脚本家と俳優の因縁

「みっ、皆さん中に入らないで!」

 警部が部屋の中へ走り、新米警官がそれに続いた。


「俳優……」

 音楽家が呆然と呟く。俳優?あの人が?ボクはグルグルと考え始める。脚本家を殺したと文書で自白し、脅されていると言いながらさっきまで謎解きゲームを仕掛けていた俳優が今、このタイミングで自殺?

「ダメみたいね」

 モデルが静かに呟く。

 室内を覗くと警部と新米警官が俳優を降ろしたところだった。彼女の言う通り、警部のそぶりから彼が既にこと切れているであろう事が窺えた。


 暫くすると新米警官が部屋から出てきて、静かに告げた。

「俳優さん、既に息がありませんでした。警部と自分は今から現場検証を行うんで、皆さんにはエントランスホールで待機してて貰いたいっす……」

「脚本家と俳優、よく二人で組んでいたけど死ぬ時も一緒とはねぇ」

 音楽家はそんなぼやきを残してホールへと移動する。

「さぁ、あっちへ行こう」

 ボクは泣きじゃくって座り込む写真家に声を掛けた。

「脚本家さんだけでもショックなのに、ムリだよ。私、見ちゃったんだよ……」

 そうだった。彼女は見たものを全て記憶してしまうのだ。

俳優が首を吊って死んでいる様子を唐突に目の当たりにしたショックは、そしてその記憶が残り続ける負担は、決して想像出来るものではなかった。

「写真家さん、アナタ動物写真家を目指してるんでしょう?生き物が死ぬのは自然の摂理よ。それがどんな形であれ……ね」

「でも、でもぉ……」

「おいでなさい。よしよし」

 彼女はモデルに宥められながらなんとか立ち上がり歩いて行った。何て独特な慰め方だろう、とよく分からない感心をしながらボクもホールへと移動する。

円卓には泣きじゃくる写真家、隣で彼女の頭を撫でるモデル、呆然とした表情の音楽家、そして……雨と木の葉でボロボロになった、金髪の男性が座っていた。

「あぁ、初めまして。警察の方?」

「あ、えっと違います。ボクはただの配達員で……」

「なんだ、警部の車があったから事件でも起きたのかと思ったよ……ところでなんの配達?まさかピザとかじゃないよね」

「え、っと」

 彼はボロボロの体を椅子から離し、ボクのジャンパーのロゴを見るや否や大袈裟に天を仰いだ。

「ウソだろ!この俺様の料理で埋められない食欲があるってのかよ!誰だこんなジャンクフード食べたいなんて考えた奴は!!俺様がもっと美味いピザ焼いてやるよぉ!!!」

「あ、あの……」

「分かってる、お前は悪くない。注文を受けて運んだだけだもんな!いや、世界中にジャンクフードを撒き散らしてるって点では悪い!お前は悪魔の手先だよ!なんでよりによって俺様の聖域に侵食してきやがったんだああぁぁぁ」

 そう言って彼はその場に蹲った。

「お、落ち着いて下さい!慰めになるか分かりませんが、この注文は配達する人を用意する為だけの手段だったんです。だからピザを食べようとした住人が居たわけでは……」

「は?なに言ってんだお前!ピザを食べること以外にピザデリバリー注文する理由なんかねぇだろ⁉︎」

「それが違うんですよ!本当に、信じられないとは思いますが届けるという行為が利用されただけで……」

「あぁ!なるほどな嫌味か!俺様の料理にはジャンキーさが足りないってお前を見せつける事で暗に揶揄しようって事だな!回りくどいことしなくても油分が欲しけりゃリクエストしてくれれば中華でもアヒージョでも作ってやるのによぉ!」

「相変わらずうるせぇ男だな」


 彼をそう斬って捨てたのは戻ってきた警部である。

「警部さぁん!!酷いんだよ!俺様の料理じゃ満足できないってここの誰かがそう言ってんだよぉぉぉ」

「いいから落ち着け、てかなんなんだその酷い格好は……アマゾンの奥地に珍味でも探しに行ってたのか?」

「違う!聞いてくれるか?これも酷い話なんだ、土砂崩れに巻き込まれて死ぬとこだったんだぜ」

「土砂崩れ?どういうこった」

「雷のせいで木が倒れちまってさ、二十分歩いたんだ」

「って事は車は……」

「無理無理!通れないよ。あ、警部さんどうやって帰んの?」

「応援を呼ぼうと思ったが、そっちの対処が先決か……」

 警部はそう言うと、携帯で電話を掛け始める。

「応援て何?なぁ誰か、分かる様に説明してくれよぉ!」

「脚本家と俳優が死んだんだ。ちなみにピザ頼んだのは脚本家」

 音楽家が怠そうに答える。

「え……なんだよそれマジか?」

「マジだよ」

「……知らなかったとはいえ、うるさく騒いですまん。皆、ごめん。えっと、シャワー浴びて着替えてくるわ」

 誰も返事はしなかった。彼はバツ悪そうにそそくさと自室へ歩いていった。


「配達員くん」

 いつの間にか泣き止んだ写真家が、ボクに話し掛けてくる。

「さっきの人が料理家さんね、私がここに住むツテになってくれた人」

「え、あの人が?」

 彼女の口にした名前は、バラエティに疎いボクでも何度か聞いたことがあるくらいには有名な料理タレントだった。確か本屋で料理本広告のポップも見たことある気がするが、さっきはあまりにボロボロだったのでひと目見ただけでは判断出来なかったのだ。

「じゃ、あの人の料理本の写真はキミが?」

「うん。そうだよ」

「あんな馬鹿っぽい喋り方だけど、ここの住人で一番稼いでるんじゃないかなぁ。まぁモデルさんには敵わないだろうけど」

 音楽家がニヤついてモデルを見ると

「あら、当然じゃない」

 モデルは高らかに返して見せた。写真家がクスッと笑う。さっきまでの張り詰めた空気が少し緩んだ様に感じられた。


暫くすると電話を終えた警部と紙束を抱えた新米警官が戻ってきた。

「一応、本部に連絡して土砂崩れの対応を急がせたぜ。それよりも、だ」

 彼は円卓に一冊の冊子を置いた。表紙には『舞台【文化荘の殺人(仮)】作/脚本家』と書かれている。

「俳優の部屋から見つかった。内容に目を通したんだが、脚本家が書いた新作の舞台台本らしい……そしてここには今回、この屋敷で起きた事と全く同じ内容が書かれてるんだ」

「それってつまり、ここに事件のトリックが書いてあるってことですか?」

「まぁ、そういう事になるが……気味の悪いことにこの台本、俺達のことまで書かれてるんだ」

「それってどういう……」

 ボクの質問より早く、モデルさんが台本を手に取り朗読し始める。

「”第一幕、第二場。一〇六号室と一〇八号室のドアが並んでいる。下手から配達員、入場。続いて写真家がカメラを構えてこっそりと入場。配達員、腕時計を確認してから一〇六号室のドアをノックする。同時に音響、ゴンッと大きめに……配達員『失礼します、ご注文の品をお届けにあがりました。』ドアを開いてハッキリと『え』と驚いて配達員、尻餅をつきながら叫ぶ。『うあぁ、わあああああぁ!!!!!!』“」

 背筋が凍りついた。ボクの行動、リアクションそのままだ。彼女は続けて読み上げる。

「“第一幕、第四場。舞台の中心で円卓を囲む新米警官、音楽家、配達員の三名。音楽家、新米警官に疑われている配達員を庇って『あと、彼を容疑者として見てるなら見当違いだ。もし彼が先に部屋に入り、脚本家を殴ってから自作自演してたとしたらオレには音で全部筒抜け。つまんないから最初にネタバラシするさ。オレの聴覚に関しては屋敷の誰かに聞けば信用してもらえると思う。彼は純粋な第一発見者だ』“」

 音楽家は満足気にほくそ笑む。

「”第一幕、第八場。警部がドアを叩きながら叫ぶ。『俳優!聞こえてるだろう、悪いようにはしないからとにかく部屋から出てこい!』”」

「本当に気色悪りぃ、いい加減にやめてくれ!一体なんなんだこの台本は」

 警部が耐え切れずに遮った。するとモデルはさも当然のように告げる。

「なにって……アタシ達、台本の中に閉じ込められたのよ?」

「えっ?」

 彼女の口から唐突に繰り出された非現実的なセリフに思考が停止する。

 閉じ込められた?台本に?


「ありえねぇ!俺は今日、間違いなく自分の家で目覚めて、メシを食って、通報を受けてから此処に来たんだぞ!」

 怒鳴る警部を尻目に音楽家がゆったりと呟く。

「胡蝶の夢……」

「なに?」

「夢か現かなんて、主観じゃ判別できないもんだよ」

「ふふふ」

 警部が慌てるのを楽しげに眺める住人達の雰囲気に違和感を覚えながら、ボクも早口に尋ねる。

「どういうことですか?今ボクらは全員が同じ夢の中に居るとでも?それとも催眠術の様に無意識に操られて、脚本家さんの舞台を演じさせられているって言うんですか?」

 するとどうだろう、ボクの必死な様子が更に彼らのツボにハマったらしい。音楽家は腹を抱えて笑い出し、モデルも噴き出した。

「あっはっは!キミの考察はなかなか冴えてるな、それも面白いねぇ」

「……っぷ!あははは!ごめんなさい、もうムリ!悪いわね、今のは冗談よ」

「冴えてる?面白い?ボクにはサッパリですよ!」

 余りに脈絡の無い二人のふざけっぷりに、ボクは呆れると同時に頭に血が昇るのを感じた。

「お二人とも、この状況でまさか茶化したんですか?人が死んでるんですよ⁉︎ボクの考察なんてどうでもいい!この台本は一体なんなんですか!」

「笑ってごめんなさいね。アタシまさかそんなに真剣に受け止められるだなんて思ってなかったものだから……言い方が悪かったわね」

「オレも謝るよ。焦った警部に悪ノリしちゃっただけだったんだが、悪い悪い……それにしてもキミの想像力は逞しいねぇ。無茶な要素のオンパレードなのに整合性を取ろうってんで、なかなか面白い設定を考えるもんだ」

 音楽家は悪びれずにまだニヤニヤしている。親しいはずの同居人が二人も死んだ直後なのに、人をおちょくる気分になれるものなのか?

ボクはさっきまで普通に接していた彼らの中にある、底知れぬ深い闇を覗いた気がした。明らかな感覚の齟齬……不謹慎?いや、この事件を解き明かしたいという好奇心だけでこんな話し合いに参加している時点で、自分も不謹慎な事には変わりないのか?この状況に対してどんなテンションで振る舞って、事件とどう向き合うのが正解なのか。だんだん分からなくなってきた……


「いま私たちが置かれてる状況はそこまでファンタジーじみたことじゃないわ。これはね、脚本家の才能の問題なのよ」

 モデルがイタズラっぽく笑ってみせると、警部が明らかに疲れた顔で頭を掻きむしる。

「勿体ぶらずに良い加減、どういうことか説明してくれないか。それを読んでからずっと、鳥肌が止まらねぇんだ」

 彼女はまだ青褪めている警部の顔を見て、可笑しそうに続けた。

「脚本家はね、天才的なプロファイリング能力の持ち主なのよ」

「プロファイリング……警察の捜査にも導入されてる、アレか?」

「そう。彼の脚本はその才能を駆使して、自らが描くキャラクターの言動に徹底的な検証を繰り返して描かれているの。彼の感覚では、設定したキャラクターが頭の中で別の個人として意思を持って動くらしいわ。だから彼の脚本は凄まじいリアリティーと共感性を保って、世界的な評価を得ていたのよ。彼のプロファイリングの精度は完璧。仮に実在の人間を設定して脚本を書けば、殆ど予言と変わらないでしょうね」

「まさか、冗談だろ?プロファイリングってのはそんな超能力じみた話じゃなかったはずだ。そんな事ができたら警察はもっと楽に犯罪者を捕まえてらぁ」

 半笑いで取り合わずにいる警部を音楽家がまじまじと見つめる。モデルも今度は笑わない。二人の様子に警部も思わず笑みを引っ込めた。

「なんだ?本気で言ってんのか」

「逆に、警部さんはなんで有り得ないって思うんだい?」

「俺たちは人間だ。個人の意思があるだろ……つまりその行動は、理論による予測には縛られない。物理法則なんかと違ってな」

「人間様がどれだけお高くとまっても、所詮は動物さ。自意識と本能の区別なんて付かないだろう?」

「そこまで難しい話はしてねぇよ。ただ台本の話だと、俺達はまるで決まった行動を繰り返す虫同然じゃねぇか。虫と比べりゃ人間の知能は高等で複雑だと言ってんだ」

「じゃあ何かい?単純な虫や動物の行動は自然に定められた大きな動きの一部と認めるけど、人間だけがそこから逸脱出来るとでも言う気かい?」

「少なくとも俺はそう思ってる」

「残念、オレとは合わないな……音楽聴いてりゃ分かるよ。人間も大きな流れに沿って動いてるだけだってな。世界は突き詰めれば音階とリズム、音に関して言えば心地良いモノから気分を不安定にさせるモノ……色々あるが、そういう波みたいなものに支配されてんのさ。生き物全てがその流れにただ乗ってるだけだ。だから脚本家はそれを予測出来る。この台本の存在も不自然じゃない」

「あぁ、合わねぇな。達観したその神様目線みたいなのも気に要らねぇ」

「はい!不毛な議論はここまで。アタシが説明するから……ほら、吊り橋効果とかあるじゃない?あんな感じで状況によって脳内の物質が作用して予測される人間の心理とか、他にも例えば、ランダムで場所を選ぶ時でも利き腕とか性格で人によって行動の確率に偏りが出る……そういう条件の積み重ねを、脚本家さんは常人の理解が及ばない微細なレベルで設定出来るのよ。その幾つもの検証結果を台本に出力してるってワケ」

「そう説明されたら納得出来る気もするが……本当にそんな事が可能なのか?」

 警部が頭を抱える。話の次元が違い過ぎて、ボクも頭が痛くなってきた。

「ちなみに俳優さんも似た様な才能だったのよ。彼は脚本家と違って、演じる際に神降し的に対象の人物の思考をトレースするってものだったけど……彼の演技が評価されてたのは“彼が”演じるキャラクターに命を吹き込んでたんじゃなくて、キャラクターが”彼に“命を吹き込んでたってワケ。俳優さんの演技というのはただの表現方法ではなくて、実際にそのキャラクターが彼の中で生まれていたと言った方が良いかも知れないわね。何回か仕事現場を見たことあるけど、その才能の所為で監督とは衝突しまくってたわ。『俺は絶対にこんなことしない』って大声で文句言ったりしてね……普段の一人称”僕“よ?普通の役者なら解釈違いで済むんでしょうけど、彼の場合は当の本人の意見だったから、妥協するワケにもいかなかったんでしょうね」

「そういえば、彼は毎日のように脚本家に演技指導して貰ってたよねぇ。オレ、しょっちゅう彼らの稽古聞こえちゃってネタバレもいいとこよ」

「脚本家は自分の中のキャラクターを完璧に表現してくれる演者を求めていた。そして俳優は自分が完璧に生きられる役を欲していた。二人は舞台において、互いの才能の足りない部分を最高のレベルで補い合えるタッグだったのよ」

「なるほど、昔チケット貰ってアイツらの舞台を観たとき、あまりに真に迫っててギョッとさせられたのを思い出したよ……確かに演技だってことを忘れさせるくらいの迫力があったな」

 警部が納得したように頷く。

「というワケだから、まぁこの台本自体に変な事は何もないわ。状況と登場人物、それぞれがアタシ達に合わせて設定されれば脚本家に予想されて然るべき。それよりも台本通りの舞台を整えられてるってことの方が、よっぽど不自然だわね」

「台本を読んだ誰かが舞台をそのまま現実に持って来た、ってとこか」

「興味深い話ですね。似た才能を持つ二人……」

 ボクはついつい気になって、モデルが話しながら円卓に置いた例の台本を手に取り、ペラペラと捲っていく。冒頭の死体発見シーン。まるで倒れていた脚本家が意識を保っていて、あの場の出来事を総て書き起こしたかのような凄まじい再現性だ。

 しかしこれが本当に脚本家の才能によるものならば……他の人物と比べて、配達員であるボクの描写は控え目のはずだ。如何に天才的なプロファイラーといえど、流石に宅配ピザを持ってくる人物なんて特定できる道理はないだろう。そう考えながら台本を読み進めていると、ボクは衝撃の事実に気が付いた。


「あの、さっきのモデルさんの説明では理解出来ない事があるのでお聞きしたいんですが……そもそもこの台本には、脚本家さんが直接観察できないはずの登場人物が二人居ますよね。宅配ピザを届けるランダムな配達員と、警部さんが連れてくる新米警官さんなんですが」

 新米警官がハッとした表情で台本を奪い、読み始めた。そして素っ頓狂な声を上げる。

「あれっ?なんか自分のセリフとか立ち回り、ばっちり当てられてるんすけど……」

「それは俺が、お前の事を昔あいつに話したからだろう」

「マジっすか⁉︎」

「警部に昇格するって決まった時にお祝いしてくれてな、そん時にしつこく後任の警官について聞かれたんだよ」

 警部はバツが悪そうに答えた。新米警官は目を潤ませ、今にも泣きそうな勢いである。

「警部、そんな前から……自分、頑張るっす!期待に応えます!」

 目頭を押さえる新米警官を尻目に今度は音楽家が台本を取り、確認する。

「新米くんの描写に関しては解決したけど、この台本は配達員くんのセリフもしっかり書いてある……確かに少し奇妙だねぇ」

「それなんですけど、あの……この台本にいるはずの”探偵“さんは今どこにいらっしゃるんでしょうか?」

 すると警部がぎろりとこちらを見た。

「探偵?そんなの台本に書いてあったか」

「ほら、ここです」

 ボクは台本を指で示す。

「えぇと?『まず一般的な密室と今回の密室には明確な違いがあります。……』この長い推理はお前さんの台詞だろう」

「それが違うんですよ。この台詞自体はボクが喋った内容とほぼ同じなんですが、台本の中で話してるキャラクターは別の人物なんです」

「どういうことだ」

「いや、それが…一人称が共通で”ボク“だったので気付かなかったんですが、よく読むと最初の取り調べのあと配達員は捌けていて、台詞を読む登場人物が入れ替わってるんです」

「なんだって?」

 警部は音楽家から台本を取り上げるとページを捲り、問題のシーンを読み上げた。

「“配達員の電話が鳴る。『あ、店長!すいません今建て込んでて……え?クビ?ちょっと待って下さい!』側から聞いていた警部がやれやれといった素振りで話し掛ける。『お前の潔白は音楽家が証明したからな、もう帰っていいぞ』配達員それを聞くや否や、泣きそうな声で『すぐ戻ります!クビだけは勘弁して下さぁ~い』……配達員、急ぎ足で舞台下手へと退場。“」

「あら、ホントに退場してるねぇ」

 音楽家が台本を横から覗く。

「そして『入れ替わりで探偵、入場。』と、なるほどねぇ」

「以降その探偵さんが、ボクの推理してるセリフなんかをそのまま喋ってるわけなんですが……」

「タチの悪い冗談だぜ」

 警部が苦虫を噛み潰したような顔をして唸る。ボクは堪らず尋ねた。

「いま屋敷に居る住人は写真家さん、音楽家さん、モデルさんに料理家さんでしたよね?この台本に出てくる探偵さんって一体誰なんですか?そして何故、その方はボクのセリフを……?」

「……」

 黙りこくる警部に代わって、音楽家がのんびりと答えた。

「文化荘には探偵なんて職業の住人は居ないよ」

「じゃ、オリジナルの登場人物って事ですか?」

「いいや。かつて文化荘に探偵と呼ばれていた住人はいたのさ。本業は“画家”だったが……きっと彼女の事を想定したキャラクターじゃないかなぁ」

 音楽家の台詞に新米警官が反応して、円卓に置いた束から一枚の紙を取り出した。

「警部、知ってるなら自分も教えて欲しいっす。俳優が特別に隠して書き残した文書でも、その画家については言及されてるんすよ」


『僕は貴女を守りたい。モデルさん、どうか生き延びて下さい。黒幕の標的は僕ら全員だ。アイツはあの舞台を曲解して画家さんの弔いをしようと……脚本家だけじゃない。僕も間も無く、殺される。』


「これって……」

 ボクは紙束の中から、既に使われた文章を確認する。やっぱりそうだ。続けて台本を確認し、ボクの予感は確信へと変わった。

「この文章の書き手は、脚本中のキャラクターと俳優さん本人で分かれているようですね。全部の文章が手書きかつ署名入りなので気付きませんでしたが、よく読むと一人称がバラバラだ」

 試しに一枚取り出してみる。


『私、ツラい。こんな苦しい気持ちになるなんて知らなかった。いっそ、もう死んだほうがマシ。』


「この文章は一連の流れで見れば俳優さんが自殺を思い悩んだ一文に思えますが、単体で一人称に注目して見ると女性の文章にも思えます」

「確かに”僕“と”俺“が半々くらいあるねぇ。”私“は比較的少ないかな?”俺“の表記は台本に沿った内容みたいだ、クサい台詞が多すぎる。”僕“の方は本人だとして……”私“は一体、誰を演じてたんだ?」

 音楽家が首を傾げる。

「今はわかりませんが、恐らく俳優さんは黒幕の指示で誰かを演じさせられた。その結果、死を考えるほどに追い詰められた女性の思考をトレースし、あの遺書めいた文章が遺されることとなった……俳優さんはその過程で、今回の事件に関して何かしらの気付きを得たんでしょう。隠されていた文書の通り、もし今回起こった一連の事件がその過去の話に端を発しているとすれば……」

 ボクはまたしても口を噤んだ。代わりに、モデルが静かに呟いた。

「これは……連続殺人ね」

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