第二の現場検証

「きゃあああああっ」

 ドアが開いた途端、大廊下に写真家の叫び声が響き渡った。

「クソッタレ!」

 警部は即座に中へと駆け込む。

「みっ、皆さん入らないで!」

 そう呼び掛けて自分も警部のあとを追い、一〇五号室に入る。

「うわっ……」

 部屋の中は異様な光景であった。様々な色、模様をした分厚いカーテンがまるで結界の様に手前から奥に掛けて幾つも並んで垂れ下がっており、廊下の延長線上となるドア前の空間以外、部屋の様子はそれら多くの布に遮られて全く見えなかった。

俳優はそんな部屋の中で唯一、外からも見通せる位置……リビングのドアを開けた奥で首を吊っていた。カーテンに対して垂直に設置された天井の鉄柱に、ロープが括り付けられている。またしても、まるで現場を見せ物にするかの様な構図である。


「新人、その椅子立たせろ!」

 俳優の脚を抱え、担ぎ上げた状態で必死に警部が指示を出す。その足元には大きく、古風な木製の四つ脚椅子が倒れていた。

「早くしろ!」

「はい!」

 椅子を支えにして二人がかりで俳優を床へと降ろし、警部が素早く心肺蘇生を試みる。しかし……

「だめだ、もう死んでる」

「これ……自殺なんすかね」

「まだ分からん、取り敢えず調べるぞ」

「了解っす。自分、先に外の人達を移動させてきます」

「おう」


 リビングを出ると、玄関の向こうで屯している彼らの視線が突き刺さった。どうやら全員、これから伝えられる言葉の内容を察知しているようだ。

「俳優さん、既に息がありませんでした。警部と自分は今から現場検証を行うんで、皆さんにはエントランスホールで待機してて貰いたいっす……」

 彼らの反応を見るのは忍びなかった。それだけ告げると踵を返し急いでリビングへと戻った。

遺体を調べている警部を尻目に改めて室内を見回す。落ち着いてよくよく見てみると、先程カーテンに見えていたのは劇場などで使われる横断幕らしい。天井には梁の様に、これまた演劇の舞台で断幕や装置を吊る際に用いられる鉄柱が四本、リビングへと伸びる廊下の向きに対して垂直に等間隔で並んでおり、更に二本の鉄柱がその並びの両端を塞ぐように設置されている。漢字の『皿』のような配置である。

部屋は鉄柱に掛けられた横断幕によって五等分に仕切られており、入口のドアからはちょうど断幕が重なり合って見えるために部屋の中が見通せなくなっていたのだった。

 カーテンで区切られた五つの空間は狭いセットが幾つも組み合わさった内装で、それぞれが細長い小部屋の様になっている。断幕の模様も裏表で変わっていて、部屋の壁紙まで四方でそれぞれ違っており、異なる時代を彷彿とさせる背景になっていた。

どうやらこうする事で仕切られた空間を全て別の舞台として捉え、断幕を捲るだけでシチュエーションを切り替えられる仕様になっているらしい。俳優ほどの天才となれば、この混沌とも思える部屋の中で様々なシチュエーションに入り込んだ演技の練習が出来ていたのだろう。

 リビングに入って左側、横並びの小部屋の奥に位置する断幕で仕切られた縦長の一区画は舞台裏の様で、台本やパソコン、コピー機などが並ぶ事務所になっており、そのデスクの上には一〇五号室の鍵が置かれていた。


「俳優の死因は縊死で間違いないみたいだ。この首の痕を見てみろ。綺麗に左右対称になってるだろう」

「定型的縊頚ってやつっすよね。全体重が掛かった時に残る、典型的な首吊りの痕……」

「その通り。他人に絞められたりしたらこうはならねぇ、吉川線 も無いしな。静かに死んだらしい」

 そう答えながら警部は俳優を吊るしていた縄を調べ始める。首吊り用、と言ってはなんだがしっかりとした作りで、がっしりとした体格の俳優を支えるのには十分であった。

「まだ温かいな」

 そう言いつつ警部は俳優の靴と、靴下を脱がしていく。

「死体下部には死斑もまだ出てない。やはり今さっき首を吊ったところらしいな」

「このロープで首を吊ったので間違いなさそうっすね。さっきの“ガタンッ”てのも椅子を蹴り飛ばした音って考えれば辻褄が合うっす」

 椅子を倒れていた元の位置に戻してみると、ちょうど俳優が首を吊っていた位置の真下から横倒しになった具合となる。

「脚本家さんが死んだ事を知って、ショックを受けて自殺した……ってとこっすかね」

「直ぐに結論を出そうとするのは危険だ。ちょっと手伝え」

 警部に促されて俳優の遺体を動かそうとすると、右手の掌外沿(小指下の外側)や腕に赤い痣がちらりと見えた。警部もそれに気付いた様で急いでうつ伏せにする。

すると果たして、仰向けでは見えなかった彼の右上腕部には、数センチずつの間隔で薄らと奇妙な横入り模様の痣が、まるで呪詛の如く刻み込まれているのであった。

「おいおい、なんだこれ……」

「圧迫による内出血?索条痕にも思えるっすけど、縛られてたんすかね?でも、もしそうだとしたら片腕のこの部分だけに跡が残るのはおかしいっすよね……」

「薄気味悪りぃぜ。なんなんだ一体」

 怨恨か、或いは……二人はその遺体の痣になにやら得体の知れぬものを感じたのであった。その後、俳優の死に関しての手掛かりを求めて遺体を隈無く調べたが、不可解な痣の他には特に異常な点は認められなかった。


 その後、現場検証をやり易くする為にリビングに並ぶ横断幕を全て部屋の奥側へと移動させ、視界を遮る仕切りを無くした。お陰で見通しは良くなり空間も広くなったが、一方で各空間に分けて配置されていた様々なテイストのオブジェクト達が見境無く犇き合い始め、部屋の空気はより一層混沌さを増したように思われた。

 警部は遺体を部屋の真ん中にあるベッドへと移動させ、部屋にある断幕の中で薄手のものを見繕って覆い被せてから手を合わせる。

ベッドには遺体に被せるのに最適なカバーシーツが掛かっていたが、それは特大サイズの代物でベッドから二回り以上もはみ出しており、周囲の置物に見境無く覆い被さっていた。部屋はただでさえ物が多く移動し難いので、遺体安置のためにその大きな布をわざわざベッドから剥がして、また遺体に被せ直すのは大変な大仕事になる。苦労に見合わないと判断し、使うのを諦めたのだった。

警部がそうして遺体を移動させている間、新米警官はリビングの床一面に散らばったコピー用紙を回収していた。俳優によって書かれたそれらの原稿は、外廊下へ印刷して送るために書かれた文章の原文である。用紙は床だけでなく机の上にも散らばっており、全ての文末に俳優本人の署名が書かれていた。

「大量だな……一つ残らず回収しろよ。あと廊下に転がってた印刷機、あっちも調べておいてくれ」

「了解っす」


 廊下に転がっているコピー機はかなり古い機種だった。持ち運び可能な中型サイズで、遠隔によりデータを受信してファックスの要領で内蔵したロール紙に印刷するタイプのものだ。大廊下にメッセージを送るためドア下部に設置されていたのだろう。

警部の突入時の体当たりで吹っ飛ばされた時に破損したのか、プラスチックの本体には衝撃によるヒビ割れがあった。

「あれ?これは……」

 新米警官は本体の裏側に、黒いシールが貼られていることに気付いた。家具の滑り止めに使う強力なゴム製のものだ。

玄関を調べてみると、ドア付近の床タイルには車のブレーキ痕に似た黒ずんだ跡がしっかりと残っていた。新米警官がそれらの情報をメモに記していると、リビングで捜査を続けていた警部が声を掛ける。

「廊下のはこいつの子機か?」

 リビングの最奥に設置された業務用の大型コピー機と廊下のコピー機は、製品のロゴが一致していた。

「そうみたいっすね」

「こいつからデータを送って大廊下に向けて印刷したって事か……いやに丁寧だが」

 警部はスキャナーの部分に挟まった原稿を取り出してみせる。その内容は最後に送られてきた文面と一致していた。

「俳優さんはこれを操作してからすぐに首を吊ったんすかね?」

「分からん。タイマー機能もあるようだが……」

 話しながら、テーブルから手に取った別の冊子を捲っていた警部が息を呑む。

「警部?」

「新米、これを見てみろ」

 冊子の表紙には『舞台【文化荘の殺人(仮)】作/脚本家』と書かれていた。


『  舞台【文化荘の殺人(仮)】作/脚本家

――オープニングナレーション

 この物語はある屋敷で起きた奇妙な事件の記録である。ことの発端は、屋敷の住人の一人である脚本家の死体が彼の自室で発見された事から始まる。

 殺人は密室で行われ、更に幾重にも用意された巧妙な仕掛けによって本来であれば容疑者の特定にすら至らない筈であった。しかし屋敷には特別な“才能”を持つ者達が集まっており、彼らの活躍によってたちどころに犯人が見つけ出される事となった。

 犯人と目された人物が早々に自らの犯行を認めた事から、事件は容易に解決したかに思われたが、犯人はその上で「真犯人がいる」と主張して自室に立て篭もり、屋敷の住人達に事件の更なる捜査を要求するのだった…… 』


「え。これって、どういうことっすか?」

「取り敢えず、屋敷の奴らに話を聞く必要があるな」

 警部は台本を手に部屋を出た。新米警官も散らばった原稿をかき集めて急いで後を追おうとするが、ピクリと何かに気付いたように動きを止める。振り返ってリビングへ視線を戻し、ゆっくりと部屋全体を見渡す。なにか見落としている気がする……

こういう根拠の無い唐突な予感は新米警官にとって特別なことではなかった。彼はその持ち前の純粋さ故に、こと誰かの悪意や企みといった影のある事象に対しては人一倍敏感だったのだ。他の誰も気に留めない、或いは新米警官本人ですら無自覚で気付かない些細な違和感を無意識のうちに集積し、唐突に隠された真実へと辿り着く――勘としか説明出来ないその才能は今まで、友達のイタズラを回避する程度のつまらない事にしか使われてこなかったが、初めての事件の捜査で遂に真価を発揮したのだ。

部屋の隅に置かれた大型コピー機へつかつかと歩み寄る。そうして側面のプラスチック製の蓋を開けて用紙入れを覗くと、中にはびっしりと新品のコピー用紙が詰まっている。彼は唐突にその紙束を捲り始めた。早く警部の後を追わなければ……そう思いながら、それでもなお彼の手は止まらない。三分の一ほどに差し掛かろうとした時である。

「あった……!」


 遂に彼はコピー機にセットされた用紙の中に紛れた、新品ではないコピー用紙を見つけ出した。床中にばら撒かれていたものと違い、唯一これだけは俳優が意図的に隠していた物らしい。新米警官は予感の的中にほくそ笑みながらその紙に書かれた文章の内容を確認すると、急いでエントランスホールへと向かった。

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