アンコール
「ふぅ……」
書き終えた原稿に一通り目を通すと、溜め息をつく。事件が終わってからはや2ヶ月。ボクは“小説家”として、文化荘の104号室に引っ越していた。
最低限の荷物とベッド、パソコンに作業机と卓袱台しかない部屋の中でずっとパソコンに向かい、資料の山から必死に物語を紡ぎ出していた。
あの日、警察が到着してからの騒ぎは大変なものだった。当然と言えば当然だが、その場に居た全員が、警部や新米警官さんの時とは比べ物にならないほど厳しい事情聴取を受ける羽目になったのだ。一連の容疑者である料理家さんが大人しく捕まり自供してくれたのが不幸中の幸いで、ボク達は容疑者ではなく参考人として扱われたものの、それでも警察の取り調べは終わるまでにかなりの時間が掛かり、解放されたのは真夜中だった。
「夜の山道は危ないわ。泊まっていきなさいよ」
モデルさんにそう言われ最初は断っていたが、写真家さんからも
「そうしてよ……私は居て欲しいな」
と男心をくすぐる台詞でねだられたので、丁度空いていた104号室にその晩だけ泊まる運びとなったのだ。
次の日の朝、モデルさんから唐突に、小説家として文化荘に来る気はないかと尋ねられた。写真家さんからボクの作品に関しての話を聞き、事件中にボクを観察した上で何かしら才能の片鱗を感じ取ったという。
「貴方さえ良ければ、いつでもここに連絡して頂戴」
突然の朗報に戸惑いつつ、ボクはその日は大人しく自宅へ帰った。本来なら二つ返事で喜んで受ける申し出なのだが、大学を卒業してから職業としての作家活動を何ひとつ達成していなかった為に文化荘に住める喜びよりも、自分なんかが……という遠慮の気持ちの方が勝ってしまい、その場では返事を決めかねたのだった。
事件後のテレビは連日、売れっ子料理家の起こした凶行の報道で賑わい続けていた。実感できていなかったが、あの日亡くなった3名の被害者は全員、その界隈では世界レベルで著名な大物ばかりだった。演劇界、芸能界、音楽界、料理界にそれぞれ激震が走り、ネットにも様々な憶測が飛び交った。そして何処からバレたのか、一介の目撃者でしかないボクの生活圏にまでマスコミが押し寄せ始めてパパラッチが増え、そのうち自宅に脅迫めいた手紙が届く様になって漸く、全ての出来事が現実味を帯びてゆっくりと自分の中へ侵食してきた。
ピザ配達の仕事はクビになったまま、新たな働き口の当てもない。外の喧騒を避けて部屋に篭り、事件に関する碌でも無い記事を読み漁るだけの悶々とした日々が続いた。その内ふつふつと湧いてきたのは、この事件の記事をまともに書けるのはボク以外には居ないという自覚だった。そして気付けばモデルさんに連絡していた。
「書かなきゃいけないものが見つかりました」
「やっと決心してくれたのね。嬉しいわ」
「そちらは大丈夫ですか?マスコミとか」
「当然じゃない、ウチは聖域なのよ?アタシがお偉いさん方に頼んで報道規制も、住んでる人の情報も完璧に秘匿してあるわ。と言っても今は2人だけど……なに?アナタもしかして」
「えぇ、普通にモロバレで……」
「おおかた店長辺りに売られたんじゃないの?早くおいでなさいな」
不思議なことに、事件に巻き込まれただけで只の一般人に過ぎないボクの住所が早々に流出していたのにも関わらず、事件の舞台となった文化荘はテレビに映ることすら無かった。正確にはダミーの住所と建物の情報が流されていたのだ。ボクは初めて本物の権力というものを目の当たりにした気がした。
引っ越してからは必死に事件の情報を集めた。計画の骨組みとして利用された脚本家さんの台本を読み込み、それらを実際に起こった流れに沿って書き直した。そしてあの日、自分が体験した出来事を出来るだけ正確に思い出してあらすじを組み立てる。写真家さんやモデルさんへの取材は勿論の事、警部さんや新米警官さんにも頼んで協力して貰い、俳優さんが殺されてからの議論や捜査といった台本に無い部分も文字に起こす。脚本家さんの文章に負けないよう丁寧に、少しづつ書き出していった。
そして現在。ボクは行き詰まっていた。
「前半と後半のボリューム差が問題だなぁ……なんとかならないかな」
部屋に篭って書き続け一応形として出来上がった小説は、大まかに2部に分かれて構成されていた。被害者達が事件前夜に経験したであろう出来事を第三者視点で描き、それらを実際にボクらが体験した奇妙な舞台的展開に交えて描写する前半と、殺人が発覚してから事件の真相を解き明かそうとするサスペンス調の後半である。
前半部分は脚本家さんの台本を下地にしているお陰で、コミカルかつシリアスな良い塩梅に仕上がっていたが、後半からは情報量が減ってつまらない……というか、何度書き直しても読んでいてリズムが乱れている感が否めなかった。自分の力不足といってしまえばそれまでなのだが、どうにも不自然なのだ。時系列に従って描写していく上でサスペンス要素を強める為、早い段階から料理家を怪しんでいた警部の行動等、物語の結末を早々にネタバレしてしまう恐れのある情報は取捨選択せざるを得ないが、有り余る要素が盛り込まれて最高に奇天烈な筈の事件が、料理家ひとりの想いが暴走して起きた末の悲劇だったというのが、書いていてどうしても納得出来なかった。決定的な“何か”が足りない、或いは根本的に間違っている。そんなモヤモヤした感覚がずっと抜けない。
「……仕方ないか」
ボクは無理を承知で、思い切って料理家さんと面会することを試みた。
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