動機

 “文化荘の殺人鬼”として世間を賑わせた料理家は、裁判の準備中で未だ拘置所にいた為に知人として面会を申し込む事ができた。


「面会時間は30分です」

 担当の職員の説明が終わり、刑事ドラマでお馴染みの透明な壁を挟んで料理家と対面する。あの日より痩けた印象。無理もないか……言葉を選び選び、会話を始める。

「面会に応じて下さってありがとうございます」

「いいよ。下手な記者の取材よりマシさ。小説にするんだって?何が聞きたいんだ?俳優殺しのトリックは新米警官にも細かく説明したぜ」

「えぇ。それに関しては彼から色々教えて貰いました。でも細かい点が納得出来なくて……まず、お聞きしたいのは脚本家さんの殺害に関してです。病室に忍び込んで毒物を注射したとありますが、打ち込んだ部位がくるぶしというのが疑問なんです。人目につかない様に犯行を行うなら、普通は点滴のチューブや首筋に打ち込むのでは?なぜわざわざ布団を捲って、足に注射しようと考えたんですか?」

「あぁ、それか……普通ってのは良く分かんねぇな。ただ昔見たサスペンスドラマで、くるぶしの注射痕は見つけ難くなるって事を聞いた覚えがあって、バレにくくしようと思ってそこに打ったんだ」

「なるほど……ありがとうございます。殺害の手口に関しての疑問はそれだけです。実際に起きた出来事の時系列もだいぶ纏まりました。ただどうしても、動機だけ……ボクの理解が浅いだけかも知れませんが、音楽家さんの最後の質問の答えも聞けてないから、具体的な核心が曖昧なので、しっかりと自分の中に落とし込みたいんです。改めてお聞きします。貴方が画家さんの死を、あの舞台に紐付けた根拠はなんだったんですか?」

「それは……どう答えるのが正解かな。遺書を読んだ、とでも言えば具体的な根拠になるのか」

「えっ!遺書があったんですか?」

「いや、例えばの話さ……遺書はないよ。すまないね、ここに来てから碌な物を食べてないから、うまく頭が働かなくてな。具体的……ねぇ。何から話そう。君は、誰かを好きになった事はあるかい?」

「は?」

 突飛な質問に思わず声が漏れる。料理家はボクのリアクションに構わず言葉を続けた。

「あの事件を起こした理由を物証とか、そういったものからアプローチしようとしてるならお門違いだ。だが明確な動機はあった。君が書くって言うからには、こっちとしても知っておいて貰いたいから話すんだが、万人に理解されるとは思えない。それでも良いのか?」

 料理家に見つめられ、ボクは静かに頷いた。例え理解の範疇を超えていたとしても、彼自身にとっての真実を知っておきたかった。

「どこから話すべきか……まず文化荘に住む事が決まったのは、モデルが管理人になるかどうかってタイミングだった。その頃の文化荘にはもっと、色んな面子が居たんだよ。今じゃ海外で大人気のストリートアーティストやら、占い師なんかも居たっけか……前の管理人の時までは、文化荘はその名の通り文化活動の保護と発展に大いに貢献していた。住人は気儘に自らの才能を発揮し、世界へ羽ばたいて行ったんだ。しかしモデルが管理人になってから、その実態は変わってしまった」

「変わったというと、どういう事でしょうか」

「住人が皆、彼女に熱を上げてしまったんだな。自由な表現の場であったはずが、モデルの評価を気にする様になった。彼女はあの館でまさに女王となったんだ。まぁ、言い方はキツいかもしれん。誰でも評価されたいと思う気持ちはあるだろうし、そういう象徴的な誰かを中心に愛憎渦巻く人間関係の中で切磋琢磨した方が、より文化的な……本来の芸術の気質には合ってるとも言える。彼女が文化荘に住んでから、彼らの作品は世間からますます評価されていた事も確かだ。俳優も脚本家も、全員が彼女に認めて貰いたいが故に切磋琢磨してたんだ」

「なんとなく……分かります。モデルさんの魅力。外見や振る舞いの美しさは勿論ですが、母性とでも言うのか、本能的に抗えない承認欲求のような……」

「流石、言語化するのが上手いな。本当にそうなんだよ、モデルの才能……俺様も彼女に魅了されていたうちの一人さ。彼女が海外旅行で屋敷を離れた時なんか、いつ帰って来るかと寂しがったもんさ」

 料理家は穏やかな目で語る。故郷の母親を思い出すような、温かい眼差しだ。

「帰国した彼女は、新しく文化荘の住人を連れて来た。それが画家だった。そして彼女との出会いが俺様の運命を変えたんだ。初めて画家に会った時の衝撃と言ったら、それこそ稲妻に撃たれたとでも言うのかな。彼女の漂わせる雰囲気、匂い……忘れられない。今でもこの鼻腔に残ってる」

 彼は今度はうっとりと、目を潤ませる。ボクは気付いた。彼の恋人。最愛の人。あの事件の日、円卓で音楽家に画家との関係を茶化されていた時、その反応はおちゃらけていてナンパな印象だった。しかし今、目の前で彼の語る言葉から伝わってきたのは純粋な想いである。紛れもなく画家こそが、彼の最も愛した人物だったのだ。

「驚いたのはな、彼女に逢うまで俺様はモデルへの感情がそういう、純粋な愛情によるものだと信じていたんだ。勿論、それまでの人生で適当な色恋はしてきた。だが俺様が人生でどんな時でも一番念頭に置いてたのは料理への情熱だった。だから普通の恋愛は二の次だったんだ。そしてモデルと出逢ってからは、人生を注ぎ込んだ料理の才能を振るって、彼女に喜んで貰えることが幸せに変わった。この人の為にもっと美味しい料理を……そんな風に、彼女に食べて貰える事が生き甲斐だと思い込んでたんだが、画家と対面した瞬間にそれが全部まやかしだったと悟ったのさ」

「なかなかに強烈な変化ですね。一般化するなら、新しく恋に落ちた事で直前まで好きだった人への興味が薄れたとか……そんな解釈でしょうか?」

「まぁ、そう受け取られるよな。客観的に見ても相違無い。悔しいがね。モデルの魅了は万人に通ずる、それはそれは強力なもんだ……しかし彼女のあの魅力的な振る舞いは全て、他者に向けられたものじゃないんだ。皆それに気付かずに好意を持ってしまう。彼女の愛を受けて、自分こそ選ばれたんだ、と思い込んでしまうのさ。だから誰もがそれに応えようとモデルに愛を注ぐ。確かに互いに愛し合えば成り立つのが恋愛さ。けれど、彼女が他人に振り撒く愛情は種類が違うんだ。そして俺様はモデルの魅惑を超え、画家の何かと通じ合った事でそれに気付けたんだ」

 彼の語りは益々熱を帯びた。この恋愛哲学が、一体どう事件と結び付くのだろう?

「画家も俺様と会った時、その何かに気付いたのは確かだった。だが画家は文化荘に来る前から既にモデルの魅了に掛かっていたから、俺様は見向きもされなかった。理由は分かる。俺様にはモデルに敵う魅力はなかった。料理を作り続けたが、相変わらず画家はモデルに執心し続けた。でも諦める訳にはいかない。画家との出逢いは間違いなく、運命だと信じていたからね。その内、画家は探偵として圧倒的な活躍を見せ始めた。あの洞察力があれば間違いなく彼女も、俺様の中に通じ合う何かを見出せるはずだと確信した。そして思った通り、暫くして画家は俺様にコンタクトを取ってきた。調理をしょっちゅう覗きに来て、言葉を交わす様になった」

「それで毒物のコレクションに力を貸す事に……?」

「あぁ。最初は廃棄で余る貝殻を胡粉に使いたいって回収するところから始まった。珍しい海外の貝だと普通は出ない面白い色味が出るって言ってね……それから色んな絵の具の話をしてくれたんだ。昔から使われていた顔料には人体に悪影響のある代物があった事。それらが今は規制が進んで入手し辛いこと。料理の為に化学も勉強してたから、彼女の欲しがっている物が精製出来ると直ぐに気付いた。それで初めは自分から彼女にプレゼントしたんだ。画家は驚いて、喜んでくれたよ。そしてそこから色々、仄めかされるようになって……彼女が雑談の様に話して、言われた通りの物を渡すのが暗黙の了解になった。嬉しかったね。自分が役立ってると実感出来た」

 ボクはただ静かに聞いて、それらをメモに取っていた。都合良く利用されているだけでは?と野暮な事は言わなかった。客観的に判断すると料理家のモデルと画家に対してのそれぞれの行為には差が感じられなかったが、彼の中では明確な違いがあり、その信条の元に話をしてくれているのが分かったからだ。

「だが残念な事に、画家は俺様と交流を始めてからも未だにモデルの魅了からは抜け出せてないようだった。彼女はよくモデルの肌や髪、瞳の色を表現する為に必要な技法や成分について頭を悩ませていたんだ。手助けしたい気持ちと嫉妬心でぐちゃぐちゃになったよ……」

 思わず料理家の表情を窺う。意外にも、彼は笑顔だった。

「相談に乗る形で、画家の絵を何枚も見せて貰った。生憎、俺様は絵画に関しては何の知識も無かったが、素人目から見ても彼女の絵はどれも様々な技巧を凝らして描かれた紛れも無い傑作揃いだと分かったよ。でもどれだけ褒めても、彼女は納得する事はなかった。彼女が求めていたのは他人からの評価じゃなく、自分自身の問題を解決する術だったからだ。当然、素人が有用なアドバイスを出来るはずもなくて、俺様に出来るのは相変わらず言われた物を作り続ける事だけだった……そんな中、あの舞台が幕を上げた」

「『手繰り糸』ですね」

「そうだ。あれは凄かった。全てがモデルの為に用意された舞台と言っても過言じゃなかったよ。脚本家が書いた台本はその心理描写、行動原理の再現性の高さから観客が登場人物に感情移入しやすいんだが、そこに俳優も音楽家も、彼女の魅力を最大限に引き出す演出を重ねたんだ。そうして作り出された万全の環境でモデルは遺憾無くその才能を発揮した……観ているうちに、また魅了されるかと思ったくらいだ」

「観に行かれたんですか?」

「勿論。画家と二人で観に行ったよ。帰り道、彼女はずっと悩んでいたね。自分が必死に模索していたモデルの魅力を表現する方法の最適解が、モデルをありのまま魅せる舞台なんじゃないかって。絵や写真じゃ本物には勝てないと悟ったみたいだ。当然慰めたよ。実物は劣化する、絵画はその美を保存出来る唯一の手段だとね」

「彼女は納得してくれなかったんですか?」

「その場ではある程度、落ち着いてはくれた。伝わり易い様に出来る限り論理的な言葉で励ましたから、彼女はナーバスになりながらも理解はしてくれたんだ。だが悲しい事に、どれだけ知的で理性的な人間でも一時的な不安に蝕まれる。頭の良い彼女なら尚更だ。自力で悩みを解決しようと内に溜め込みやすい……限られた情報から他人には予測出来ない色んな事実を推理する探偵の才能は、些細な出来事から未来に対する漠然とした不安を、明確な恐怖として捉え直す事すら可能にしていた。一般で言うなら杞憂ってやつだな。当然、未来なんて普通に考えりゃ分かるはずもない。分からないって事はそれだけ想像の余地があるって事で、ポジティブに捉えたらいつでも物事が好転する機会があるんだ。だが論理的に言えば、幸福になる可能性と不幸になる可能性が等しく存在しているなら、否定出来ない不安材料の方がより強い根拠となるから、不幸な未来の実現性の方が高いって事になる……分かるか?」

「悪魔の証明みたいなことですかね。ある未来に対してどれだけ万全を期していても失敗する可能性は残るし、不測の事態っていう不確定要素は幾らでも具体的に挙げられます。失敗から学ぶ事は出来るけど成功を収めた事例から成功を確定させる要素は得られない。失敗を防いだ積み重ねが成功だから……つまり現在から未来を予測する場合、論理的に思考すればする程、成功する想像はし難く失敗する想像の方が具体性を持って想像される訳ですね。幸福とか不幸は人それぞれの捉え方によると思いますが、大体そんなところではないでしょうか」

「うん、その理解で正しいな。画家は例に漏れず、論理的な思考を積み重ねた。その結果あの選択をするしかなくなってしまったんだ」

「モデルさんは、画家さんは自殺を選ぶほど馬鹿じゃないと言ってましたが……」

「その台詞こそ、彼女への理解が足りてない証拠だよ。画家がどれほど苦しんだかすら、想像出来てない……だから俺様はアイツらが許せなかったんだ」

「ではやはり、個人的な復讐が動機だったんですか?」

「違う。そんな独り善がりなもんじゃないさ……分かってるんだろ?その理由だと俺様が事件を起こすまで、こんなに期間を空けた辻褄が合わないと」

 彼の言う通りだった。彼の話が正しければ、彼には初めから画家の自殺の原因が分かっていた事になる。ならばその復讐はすぐさま行われて然るべきだ。しかし彼はそうしなかった。つまり事件を起こすまでの期間に、明確に復讐を決意する要因となった別の何かがあったはずなのだ。

「俺様は短絡的な復讐へ走る馬鹿じゃない。それこそ画家の自殺を冷静に受け止めた。願わくば、彼女の意志を継ぐ様に生きていこうと考えていた……だがな、それから暫くして信じられない事が起きたんだ」

「信じられない事とは?」

「彼女がまた、俺様の目の前に現れたのさ」

「え?それはどういう……」

「言葉通りの意味さ、彼女はわざわざ会いに来てくれたんだ。どれほど嬉しかったか!一度失った愛すべき人、本来ならもう二度会えない人に再会できるなんて、人生でこれ以上の幸福はないだろう!」

 料理家の目は一杯に見開かれ、瞳は爛々と光り輝いていた。ボクは気圧されながらも質問を重ねる。

「あの、それが事実ならば確かにその喜びは痛いほど良く分かります。けれど画家さんは記録でも間違いなくお亡くなりになられてますし……夢に出てきたとか、そういう話ではないんですか?」

「違う。彼女は存在してくれた。そして俺様は彼女の本当の気持ちを知る事が出来た。だからあいつらに復讐することを決意したんだ。ただ音楽家には悪い事をしたと思ってる、彼はあの舞台に音楽提供しただけだ。演出効果を増幅させはしたものの、直接的な表現や作品内容には一切関わっていなかったからな。俺様はモデルを殺すのが正しいと信じてたんだが……まぁ、彼女の願いはそっちだったってことだな」

「彼女の……願い?」

「時間です」


 理解不能な彼の台詞の連続にボクが茫然としていると、職員が面会の終わりを告げる。余りにも悪いタイミング……思わず食い下がった。

「ちょっと待って下さい!いつ、どこで会ったんですか?それだけでも!」

「寝惚けてた訳じゃ無いぜ。ラリってた訳でもねぇ。普通に仕事をしてた時に彼女は現れたんだからな」

「いい加減にしなさい!これ以上はもうダメです。面会終了!」

「お願いします!あと少しだけ」

「動機はなぁ、愛だよ愛!お前にもいつかきっと分かる時が来るさ!命を、人生を賭けても尽くしたい程に愛する人に出逢えればな!」

 興奮した料理家は押さえつけられながら叫び続けた。職員から睨まれ、これ以上の延長が許されない事を悟ったボクは、ただ黙って座っている事しか出来なかった。

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