画家について

「これは……連続殺人ね」

 モデルの言葉によってエントランスホールは静寂に包まれる。連続殺人……その言葉に場の空気が張り詰めたのだ。ほんの少し前まで文化層特有のイタズラ合戦として推理ゲームを愉しむスタンスを取っていたモデル本人がそれを口にした事で、誰もが事態の深刻さを実感せざるを得なかった。


「気になったんだけど」

 沈黙を破ったのは写真家である。

「俳優さんは自殺なんだよね?その状況に追い込んだのは黒幕だとして、その場合でも殺人って扱いになるの?自殺幇助とかは聞いた事あるけど」

「うーん、例え未必の故意が認められたとしても、殺人での起訴は難しいと思うっす。起訴するなら罪状としては自殺関与罪っすかね。自殺を促した場合には自殺教唆罪、自殺を手伝った場合には自殺幇助罪がそれぞれ適用されるっすけど、黒幕が俳優になにを言ったかすら分からないんでそれも難しそうっすね。特に最後に送られてきた文面からは、俳優さんが罪を償おうと自ら死を決意した様に思えるし……ただ少なくとも黒幕は、俳優さんが脚本家さんを殺したと思い込んでいるのを利用して彼を部屋に閉じ込め精神的に追い詰めたのは確実なんで、脅迫罪は適用されるはずっす」

「えっと……俳優さんの件は自殺で話を進めていいんですか?」

 ボクが新米警官に疑問を投げ掛けると、代わりに音楽家が口を開いた。

「椅子の音。あれは明らかに勢い良く蹴飛ばされて倒れた音だったよ。俳優の体重が掛かったことで撓っていたロープが張り詰めた音や、衣擦れの音も聴こえていた。その間、中から他の足音や動作音は一切しなかった……以降あの部屋から聴こえたのは、ただ俳優を宙に揺らすロープが軋む音だけだ」

「音楽家さん、まさかそれ全部聴こえたの?」

 写真家が驚いた様に尋ね、音楽家はゆっくりと頷く。

「当然さ。部屋の前に居たからねぇ。手遅れだと分かったから、あの時はなにも言わなかったんだけど。あの時聴こえた音は俳優が椅子を蹴飛ばして首を吊った一連の流れを証明してるよ。オレの耳を信用して貰えるのならば、だけどね」

「音楽家さんの言う通り、部屋の中に他の人間は居なかったっす。そして遺体の痕跡も純粋な首吊りの痕を示していました。状況証拠的には自殺以外に考えられないっすね」

「そうなんですか……分かりました」

「多分、あの部屋には最初からその準備だけはしてあったんじゃないかなぁ……椅子を移動させる音やロープを結ぶ音はなんかは直前に聴こえてこなかったからね」

「じゃあ仮にそれを黒幕が用意していたとすれば、自殺幇助罪が適用されるんじゃない?」

「そうっすね!それならいけそうっす」

「ちょっと待ってください。用意しただけってことは、黒幕は必ずしも俳優さんを殺すつもりはなかったって事にもなりませんか?最初の脚本家さんの件もそうですよ。病院で容態が急変するまでは、どちらかといえば一命を取り留めたって感じでしたよね?俳優さんの書き置きには『殺される』と書かれてますが、現状ではどちらの事件に関しても、確実に殺そうという意思が感じられない気がするんですが……」

「確かにそう言われてみれば、そんな気もするっすね」

「黒幕は脚本家さんの台本を再現したんだから、きっと俳優さんの自殺に対してはほとんど確信を持ってたって言えるんじゃないかな?あ、台本って裁判の証拠にならない?」

「どうすかね……未必の故意の証明としては、ちょっと弱いかも知れないっす」

「うーん。やっぱ特殊過ぎるか……残念!」

 写真家と新米警官は想像の中で、既に犯人を法廷にまで連れて行っているようだ。

「台本の結末にも俳優は自殺と書いてあるしなぁ。シナリオ通りってことなんだろうが」

 盛り上がる二人を尻目に警部が口惜しそうな表情でぼやく。どうやら警部も俳優は自殺と判断している様子だった。

なんだか良くない気がする。このままでは事件の真相は愚か、何も掴めないまま全てがただ淡々と終わってしまうような、そんな予感……ボクは思い切って、考え得る限りでこの事件の核になりそうな踏み込んだ質問をしてみる事にした。

「あの、モデルさんに聞きたいことがあるんですが」

「なにかしら?」

「俳優さんの書き置きにある問題の舞台と画家さんについてです。『弔い』と書いてありますが、この画家さんという方は既に亡くなられているんですか?」

「ええ。彼女は五年前、この文化荘で死んだわ。そして舞台っていうのは同じく五年前にアタシと俳優さんが共演した作品のことでしょうね。脚本家さんが書き下ろした恋愛モノで、タイトルは『手繰り糸』」

「憶えてるぜ。あの脚本家にしては珍しいコメディーだったよな?そんで、あの舞台公演の直後に画家は死んだ……」

 モデルと警部がそう言葉を交わすと、新米警官がピクリと反応した。

「警部?文化荘では人殺しも書類送検も無かったって言ってたっすよね。まさか、隠蔽したんすか!」

「馬鹿言うな。人殺しと自殺は別モノだ。画家の件は明確に自殺と断定された。当然、立件されることは無い。書類送検もされなかった」

「な、なるほどっす……変なこと言ってすいません」

「画家はアタシが海外を飛び回ってた頃に知り合ったコでね。アーティストとしてはまだ無名だったけど、最初に会った時から文化荘にスカウトするって決めてたのよ」

 モデルが少し自慢気にそう言うと、音楽家がしんみりとした表情で頷く。

「オレ含め、ここの奴らは大抵彼女の世話になってたねぇ」

 そして彼はゆっくりと目を閉じ、思い出すように続けた。

「長い黒髪が特徴的で、洞察力に優れた聡明な女性だった……我の強い住人ばかりの文化荘では意見の食い違いによる小競り合いが日常茶飯事なんだけど、議題が議題だけに、答えの出ない不毛な議論ばかりでねぇ……鬱憤を晴らすイタズラの仕掛け合いが常だったんだよ」

「それでときに度を越して、傷害未遂や器物損壊ってな感じで普通に警察沙汰になるような騒ぎを起こしてたんだよな。その度に俺が駆け付けてた」

 少し咎めるように警部が投げ掛けると、モデルが対抗するように答えた。

「けど警部さんが到着する頃には、大抵のいざこざは彼女が収めてくれてたわよ」

「まぁ確かに……以前住んでいたストリートアーティストがやらかしたボヤ騒ぎも、音楽家が大騒ぎしたヴァイオリン紛失事件も、俺がやったことと言えば原因から経緯までの説明を画家から聞いて引き上げるだけだったよ。それは認める。そもそも“文化荘の探偵”なんて呼んで担ぎ上げたのは、他でも無いこの俺だった」

 彼は当時を懐かしむように軽く微笑んだが、すぐ顔を引き締めた。

「だが彼女は唐突に自ら命を絶った。密室で首を吊っている状態で発見され、警察の入念な捜査によって自殺と結論が出た。まぁ、さっき言った様に彼女はこの屋敷では火消し役だったし、頼りにされていたから誰かに恨まれるなんて事は考え難い。だからそもそも他殺の線なんて端から見てなかったんだが……同じ様に自殺の動機についても情報が皆無だった。本来あるはずの遺書や、本人の意思を示す物的証拠は一切見つからなかった……」

 警部が円卓の上で固く拳を握り締める。見兼ねたモデルが言葉を続けた。

「そうして事件は最終的に、彼女が過去に躁鬱病を患って通院していたことから、鬱状態による突発的な自殺と結論付けられたのよ。勿論、アタシ達は必死に原因を考えたわ。あれほど思慮深い彼女が簡単に死を選ぶだなんて、とてもじゃないけど皆んな信じられなかったのよ。けれど無駄だった。彼女はアタシ達の起こす事件を総て解決してきたのに、アタシ達は彼女の起こした唯一の事件に関して、その糸口を見つける事すら出来なかったの……文化荘にとってもアタシ達にとっても、一番暗い過去ってワケ」

 ひと息に喋り終えると、彼女は深くため息を吐いた。

「……脚本家さんの書いたこの台本の中では、彼女はまだ生きています。彼のプロファイリングの才能に賭けて、この台本を全員で読み解いてみませんか?」

 ボクがそう提案したタイミングで厨房の扉が開き、料理家が戻ってきた……良い匂いをさせた料理を大量に乗せたワゴンと共に。


「もう昼過ぎだし、皆お腹が減ったんじゃないか?部外者が三人も居るが、俺様の料理を振る舞ってやるよ」

「あ、私も用意手伝います!」

「じゃあいつもの通り頼むよ」

「ボクも手伝います」

「あ、自分も何かやるっす」

「円卓の片付けだけ頼むよ。俺様の料理は信頼してるスタッフにしか任せたくないんでね」

 料理家は普段、自分の料理は盛り付けから配膳までも全て自分で行おうとする完璧主義者らしい。ただ写真家だけは例外で全ての料理の盛り付けから何までを、例の才能で一度見ただけで完璧に再現出来るので、料理家直々にアシスタントに指名していたのだった。

 時刻は既に昼の一時を回っている。誰も言い出さなかったが、確かにお腹が空いていた。腹が減ってはなんとやら……一旦食事にしようかという雰囲気となった。

警部はモデルと話したいことがあると言って二人で何処かへ移動してしまったので、残った面子のうち音楽家がやおら円卓の片付けを始め、勝手の分からぬ配達員と新米警官は音楽家に倣って食卓の準備を手伝う。そうして片付いた円卓に料理家と写真家が厨房を行き来して料理を運んで来た。

 程なくして円卓には大皿の料理が幾つか、それに人数分のスープや魚料理、パスタといった立派なフルコースが並んだ。

「いつも客人用の一品料理は一人分しか多めに作らないが、今日は二人死んじまったから丁度人数分足りたな。脚本家と俳優の分も味わって食べてくれ」

 一見、不謹慎にも思える料理家の台詞は彼なりの弔いの言葉であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る