手繰り糸

「モデルさん、お帰りなさい」

 分厚い冊子を手にエントランスホールへと戻った彼女に、まず私はそう声を掛けた。

「ただいま……コレが例の舞台の台本よ。登場人物が多いからかなりの量になるけど」

「アイツら余計な事してなかったか?仏さん触ったりとか」

 警部さんがモデルさんから台本を受け取りながら心配そうに尋ねる。面倒事は御免だと言わんばかりの苦々しい表情である。それに対して彼女は気兼ねない様子で答えた。

「彼らなりに精一杯、頑張ってるみたいよ。今は俳優さん……一〇五号室の調査をしてるけど、あっちの事件はもう終わってしまった事じゃない?好きにやらせてあげましょうよ」

「いやに若い衆の肩を持つじゃねぇか。新米は初めての現場だし、もうひとりは一般人の素人だぜ」

 警部さんが鼻を鳴らしてそう言うので、私はたまらず言い返す。

「大学の同期だからって庇うわけじゃないけど、配達員くんはあれで結構優秀なんだよ」

「あら、知り合いだったのね。アタシも間違いなく、彼には才能があると思うわ」

 同調してくれたモデルさんの表情をさりげなく窺ってみる。不安と期待が入り混じった読み辛いものだった。記憶の中の、彼女の顔をざっと思い出してみる……うん。間違い無い。彼女のこんな表情を、私はいままで一度だって見たことがなかった。

「才能か……確かにあの配達員、頭の回転は早いみたいだが怪しいぜ?所詮は推理小説の請け売りだろうよ」

「受け売りにしても、脚本家さんの探偵役を演じるだけのポテンシャルはあるのよ」


 訝しげな警部さんを斬り捨てると、彼女は舞台『手繰り糸』の説明を始めた。

「どこから話そうかしら……『手繰り糸』は元々、脚本家が二〇人近い登場人物を想定して描いた壮大な群像劇なの。大勢のキャラクター達が織り成す十人十色の恋愛模様、そこに登場人物の性自認を開示しないというメタ設定を付け加える事で、観客がキャラクター達の性別を認識しようとする意識を引き出してステレオタイプを強烈に風刺する。時代に左右されない唯一無二のラブロマンスとして永遠に語り継がれる名作になる……筈だった」

「だった?」

 舞台の設定を興味津々に聴き入っていた私は思わず、オウム返しに聞き返す。

「稽古の最中に俳優さんが暴走しちゃったのよ。台本としてはさっき話した内容で完成してたんだけど、俳優さんはどのキャラを演じてもアタシ以外に恋する事はあり得ない、なんて言い出したの。挙句、他の役者にも文句言い出す始末で……そのうち脚本家さんも俳優さんの意見に同調し始めたのよ、アタシを配役した後からどうしてもキャラの動きが納得行かない、書き直すなんて言い始めて。それで最終的なストーリーは登場人物全員がアタシ一人に恋してしまうコメディーよろしくなトンデモ展開になっちゃったのよねぇ。アタシは風刺として間違いない名作の誕生に惹かれて出演したのに、蓋を開けてみれば期待外れもいいとこ。お話の展開が衝撃過ぎて、どの雑誌の評論を見てもワタシが求めた哲学的要素に関しての言及は皆無だったわ。元の展開なら間違いなく、最高峰の風刺作品として歴史に名を残すと信じてたのに……」

 彼女はやはり、この作品に対して不本意な所があったようだ。ため息を吐かんばかりのモデルさんを警部さんがそれとなく慰めた。

「あの舞台にそんな趣向が隠されてたとはなぁ。けど全然、観てる分には違和感無かったぜ。寧ろ自然だとさえ思った」

「自然だったのは、脚本家さんがアタシを本人の設定で書き直したからよ。アタシの人を魅了する才能を、そのままキャラクターに当て嵌めたのね。舞台としては一応成功したけど、アタシが求めてた作品じゃなくなってたわ……」

「あのドタバタもなかなかだったが、どの時代に対しても作用するジェンダー風刺なんて作品が日の目を見ていたら、それこそ伝説になってただろうねぇ」

 静かに呟く音楽家さんに、暫く台本を読み込んでいた料理家さんが尋ねる。

「その、なんだ……時代に左右されないジェンダー風刺ってのは具体的にどういう仕組みなんだ?読んだだけじゃ俺様にはサッパリなんだが」

「例えばストーリー描写を伴う創作物には、性別の扱いに対しての表現をする事でその作品がどの時代を設定しているかを説明する事があるだろう?時にはそれを逆手に取って、敢えて大袈裟な描写をしたりして皮肉を込めたりする。とんでもない亭主関白や、不自然な程に女性がお茶汲みする描写を入れたりねぇ」

「あぁ。それは分かるけど……観客を風刺する意味はなんなんだ?」

「それは本当に、表現者と受け取り手の永遠の問題ってヤツだねぇ。例えばある時代に、その社会を生きている人々に向けてメッセージを込めた作品が作られたとしよう。作者が死んで時が経ち、時代が移り変わっても作品はそのまま残り続ける。すると、当時は上手く伝わったメッセージでも時間経過と共に認識のズレが生じてしまう。作品の提起する問題や作品内の情報は過去で止まったままだけど、受け取り手側の意識は時代と共に変化してしまうからだ。つまり全ての芸術作品は最終的に、観客に前提知識が無ければ見当違いの解釈をされてしまうような旧作に成り下がる危険性を孕んでるってことさ」

「なるほど……?」

 相変わらず要領を得ない様子の料理家さんに、私はたまらず助け船を出す。

「つまり、料理を出したのにずっと放置されて、カビが生えた頃にやっと食べられてから文句言われるみたいな感じだよ!」

「あぁそういうことか!許せねぇな!」

「ありがとう写真家さん。伝わったかな……つまり作品に非がなくても、受け取り手の悪意とも呼べる歪んだ受け取り方によって、その表現が悪にされてしまう事もある。そういう中でも特にセンシティブなのが性に関するジェンダー表現なんだが、生憎その表現は繊細さが求められる上に、触れても触れなくてもダメ、みたいな立ち位置にあるんだ。例えば同性愛に対して言えば現代の大衆向け映画やドラマでは否定的な描写なんてのはもっての外だが、逆にそういうキャラクターを取り敢えず入れておけばOKって訳でもない。エッセンスとして添えても嫌味に受け取られる。万人に良い顔は出来ないって話で、何処かの立場に居る人達をケアしようとしたら反対側の立場から刺される……みたいな状態なんだよ」

「それを逆手に取って揶揄しようとしたのが『手繰り糸』の意図だったんだよね?」

「その通り。写真家さん、説明できるかい?」

 私は料理家さんから受け取った台本を捲りながら、音楽家さんに促されるままに自分なりの解釈を話してみた。

「順序立てて説明してみるね。まず観客はテーマとして登場人物の性自認の不一致を提示されるんだよね。その上で全てのキャラクターにおいてそれらの情報を一切開示しないまま物語が進んでいく。そうして意図的に、観客が登場人物の行動から各々の性別を解釈しようとせざるを得ない状態を生み出す」

 料理家さんをはじめとして皆が頷いて聞いている。取り敢えず前提の理解は間違っていないらしい。一先ず安心して私は話し続ける。

「その状態自体は鑑賞において普遍的に行われてるから特別でもなんでもない事だけど、大切なのはその行為を強調して認識させるって事だよね。作品を理解する上で、観客は登場人物達の性別を解釈しないといけないって意識で鑑賞するから、何でもない描写からも何かヒントを得ようとするから、それが拡大解釈に繋がる。そんな状態で性的マイノリティーの設定を彷彿とさせるシーンを見せられたら……料理家さん、どうなると思う?」

「完全に槍玉に挙げられるじゃんか!」

「その通り。当然、観客は過剰に反応するよね。けどそういう要素が細かく作品全体に散りばめられていて、かつ全ての登場人物の肉体的容姿や声から予測される性別に対して、服装も髪型も立ち振る舞いも、何もかもごちゃ混ぜだったら?」

「えぇと、待ってくれ。こんがらがるよな……てかそんなのって成り立つのか?」

「成り立つよ。だってそもそも現実の社会では日常の交流で誰も性自認とか性的嗜好を公にしないでしょ?誰もが他人を客観的に見たときに平均的なステータスを当て嵌めて認識する事で成り立ってるんだから。でも創作物になった途端、多数派少数派で区別したり特定の人々を特別な存在として扱い始める。それっておかしいよね。ただ普通に生きている人達を特別視するっていうのは、その時点で潜在的な差別意識とも言えるし……この舞台のストーリーはそういうセンシティブとされる要素には全く触れずに淡々と進んで、何事もなく終わる。観客は最後まで観終わってもキャラクターそれぞれの性別解釈に対して答え合わせが出来ないまま。作品のストーリーが、登場人物の性別なんて一切関係無く完結するって事実だけが残る。観客は全員、各々が自分の中のジェンダー理解と意識の範疇でハラハラしていただけだって気付かされるってワケ。前提で性自認の不一致なんて言わなくて良いことをわざわざ伝えるのも、全ての描写に無理矢理意味を見出して歪んだ解釈をして、本来突っ込む必要のない方向から茶々を入れてくる輩への盛大な嫌味ってとこじゃないかな」

 私が一息に言い終わると、音楽家さんが引き継いだ。

「この仕掛けの優秀なところは、問題にされそうな解釈を全て観客に投げている点だね。仮にこのキャラクターは〇〇を馬鹿にしてる!って騒ぐ奴がいたら、そう受け取ってしまった側の意識に問題があるってカウンターを返せる構図になってるんだねぇ。ジェンダーなんて一番時代の影響を受ける厄介そうなテーマを敢えて扱ってるのも、その時代毎で都合良く変わっていく集団意識をそのまま写し出す鏡のような風刺を目指したからだろうね」

「なるほどなぁ……なんとなく分かったぜ。ちょっとズルい気もするけど」

 頭を使い疲れて呆けた様子の料理家さんに、私は少し踏み込んだ質問をしてみた。

「料理家さん、画家さんが好きだったって言ってたよね?それなりに親しかったの?彼女の性的嗜好とかに関してはなにか聞いてない?」

「な、なんだよ藪から棒に……」

「いや、一応この作品が彼女の自殺のキッカケになるなら、そういう風刺に感化されたりしたのかなって思って」

「特には……服装はズボンとか、男らしい時が多かったけどな」

 パッとしない料理家の返事に落胆していると、モデルさんが思い出したように呟く。

「そういえばアタシにはかなり男らしく振る舞ってくれたわねぇ」

「それってさ、もしかして……」

「アイツの性自認なんてどうでも良いだろう!やっぱりこんな舞台一本で自殺するなんてどう考えてもありえねぇよ、別の方向から原因を探ろうや」

 長い間、話を黙り込んで聞いていた警部さんが遂に痺れを切らしたようだ。さっきまでペラペラと喋ってしまっていた私はバツが悪くなり席を立つ。

「おい、どこ行くんだ」

「えぇと、俳優さんの部屋……今あっちにいる二人共、あの部屋見るの初めてでしょ?私、前に部屋の中見せて貰ったことあるから、細かく記憶と照らし合わせてみる。何か気付けるかも」

「もう。警部さんが怒鳴るから……大人げないわよ」

「モデルさん、俺はあの舞台のセリフなんかも全部調べた上で、関係無いって結論付けてたんだよ。解釈の差を討論するなんて時間の無駄なんだ」

「警部さん、ワガママに付き合わせてごめんね」

「あ、いや。謝らんでも……」

 私はそそくさと一〇五号室へと向かった。

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