一〇五号室の怪異

「……それまでに絶対に正体を突き止めて見せますから」

「ふふ、ありがとう。心強いわ……アナタ達も頑張ってね」


 モデルさんとの会話を終えたボクらは、引き続き一〇五号室の現場検証を行っていた。一〇五号室は事件当時、物理的に完全な密室だった。台本の中で、俳優は自ら部屋に鍵をかけ閉じ込められたフリをするのだが、現実では黒幕によって外から扉が施錠されたはずであった。

「モデルさんの持ってるマスターキーを使えば、この屋敷の部屋は全部外から施錠できるんすよね」

「けどあの鍵はずっと、モデルさんの部屋の金庫の中に保管されていたんですよ。金庫を開けるのもモデルさんにしか出来ません、仮に彼女が黒幕だとしたらそんな簡単に犯人と特定される方法は使わないはずです」

「それもそうっすね…他の方法を検討してみるっすか」

「そうしましょう。ところで俳優さんが自殺じゃないと思う根拠ってなんなんですか?」

「二の腕に変な模様のアザがあったんすよ。どうしても、何かしらのトリックの痕跡にしか思えないんすよねぇ」

「トリックですか……自殺に見せ掛けて殺されたと?」

「自分はそう疑ってるっす」

「もしそうだとすると、ややこしい事になりますね。俳優さんが殺害されたなら、脚本家さんより完全な密室殺人になってしまいます」

「しかも台本の通り部屋の中に鍵が残されていたっすから、一〇六号室の状況密室とは違って純正の密室になるっすね」

「うーん……この屋敷の鍵って、形は特殊だけどサムターンが付いてますよね?紐とか使えば外から簡単に開け閉め出来るんじゃありませんか?」

 ボクがジェスチャーして見せると、新米警官も直ぐに理解した様だ。サムターンというのは一般的なドアの内側にあるツマミの名称で、そこに紐状のものを括り付けて外から引っ張って回す、という手法は昔ながらの密室トリックにはよくある施錠方法である。

「あぁ確かに!試してみるっす」

 彼はそういうとさっき洗濯機から回収した糸を取り出してサムターンの先端に巻き付け始めた。この屋敷のサムターンは非対称の楕円形で、軸から先端に向けて細くなる雫の様な形状をしている。動作は半回転で施錠時には真下を向き、解錠時には真上を向く。

「あーこれ無理っぽいっすね。括り付けるとこまではいけるんすけど、力入れたら本体が回る前に逃げちゃいます」

 何度か挙動を見るが、楕円の形状によって糸の位置が安定せず、回す為に必要な動力が本体に伝わる前にするりと抜けていった。

「単純にはいかないですか……糸ってアイテムに引っ張られ過ぎたかな、別のアプローチを探しましょうか」

「そうっすね。あと自分、施錠に関してはコイツも怪しいと思ってるんすよ」

 新米警官は廊下に避けてある小型コピー機を持ち上げ、裏面を見せた。四つ角に黒いポッチが付いている。

「これは……滑り止め?」

「家具用のヤツっすね。これをドアの下部に噛ませて、つっかえ棒みたいにしてドアを塞いだんじゃないかと」

「なるほど、確かにそれは可能性として十分有り得ますね。試してみましょう」

 ボクはドアを閉めてコピー機の配置を確認する。玄関のタイルに残った黒いブレーキ痕の始点に合わせると、ピッタリとドアに張り付く位置だった。試しにドアを開こうと軽く引っ張ってみると……開かない。今度はグッと力を込める。すると力が強くなった分、コピー機は上手い具合にドアの下部と床に噛み合う形となって余計に、ピクリとも動かなかった。

「普通に開けようとしてもどうやっても開かないっすね。あとはどうやってこのコピー機を外から設置したか……」

「いえ、“鍵を閉めなくても扉を開けられなくする事が可能だった”今はこれだけ分かれば十分です」

「どうしてっすか?」

「施錠と比べて、その手段はあまりに豊富だからですよ。なんせこのドアの下には隙間がありますから、ドアを閉めた後で裏に用意しておいたコピー機を移動させて設置する方法なんてごまんとあります。例えばそうですね、それこそ紐で引っ張ってくるだけで十分です」

「なるほど、言われてみれば。じゃあその方法に関しては後回しで良さそうっすね。取り敢えずコピー機によってドアは塞がれた……と」

 新米警官は自らの仮説が一先ず立証されたのが嬉しかったようで、話しながらメモを取った。


「では本題へ向かいましょうか。俳優さんのご遺体の方を」

「そうっすね、こっちっす」

 リビングへと移動すると、異様な光景が目に入った。天井には舞台よろしく仕切り幕を吊るすための特殊な鉄柱が張り巡らされており、部屋の中は幾つもの時代を継ぎ合わせたようにある意味では分かりやすく、特徴的なアイテムで溢れ返っていた。

 よく観察すると、オブジェクトが置かれている周辺はそれぞれ雰囲気に合わせた空間を演出する意匠が施されている。骨董品は古びた木机に置かれ、近未来的な銀色の小さな丸机には使い方の分からない実験器具を思わせる小物が幾つも並んでいたりした。

 部屋の窓がある場所には夕焼けや月夜といった景色のポスターが貼られている。中世騎士の甲冑があるかと思えば、日本刀や兜が目に入る。タイムトラベラーが居たら、きっと倉庫はこんな風になるだろう。そう思うくらいありとあらゆる時代、場面がごった返して混在していた。

「これは……強烈ですね」

「あ、発見当時はこうじゃなかったっす。奥にある仕切りの断幕が全部こう……並んでて」

 新米警官は慌てて部屋の奥から断幕をこちら側まで移動させてみせる。順に仕切りを入れてみると、最終的に部屋は細長く五等分に区切られる形となった。混沌とした空間はいい具合に小部屋へと分割され、それぞれが小さな舞台として機能し始める。雑多な雰囲気も若干ながら緩和されたようである。しかしながら依然として、この部屋の異常さは拭い切れなかった。何人もの人々がシェアルームし、好みも年代も異なる様々な人間の手によってリフォームされ続けた末に出来上がった空間……そんな説明が一番しっくり来るだろうか。この部屋でたった一人の人物が生活していたとは到底思えなかった。


 そんな中、俳優の遺体は深紅の布を被せられて部屋全体で見て中央のベッドの上に横たわっていた。新米警官が近付いて手を合わせる。ボクも彼に倣い、手を合わせた。

「見て欲しいのは右腕なんすけど」

 そう言いながら彼が布を捲ると、俳優の整った顔が露わになる。安らかな表情は、まるで眠っている様にも見えた。

「ちょっと手伝って下さい。よいしょっと」

 ガタイの良い俳優の遺体はかなり重く、体勢を少し変えようとするだけでも二人がかりで動かさなければならなかった。尤も、新米警官も負けず劣らずの立派な体格であったので、普段ロクに運動もしていない、非力なボクの力添えなどは実質皆無だったのだが。

「これっす。右上腕部の索条痕……細い紐でつけられた痕に見えるんすけど」

 新米警官が指し示した先、Tシャツから覗く右腕の二の腕部分には巻き付いたような形で薄らと細い模様が確認できた。初めての遺体、奇妙な痣。ボクは思わず息を呑む。

「どう思うっすか?」

「どう思うかって……うぅん、ボクは実際に死体を見るのも初めてですから、傷の種類すら把握できませんね。この傷はどういうものなんですか?生きているうちに出来たものですか?それとも死んでから付けられた?」

「死体を見るのが初めてなのは、恥ずかしながら自分も同じなんすよ……えぇっと、恐らく死ぬ前につけられたんじゃないかと。死んだ後につけられたものだとしたら、かなり強い力で長時間糸を擦り付ける必要があるんすけど、警部の見立てだと死んでからそんなに時間は経過してないだろうって話っすからね。首を吊って直ぐ自分達が突入したっすから、その短時間でこういう痕を付けるのは正直難しいと思うっす」

「なるほど。そういえば、具体的な俳優さんの死亡時刻って何時か分かってますか?」

「多く見積もっても発見時刻の十分前……十一時四〇分から十一時五〇分の間っすね」

「となると脚本家さんと俳優さんの殺害犯行時刻は、しっかりと台本の順番を守って行われた事になりますね。見立て殺人にありがちな時系列の誤認なんかを使ってくるかと疑ってましたが……」


 見立て殺人とは、その地域の伝承や童話、唄の歌詞に準えて行われる殺人のことである。被害者の特徴や殺害方法を工夫し大元となるストーリーを再現していく事で事件をドラマチックに魅せる推理小説の鉄板であり、今まさにこの屋敷で起こっている連続殺人は脚本家の台本を使った見立て殺人と言えるのだった。新米警官は当然、見立て殺人という言葉を知っているようで、難なく返してきた。

「まぁ見立て殺人なら、本編で脚本家さんは死んでないっすけどね」

 ははは……と二人は乾いた笑いを交わす。互いに不謹慎だという自覚はあるようで、それを相手に見せるか迷った末に出た静かな笑いであった。ずっと夢見ていた舞台、そこで普段は滅多に通じない言葉が伝わる相手と過ごしている。その特殊な状況が二人を一種の酩酊状態というか、夢見心地にさせていた。或いはそれは、実際に遭遇してしまった殺人への恐怖を紛らわせる無意識の自己防衛だったのかも知れない。

「まずは、黒幕がどうやって俳優さんを殺したか考えたいっす。部屋に誰も出入りしてないのは確実っすけど、脚本通り本当に精神負荷によって自殺に追い込んだとは考え難いし……きっと俳優さんは初めから気絶か縛り付けられたかされていて、何らかの方法で首吊りの状態にされたんじゃないかと思ってるんすよ」

「けれど俳優さんが動けなかったら、あの投稿はどう説明しますか?直前までのやり取りはボクらの会話と内容だけでなくタイミングまで合ってましたけど」

「自分は大廊下に送られていたファックス原稿も十中八九、あの場に居た黒幕が遠隔で操作してタイミングを合わせてデータ送信したものだと疑ってるっす」

「ファックスって古いシステムですよね?そんなこと出来るんですか」

「今はスマホのアプリでワンタッチでデータ送れるんすよ。原稿の写真を撮っておけばそのまま印刷した様に見せ掛けられるはずっす。だから、いくら原稿が状況に合わせて印刷されていたからといって、俳優さんが自分達の会話を聞いてたって証拠にはならないんすよ。彼が実際に部屋で送信作業をしている必要がないっすからね」

「なるほど……なら俳優さんが無力化されていた事に問題はありませんね。殺人の仕掛けを時限式にしておけばあの場に居た全員のアリバイも崩せますし、その推理はかなり核心を突いているかも知れません」

「賛同して貰えて嬉しいっす」

「ではその方向で推理を進めましょう。遺体に不審な点は無かったんですよね?」

「そうっすね。首に残っていたのは首吊りによる跡のみで、遺体には抵抗による傷なども見られなかったっす」

「予め首に縄を掛けておいて、支えを使って高い位置に体を保持し、あとから時間差で支えを外す……とか?抵抗していないって事は気絶させたのかな。だとしたら椅子の上に立たせる事は出来ないし、倒れていたこの椅子以外の支えが必要になるか」

「それが厄介なんすけど、吊られていた遺体と床との距離から、椅子を蹴飛ばしたと考えるのが一番自然なんすよねぇ。椅子には何の細工も無くて、部屋の中にあるオブジェで他に体の支えになりそうなものは見当たらなかったっす」

「なるほど……さっき見せてもらった遺体の右腕の痣ですが、ああいう痕が残るのって具体的にどういった場合でしたっけ?」

「索条痕は紐状のもので縛られたりした時に残る痣っすね。この右腕の感じだとかなり細めの糸が長時間、キツく食い込んだように見えるっす」

「俳優さんを縛って抵抗出来ない状態のまま同じ高さに吊るして、後から身体の拘束だけを解いたとしら同じ状況は作れそうですが、その方法だと俳優さんを吊った後に拘束を解く必要があります。俳優さんが死んだ時には屋敷の全員が外廊下に居ましたし……仮にあの黒い糸で身体を拘束するとしたら、かなりの長さが必要になるかと。それにあれだけの体格の人間を宙に吊るす耐久性があるとも思えない。首吊りのロープにも変な所は無かったですか?二重にしておいて、時間差で片方が切れるみたいなトリックもありますよね」

「そうっすねぇ。部屋には誰も隠れてなくて、首吊りに使われたロープにも身体だけ支えるような不自然な細工とか無かったっす。あと、紐で縛ったとしたら右腕だけじゃなくて、両腕に同じ様に跡が残ると思うんすよね。片方だけって不自然じゃ無いすか?」

「確かにその通りですね。うーん、分かんないなぁ……この件に関しては、トリックを隠す為に台本が書き換えられた可能性がありますから、脚本家さんの件みたいに答え合わせするというワケにはいきませんもんね。取り敢えず、この腕の跡を残した糸を見つけ出しましょう。きっと何処かにあるはずです」

「了解っす」

 俳優が吊られていた位置から当たりをつけて二人で手分けして糸を見つけようとしたが、なかなか見つからない。部屋の中は物で溢れかえっているだけでなくカーペットが敷かれており、それらは細かく区分された部屋の領域に合わせて、僅かな間隔で素材や模様をコロコロと変えていた。お陰でただでさえ見つけ難い、黒く細い糸の捜索作業は思ったよりも難航したのだった。勿論、その作業の間も事件のトリックへの考察は続いた。

「密室で首吊りに見せ掛けて殺すトリック……被害者の首にかけたロープを時限式で巻き取っていくとかどうっすか?俳優さんの体を丸々引っ張り上げるとなると掛かる重量は相当っすから、かなり馬力のある装置を使わないといけないっすけど……」

「ふむ。気絶さえさせてしまえば拘束する必要は無いし、吊るすだけとなれば支えも要りませんね。馬力か……あの洗濯機を流用するのは無理ですかね?」

「そうっすねぇ。洗濯機の巻き取りでは流石にムリそうっすね。けど他に装置になりそうなものも見当たらないっすよね」

「まさか人力ってこともないでしょうし……」

 ボヤきながら現場を歩き回る。長く観察している内に一見雑多に散らかっただけに思えた部屋も、よくよく吟味すると本当にただ散らかっている箇所と、きっちり整理整頓されている箇所とに分かれているのが見えてきた。それぞれの区画で対応した人格として生活をしていたということだろうか?器用にも程がある……そんな風にぼんやりと感心していると、不意に写真家がリビングへと入って来た。


「お疲れ様、そっちはどんな感じ?」

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