モデルの思案

「モデルさん、舞台の映像なんかは残ってたりしないかい?」

「どうかしら。映像は分からないけど、台本ならまだ残ってるかも……部屋を探してみるわ」

「あぁそれと、ついでに配達員に文句言っといてくれよ。いくらチェーン店でもピザはもっと丁寧にカットしろってな」

「分かったわ」


 エントランスホールから自室へと向かう大廊下ではちょうど、配達員と新米警官の二人が熱心にトリックの検証を重ねているところだった。配達員がコチラに気付く。

「あっ、モデルさん……どうかしたんですか?」

「ちょっとね、部屋から物を取ってこようと思って」

 彼は少し考えるように一瞬視線を泳がせる。

「俳優さんと共演されたときの舞台台本ですか?」

「その通りよ。察しがいいわね」

「やっぱり……俳優さんが指摘していた台本の内容は把握しておきたい情報ですもんね」


 なるほど、この青年は事件に対して、捜査陣全体の動きを大まかな流れで推測しつつ動いているようね。警察が到着するまでの間、他のメンバーがエントランスホールで事件について話し合うのを予想して、自分は裏で事件現場の捜査を、彼なりに信用出来る見込みのある新米警官と協力して具体的な証拠集めに徹している。

 皆で相談している黒幕の動機を含めた話は後々必要になってくるに違いないけれど、全てにおいて情報の少ない現時点ではそこは想像に頼らざるを得ないから、今は信頼出来る現場の状況証拠だけを精査しておきたい……といったところかしら。普通なら話し合いに参加して意見を整理したくなるだろうに、推測は自分の頭の中だけで十分だとでも言いたげね。


「そういえば、警部さんから言付けよ。ピザはもっと丁寧にカットしろ。ですって」

「ピザですか?やっぱりビニール袋を取ったのは警部さんか。箱の中身を見たのかな……カットはボクの作業じゃないんですけどね」

「わざわざ文句言われる位だし、一応確認しておいたら?」

「はぁ」

 彼は作業を中断して一〇六号室のドア横に置いてあるピザの箱へ向かう。上に乗ったウェットティッシュを避けると蓋を開け、中身を覗いた。アタシも気になって横から覗いてみる。中身は酷くぐちゃぐちゃ……かと思ったが存外、それぞれの切れ端は切り分けられた三角形の最低限の形状を保っていた。

「カットって……あぁ!これのことか」

「何か気付いた?」

「落としたピザのトッピングが不自然にズレてますね。まるでそこだけ何か細いもので擦ったみたいです」

 彼の言う通り、何枚かのピザの切れ端に直線の痕跡があった。

「きっと、このピザの切れ端を落としてしまった時に、絨毯に接していた面が一〇五号室から一〇六号室へ回収される糸の動きに巻き込まれたんだと思います。糸が床を這って移動してた所にちょうど被さる形で落ちたんですね……警部さんはこのピザを見た時から違和感に気付いていて、台本を読んでトリックと紐付けたんですよ。ボクは回収する時には慌てていて、見落としてましたから気付きませんでした。流石だなぁ」

「ふぅん……警部さん、なかなかやるじゃない」

「警部がどうかしたんすか?」

 一〇五号室で作業をしていた新米警官が顔を出し、興味津々といった様子で尋ねた。

「ボクの落としたピザの切れ端が、洗濯機のタイマーを用いたトリックによる糸の移動を証明してるってことを警部さんが教えてくれたんですよ」

「どういうことっすか?」

「ほら、これ……」

 配達員が手短に説明すると、新米警官は相変わらずキラキラした目をより一層輝かせて頷いた。

「なぁるほど!いやぁ、やっぱ警部は凄いっすねぇ。モデルさんはそれを伝えに来てくださったんすか?」

「いえ、それはついでよ」

「モデルさんは俳優さんと共演した舞台の台本を取りに来られたんですよ」

「なるほど、『手繰り糸』でしたっけ?どういう舞台なんすか」

「簡潔に説明すると恋愛群像喜劇ね。ただ、かなり風刺の効いた仕掛けがしてあるの。キャラクター達の性自認の不一致をテーマとして提示しておきながら、登場人物全員の性別に関して説明を意図的に省いてて、どのキャラクター同士が結び付くのか予想出来ない中ストーリーが進んで行くの。観客は外見だけじゃなく、それぞれのキャラの所作や台詞回しまで意識してキャラの設定を見抜こうとしなくちゃならないんだけど、ストーリーはそういう考察が全く必要ない形で展開していく。結果、劇が進むにつれて観客は、登場人物の性別を見極めようとする自らの行為自体がステレオタイプだと自覚していく……みたいなコンセプトね」

「えっと……つまりどういう事っすか?」

「女っぽい仕草とか、男らしい態度とかの定義自体を疑問視させるって事ですかね?例えば男らしい見た目の人がオネェ言葉を使ったからといって、そのキャラクターが肉体的に男性で性自認は女性……いわゆるオカマだと認識してしまうのは正しくなくて、そういう認識は観測者側のエゴに過ぎないって事を主張する作品ってことですかね」

「なるほど、確かにそうっすね。そういうの表現って普通に見たりしてましたけど、言われて意識しないと深く考えたことなかったっす。面白いっすねぇ」

「近年でも性的少数者の描写に関する創作物への風当たりは強いですが、それを意識し過ぎて逆に差別を助長してしまうなんて事もザラです。海外でポリコレが猛威を振るっていた時にも似た様な問題を感じた事があります。本来我々が少数者や被差別者に対して目指すべき振る舞いは彼らを特筆しない、わざわざ触れず自然に受け容れるって姿勢のはずなのに、一時期は嫌味なくらい登場人物の人種や性的嗜好を描写に含めた作品が散見されましたから」

「あぁ。意識してますよ、って言いたい感じっすよね。それは自分も分かるっす」

「脚本家さんは当時から、そういう世間のズレた動きに反感を覚えてたみたいよ。それでこの作品を時代の変遷に左右されない風刺として作ったの。表現の捉え方が時代によって変わっても、作品が伝えるのは全てが観客側のエゴであるという一点のみ。まるで鏡みたいな無敵の風刺……彼は舞台の設定から仕掛けを施すのが好きなタチでね。表現者として、常に観客を驚かせる義務があるんだってよく言ってたわ。ただ、この舞台に関してはある一件で台無しになっちゃったんだけどね」

「台無し?」

「まぁ、それについてはまた長くなるから後で説明するわ」

「わかりました。事件考察、応援してます。ボクらもこの検証が終わったらそちらと合流するので。あぁそれと、モデルさんが狙われてる件で先程は言わなかったんですが、今回の事件で黒幕は画家さんの自殺の真相を知る事を目的の一つに設定してると思うんです。黒幕は過去の事件に関して何か知りたい情報……核みたいな物があって、その情報を手に入れる為に事件を起こしたのではないかと。黒幕は復讐を望んでいますが、その復讐が正しいのかどうか、まだ迷っている。或いは望んだ答えを得られた後でなければ、復讐を実行する判断が出来ないんだと思います。だからきっと、円卓で画家さんの死に対して議論を重ねたとして、少なくとも黒幕の納得する答えが導き出されるまではモデルさんは安全だと思います。それまでには絶対に正体を突き止めて見せますから」

「ふふ、ありがとう。心強いわ……アナタ達も頑張ってね」


 配達員は探偵役が板についてきたのか、意外にもアタシを安心させるようなセリフを言ってくれた。そしてそれは不思議と頼もしく感じられるのだった。彼の台詞は明らかに今回の事件の核心、そして犯人の人物像までも理解している様に見受けられた。さっき円卓で様々な仮説を列挙し黒幕の存在すら疑問視した彼の言動は総て、あの場に居る黒幕がその話を聴いている前提での立ち回りだったのだろう。思い返してみると、アドリブであれだけの台詞を瞬時に組み立てられるのは相当に頭の切れる証拠だ。もしかしたら彼は本当にこの事件を解決してくれるかも知れない……そう思うとモデルは少し穏やかな気持ちで自室へと向かうのだった。

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