料理家の思案

「……知らなかったとはいえ、うるさく騒いですまん。皆、ごめん。えっと、シャワー浴びて着替えてくるわ」

 気まずい空気を背に感じながら、料理家はエントランスホールを後にして自室の一〇三号室へと戻った。取り敢えず服を脱いでシャワーを浴びる事にする。手際の良い所作で五、六分でシャワーを済ませるとバスタオルを羽織りドライヤーで髪を丁寧に乾かし始めた。彼は目を瞑り、亡くなったと聞かされた二人の事を考える。


 当初、彼らはよく深夜に酒やツマミをねだりに厨房にやって来ては、傍から聞けばどうにもならないような演技の詳細、或いはキャラクターの人格、行動原理などに関して喋り倒していく厄介な同居人だった。

だが無関係に感じられたその会話も、聴き続けている内に段々と興味が湧いてきて内容も少しは分かる様になった。つまるところ、脚本家も俳優も答えの出ない問いを延々と繰り返しながら、その無限にも思える作業を通して芸術と真剣に向き合おうと踠いているのだ。遅々として進まない彼らの堂々巡りの議論は一見無駄に見えるが、それは料理に例えて言うならば灰汁取りのような当たり前の作業、下拵えであると気付いた。ある種、健気とも言えるその姿は料理家が孤独に料理の研究を続け、食材に向き合う姿勢と似ていた。

そうして勝手に親近感が湧いて、明け方近くまで活動する二人の為に特別に夜食を作ることを提案したのは料理家の方からだった。


 髪を乾かし終え、新しく用意した服に着替えた料理家は昨夜用意した夜食がどうなったか気になってリビングに特設されている厨房へのドアを開いた。一〇三号室と厨房は隣接していたので、料理家が文化荘に越したタイミングで自室から直接、厨房へ移動できるように壁を打ち抜くリフォームを行っていたのだ。

厨房の壁、右手側に設置された大きなシンクを覗く。流しには脚本家と俳優、二人分のプレートがちゃんと置かれていた。彼らが死ぬ前に夜食をしっかり食べていてくれたことを知ると、料理家はひとまず満足した。用意した料理を残される事が彼にとって一番の苦痛だったのだ。二人が死んだと聞いてから、実はずっと夜食の事が気になっていた。最後の晩餐が完食されているかどうか不安で仕方なかったのだ。仮に自分の料理が食べ残されていた場合、なんとしても食べた人にその理由を聞き出して次に活かすのだが、相手が死んだとなってはそれも不可能となるからだ。

「さて……と」

 彼はシンクから離れ、隣りに設置された大きな冷蔵庫を開けて中を見る。現在、文化荘には部外者が三人。警部と新米警官、そして憎きピザ配達員……今日の昼は個人料理も全員分を用意していたから、来客用と死んだ二人分で合わせて丁度三人分となり足りる計算だ。

雨はまだ土砂降りで帰りの山道も木で塞がれているから、少なくともエントランスホールの彼らは今直ぐ帰るって事はないだろう。仕方無いから外の奴らにも俺様の料理を振る舞ってやろう。人が死んだ後だとしても、あの円卓を囲った食事に湿っぽい雰囲気は似合わない。どうせなら豪華に大人数用の料理も作ってやるとするか。

彼は保存庫から調理済みの七面鳥を取り出すとオーブンで焼き始める。更にパスタを茹でる為のお湯を沸かして、大皿を用意するとサラダを盛り付け始めた。

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