警部の葛藤

「お願いします!きっと重要な事なんすよ!彼はあの台本で探偵役っすよ?信用出来ると思うんす」

「探偵役だぁ?くだらねぇこと言ってんじゃねぇよ。けどまぁ……応援が来るまでの間だ。勝手にしろ。お前の警官としての勘ってヤツを疑ってるワケでもねぇからな」

「ありがとうございます!」

 配達員の方へ嬉しそうに戻っていく新米警官にため息を吐きながら、俺はモデルの方へと向き直る。

「不機嫌ね。そんなムキにならなくたって良いじゃない」

「別にムキになっちゃいねぇよ」

「嘘をつくのが下手ね。画家に一番執着してたのは他でもないアナタでしょう?警部さん」

「執着だって?」

「あら、自覚してなかったの?事件の度、あの子が全部手柄を持っていくもんだから悔しかったんじゃ……」

「俺は仕事の手間が省けてラッキーくらいに思ってたさ」

「本当かしら?画家に探偵なんてあだ名つけたのも嫉妬の裏返しだろうって、前に脚本家さんが言ってたけど」

「クソッタレ、また脚本家かよ……そもそも俺はあいつの台本に探偵が出てる事が気にくわねぇんだ!それだけだ」

「画家が自殺した時、警部さんが毎日通い詰めて必死に捜査してくれたの覚えてるわよ。あれ見た時にアタシ、ああ、この人は本当に負けたくなかったんだなって思ったもの」

「別に画家だったからじゃねぇよ。文化荘で人死にが出た理由がどうしても知りたかっただけさ。俺にとっての聖域がぶち壊されたのが許せなかったのさ」

 そう言いつつも……


「さすが警部補さん、良いところに気がつくね」


 在りし日の画家の台詞と澄ました顔が思い浮かぶ。

 さっきは必死に否定したが、モデルに指摘された通りかもしれない。新米警官と配達員のやり取りを見ている内に、懐かしいという感覚と同時に自分の中で徐々に芽生えた感情があった。

 昔の俺に、特に思い当たる相棒がいたわけではない。だが利発そうに滔々と推論を語る配達員と、それをメモに取りながら自らも事件を解決せんと必死に頭を捻る新米警官の姿を目にした時に、図らずも昔、画家に対して漠然と抱いていた感情を思い出していた。

そのことを自覚した瞬間、かつて文字通り全ての事件を解決していった画家に対して、己が能力を振るえずにいる事を苦々しく思っていたまだ青い頃の自分が顔を出したのだった。

 俺もかつては今の新米警官のように熱心な警察官だった。文化荘担当の後任に新米警官を選んだのも、彼に対して無意識の内に、過去の自分を重ねていたからかも知れない……

そうだ。俺は悔しかったんだ。あの生まれついての名探偵に今までの努力を否定された様な気がして。尊敬の念は確かにあった。だがしかし、あいつが居なければ俺が……そんな気持ちが常に付き纏っていたのもまた事実だ。そしてただ、それを認めるのがどうしようもなく嫌だったのだ。あいつが居ても居なくても、俺が俺である事に変わりは無い。そう割り切れていたはずなのに。

 画家は死んだ。事故や病気ならまだ納得も出来る。だがよりによって自殺だと?俺に喧嘩を売っているとしか思えなかった。

 きっとあいつは、俺がずっと静かに妬んでいるのに気付いていたんだ。だから俺に最悪の形で挑戦状を叩き付けた。そうとしか考えられない。そんな考えは自意識過剰だとも分かっていたが、そう思わないとやってられなかった。そしてその捻くれた考えのお陰で、なにがなんでも真相を突き止めてやると固く決意できたのだ。

事件の後、早々に切り上げられた捜査書類を何度も読み返し、繰り返し文化荘に足を運んだ。仕事の合間を縫って必死に、全力で捜査を続けた。あいつが死んだ原因、万が一にも逃げ果せているかも知れない、画家を殺した犯人を追い求めて。その結果……

何も分からなかった。当然だ。天才の遺した最期の謎なのだ。凡人が幾ら頭を捻ったところで解けないのが当たり前。諦め切れない自分を騙し騙し、五年間、俺なりに地道な努力を続けていたところに今回の騒動だ……もし黒幕とかいう奴も俺と同じ様に、画家の自殺に取り憑かれているのだとしたら。


「時間切れだよ」


 頭の中で画家が、そう囁いたような気がした。

「警部さんはこの事件が、その昔の……画家さんの自殺をキッカケに動いてると思う?」

 そう訊いてきたのは写真家だった。

「なんでそんなこと聞くんだ」

「えっとね、そもそもこの事件って脚本家さんの台本がベースになってたよね?」

「あぁ」

「台本読んでて不思議に思ったんだけど、このお話って殺害のトリックに関しては嫌に細かく解説されてるし、捜査陣の登場人物達の過去の話や感情の機微とかも、結構丁寧に触れられてる。推理モノの皮を被った群像劇で、捜査する人達の人間ドラマがメインの作品だって説明されたらそれまでなんだけど……犯人側の描写がかなり控え目でパーツ感が強くて、まるで動機なんか持ってないように書かれてるんだよね」

「確かにそうだったな……それが?」

「考えたんだけどね、『文化荘の殺人(仮)』の台本って、もしかして脚本家さんが、画家さんの自殺を解釈しようとして書かれたものなんじゃないかって思って」

「っ!」

 写真家の言う通り、舞台『文化荘の殺人(仮)』は殺人の方法に関して綿密に書かれている一方で、なぜ事件が起きたのかという殺人の動機に関しては一切の描写がなかった。

 捜査陣のキャラクター達が織り成す下らない会話劇や、事件の解決とは関係無く描かれる各々のエピソードは群像劇としてある程度の深みを持っており、そういう意味では十分楽しめるのだが、ことメインの殺人に関しての経緯はわざと避けているとしか思えないくらい、まるで劇中で人が死ぬのは悪戯を仕掛け合った結果、或いは作品をミステリーと銘打つ為の演出に過ぎないとでも言わんばかりのぞんざいな扱いであった。

 一見投げやりにも感じるこの作品の内容が、もし脚本家がその天賦の才を持ってしてかつて挑み敗れた、画家の自殺に関してプロファイリングを試みた末の結果であったとしたら?彼もまた、過去の事件の謎に取り憑かれた者の一人だったのだろうか……


 なおも写真家は話し続ける。

「もしそうだとしたら、俳優さんが書き残した内容が気になるんだよね。あの『死んでしまいたい』って女性口調の文章……あれが画家さんが自殺に至る過程を追体験させたものだとしたら、脚本家さんが解明出来なかった自殺の動機を、黒幕は解き明かす事が出来たってことでしょ?」

「確かにそれは不自然かも知れないねぇ」

 さっきまで静かに話を聞いていた音楽家が口を開く。

「脚本家と俳優はよく二人で相談しながら台本の精度を高めていたからさぁ、彼女の仮説が正しければ、その台本を書く時に脚本家が行き詰まったのなら俳優に頼んで画家の人格を降ろして自殺の動機を探った筈だ。そしてあの二人で把握出来ないほど入り組んだ心理を、並大抵の人間が理解出来たとは考えられない。そういった能力で彼らに優っていたのはそれこそ、画家以外には居なかったからねぇ」

「モデルさん、アンタはどう思う?」

「アタシも……二人掛かりで再現出来なかったのなら、常人には難しいと思うわ。そもそも、その類いの試みは当時、文化荘のみんなで嫌になるくらいやり尽くしたのよ。あの自殺はどうしても核心が掴めない。その事はなにより警部さん、アナタ自身が長年取り組んで分かってるはずよ」

 これもまた、モデルの言う通りだった。実際、必死に捜査を続けても未だ闇雲のままで、脚本家達が到達出来なかったと聞いて安心する程であった。

「本当に黒幕は、あの事件の核心……自殺の動機を突き止めたんだろうか」

 俺が黙り込んでいると音楽家がフラリと、とんでもない事を口にした。

「黒幕が画家本人なら、まだ納得できるんだけどねぇ……」

何を言い出すんだ?こいつは……いや、まさか。あり得ない。

「突拍子もねぇ事を言うのはやめてくれ!」

「遺書があったのかも」

「あ?」

 頭に血が昇りそうになったところを写真家の一言が引き戻す。

「だから、皆んなが気付けなかっただけで、本当は画家さんは遺書を遺してたのかもよ?もしそれを読んだんだとしたら、黒幕だけが動機を正しく知れたとしても辻褄は合うよね」

「だが、部屋からは何も……」

「部屋の外は?例えば手紙でその人にだけ出したとか、もっと別の手段で……」

「一応そっちの関係も調べたんだがな、そういうのは引っかからなかったぜ」

「むぅ、じゃあ直前の舞台っていうのは?」

「『手繰り糸』か?」

「それ!その舞台の直後に自殺したんでしょ。やっぱり気になるよね」

「関係無いと思うぜ。ただのラブコメ……ってか、どっちかと言えばドタバタコメディーだったからな」

「私は観た事ないもん!警部さんの感性と私の感性は違うんだから」

「くだらねぇ。いくら受け取り手の感性が変わっても作品自体に内包された情報は変わらねぇだろうが」

「まぁまぁ警部さん、芸術は人の数だけ解釈があると言うぜ。俺様の作る完璧な料理でも、万人が美味しいと思うポイントはバラバラなんだ。味覚に関してなら、食事を味わうって点で言えば特に時間が重要で……そうだ!あの舞台を五年経った今、皆でもう一度検討し直すのもアリなんじゃないか?」

 食い下がろうとする俺を宥めるように、料理家が写真家の肩を持つ。

「ふん、わかったよ……確かにこの面子で揃って議論するってのは滅多にない機会だ」

「モデルさん、舞台の映像なんかは残ってたりしないかい?」

「どうかしら。映像は分からないけど、台本ならまだ残ってるかも……部屋を探してみるわ」

 そう言って席を立ち、自室へと戻ろうとするモデルを引き留める。

「あぁそうだ、ついでに配達員に文句言っといてくれよ。いくらチェーン店でも、ピザはもっと丁寧にカットしろってな」

「分かったわ」

そう返すとモデルは大廊下へと歩いて行った。

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