かい言葉を掛けてくれた。いつか事件に関しての作品が発表される事を期待しているからと、長い下積み時代を見守ってくれたのだ。

 実は文化荘の事件に関する原稿の大部分は、とっくの昔に書き上げていた。だが読み返す度に、修正したい衝動に駆られて手直しを続けていた為に、遂に彼女達にも一度も原稿を見せることは無かった。

 先に告白しておくが、ボクはこの小説を封印して、誰にも読ませないでおこうと考えていた。過ぎ去った事を悪戯に蒸し返し、世間の混乱を招くのが嫌だったから……違うな。本音を語ると、この話に散りばめられたものが自分にとって大切で仕方なくなったのだ。

 理解し難く、独り善がりな彼等の、それ故に甘美なそれぞれの真実。その果てに残った結果がどれほど残念で、誰の称賛も得られないものだとしても、ボクには愛すべきものだった。このまま誰にも知られないままで、自分だけの宝物にしたかったのだ。

 だが最近、例の事件のことを耳にして漸く、若いあの頃には気付けなかった繊細な、幾つかの要素に思いを巡らせる事が出来た。写真家の決意に関してもそうである。

 彼女はモデルの美が劣化を始めるその時まで、ずっと傍で記録を続けると語った。あのときはその言葉を、モデルさんが若さを保っている内に殺すという意味に解釈していたのだが、真意は違っていたようだ。写真家がモデルを美しいと感じる限り、その美は劣化したとは見做されない……そういう意味だったらしい。

 もう一つ考えた事がある。モデルさんに関しての疑念だ。彼女は写真家が文化荘にやって来た時、画家と写真家の関連を本当に気に留めなかったのだろうか?

 もし彼女が、料理家の言っていた通り、自らの美しさの為に文化荘を利用していたとしたら。かつての画家の気持ちにも、写真家の気持ちにも気付いた上で、それらを受け入れていたのだとしたら……恐らく彼女は万が一殺されたとしても、それで自分の美しさが永遠となるのなら、その結末に身を委ねたのだろう。

 そこまで思い至って、初めてボクはこの小説を作品として世に出すことを決めた。色々と手遅れではあるかも知れない。一度世間に広まった話は、例え嘘でも塗り替える事は難しい。ましてや、あの事件に関しては憶えている人も少ないだろう。ネットで調べればあの頃の記事は出るが、主犯として料理家が語った内容が一般的な事実として定着している。

 だが今回の一件でまた、過去の話が取り沙汰される事は避けられないだろう。それによって世間での、あの事件への認識がより一層混迷を極めるとすれば、それは見るに堪えない事だ。

 そう考えると例えフィクションとしてでも、この小説を公開する事が正しいと思えた。小説家として、探偵として、自分の持ちうる限りの才能を注ぎ込み、決して誰にも推し量る事のできない芸術家達の、気高き魂を昇華する為に。




――とある記事の見出し

【モデルさん死去 同居人の女性を死体遺棄の疑いで逮捕】

20××年9月2日、郊外の自宅にてモデル氏が死亡しているのが発見された(享年六十二歳)。ゴミの回収業務を委託されていた業者が異臭に気付き、不審に思い通報。警察官が突入したところ、屋敷内のベッドで女性の遺体を発見した。遺体には布団が掛けられた状態で腐敗が進んでおり、死後数ヶ月以上経過していたと見られ、警察は同屋敷内に居た写真家氏(五十一歳)を、同居人が死んでいる事を知りながら通報せず放置していたとして、死体遺棄の疑いで現行犯逮捕した。


                               【完】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る