写真家の合流
「お疲れ様、そっちはどんな感じ?」
写真家は少し疲れた様子で尋ねてきた。
「一〇六号室に使われたトリックはどうやら台本の通りだと分かりました。そちらは?過去の事について何か分かりましたか?」
「ううん、特に進展なし。画家さんが性自認に何かしらの悩みを抱えていたかもって話が出た程度で、まだ何にもわかんない」
「なるほど……こっちにはどうして?」
「ちょっと気分転換、喋ってるだけじゃ性に合わなくてさ。こっちの捜査なら体動かせるかと思って手伝いに来たんだ。それに私、俳優さんの部屋には何度か遊びに来たことがあるし、前の状態と違う箇所があったら見分けられるから役に立つかなと思って。取り敢えず、ここの廊下は特に変わった箇所は見当たらなかったよ。ブレーキ痕みたいのから察するに、あの中型コピー機がドアのストッパーになってたのかな?リビングの大きなコピー機とセットで置いてあったものだから俳優さんの持ち物だね。けど滑り止め……付いてたかなぁ。うーん……あぁ、付いてなかった。前にリビングで見た時は設置面あんな浮いてなかったし」
「凄い……そんなところまで正確に憶えてるんですね」
「なんていうのかな、感覚で言えば写真見て比べてる感じだからね。えっと後は……リビングの断幕の種類も数も変化無し。やっぱり自殺なのかなぁ……部屋が開いた時に俳優さんはゆっくりと揺れてた。タイミングとしては首を吊った直後って事になるもんね」
「死亡推定時刻としては、その通りっす。でもきっと自殺じゃない。何らかのトリックによって首吊りの状態で殺されたんだと思ってるんす」
「へぇ、どうして?」
「遺体の右腕に残ってる痣がどうしても引っ掛かって……今その仕掛けについて考えてるところなんすけど」
「なるほどね、じゃあ何か手伝える事あったら指示して!」
「有り難いっす!今、リビングであの黒い糸を探してるんすけど全然見つからないんすよ。俳優さんの拘束に使われてたはずで、かなりの長さがある筈なんすけど」
「分かった任せて!あの糸って特徴的な光り方だし、すぐ見つけられそう」
「目が良いとそういった視点からも探せるんですね。頼りにしてます」
「一応、その俳優さんの痣ってのも見せて貰っていい?私も推理に参加したいから」
「了解っす。どうぞ、こっちです」
写真家は新米警官に誘導されて中央のベッドに横たわった俳優の遺体と対峙した。説明を受けながらしっかりと目を見開いて、彼女は意外にも淡々と俳優の遺体を観察し始める。モデルさんの言葉が効いたのか、動機の考察から事件への意識が変わったのか。ついさっき、首吊りの現場を見たショックで泣き崩れていた時とはまるで別人に感じられた。
「……って感じっすね。纏めると、時間経過で自然な首吊り状態になる様な仕掛けが施されていて、その仕掛けの痕跡が遺体に残った右腕の痣だと推測されるわけです」
「なるほどね、だから糸がその謎を解く鍵になるワケか……」
「そういう事っす!」
「ところでこの痣、細い線が同じ方向に並んでるように見えるけど、よく見たら違うね。ジグザグしてる」
「え?」
「ほら、一本ずつ交互に八の字に角度がついてるんだよ。それに皮膚が引っ張られてる方向も互い違いだよ」
新米警官と二人、急いで近付いてよく見てみる。言われてみれば、本当に微かにそんな気がする。新米警官は思い出したように胸元からピンセットを取り出し、その先の滑り止めの凸凹を目盛り代わりとして、痣の部分に当てた。
「本当だ。写真家さんの言う通り二目盛り分くらいずつズレてるっすよ!」
「凄いですね、ボクらが全く気付けなかった情報を一瞬で……」
「えへへ、もっと褒めてくれてもいいよ。もう一つ気付いた事があるから」
「なんですか?」
「俳優さんが寝かされてるこのベッドなんだけどさ、シーツの下に何か敷いてあるよ」
「え?マジっすか!」
「うん、シーツに透けて見えるけどベッドの模様に紛れて分かり難いと思う。捲ってみようよ」
言われるがまま男二人で急いで遺体を床に移動させ、シーツを捲る。するとそこにあったのは……糸。糸。糸。一〇六号室のトロフィーや洗濯機の中に巻き取られていたものと同じ、黒く光る細い糸である。ただ、今までに発見された時と明らかに違うのはその量で彼らの目の前に現れたのは、ダブルサイズのベッドの表面を埋め尽くすかという勢いで絡み合う夥しい糸であった。
「うわっ、これは……」
思わず絶句する。脚本家の件での前知識があったからそれが糸だと認識出来たが、それでも一瞬、怪談でよく耳にする呪われた髪束に見えてしまった。それ程に恐ろしい、強烈な印象。胸を騒つかせる得も言われぬ不快感は、集合体恐怖症のような生理的なものもあったがなによりも、見てはいけないものを見てしまったという直感的な嫌悪感の方が強かった。間違いない。俳優さんはコレによって殺されたのだ。
糸はチョコレートコーティングの様に床へと垂れながら幾重にもベッドの上を往復し、邪悪な繭の如く全体を包み込んでいた。ベッドシーツが床にはみ出すようにして被せられていたのは、恐らくこの大量の糸を覆い隠す為であったのだろう。その工作は警察の捜査を躱すには余りにお粗末な行為だが、推理小説好きの一般人と現場に初めて赴いた新米警官の目を欺いて、僅かな時間を浪費させるには十分だった。
そして今回もまた写真家の目によってトリックの残骸は見事、看破されたのである。
「流石っすね……自分達は完璧に見逃してたっす」
「うん、本当に凄い……」
感服しながら、ボクは写真家の現場検証による怒涛の発見の連続に自らの目の節穴さを恥じた。部屋に入って数秒、常人には発揮し得ない速度で状況確認や物的証拠の精査を終わらせる写真家の神業を目の当たりにして、勝てないと自覚した。
視覚情報を一瞬で、半永久的に記憶出来るなんて反則だ。彼女の才能こそ、最高の探偵に相応しい能力……どうやら新米警官も同じ感想を抱いたらしく、分かり易く肩を落としていた。彼女がこの場に来てくれたお陰で捜査は一気に進展したが、代わりに自分達がどれ程無能であるかも同時に証明された気がしたのだった。
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