新米警官の活躍

 新米警官は焦っていた。思春期に淡く夢見ていたモデルとの対面。そんな思い掛けない幸運は同時に彼へ事件捜査にそぐわないウブな緊張を与えてしまい、情けない事にあれからずっとふわふわと浮き足立ってしまっていたのである。

しかもそうして腑抜けている間に配達員による華麗な推理披露が行なわれ、つい先刻まで推理小説オタクと括られていた自分との立場はいまや明確にホームズとワトソンの関係に割り振られてしまっている事を悟ったのであった。

 新米警官は自らの才能が確実に犯罪者を追い詰める武器となる自覚があったし、その才能をより効果的に発揮するために推理小説を読み漁り、事件を解決に導く能力を磨いていたつもりだった。

事情聴取の時から事細かに聞いたことをメモして情報を集めることで、自分が一番早くこの事件の真相を暴いてやろうと意気込んでいたし、そのライバルとなるのは尊敬すべき警部以外にはいないと思い込んでいた。

しかし、実際に警官顔負けの推理を披露して見せたのは本来は部外者であるはずの一般人、アルバイトの配達員である。新米警官はただ彼の話をメモすることしか出来なかった自分を恥じた。「良い推理」だなんて称賛の言葉を伝えた時には、内心悔しくて仕方がなかった。

負けたくない……そんな対抗心が芽生え始めた頃、新たに俳優から提示された情報とそれに対しての皆の反応は、新米警官が自信を取り戻すきっかけとしては十分だった。


『一、被害者が事件発生時、凶器による一撃の下に息絶えること。

二、凶器が上記の条件を満たす殺傷力を得る為に必要な加速度が、密室の最高位置から最低位置まで落下した場合にのみ足りること。

三、密室の中で仕掛けに必要な要素が完結していること。』


「なんか二だけ、わざとらしく数学の問題文っぽくない?私文系だしニガテ~」

「ボクも……文系の悪いとこ出ましちゃいましたね」

「自分、分かるっす」

「ホントか?新米」

 警部が訝しげに睨んでくる。

「二は物理問題の単純な条件付けと変わらないっすよ。凶器……例えばナイフで人を殺すにはまず、対象に刃を刺す為に最低限の力が必要っすよね。ナイフが衣服や人体を貫いて、致命傷に至るまで深く刺さるのに必要な力をXと設定した場合、密室内で天井から床まで落下させた場合にだけ、その物体に掛かる力の数値がXに足りるようにナイフの重さを設定しろって指示してるんす」

「おぉ!刑事さん理系っぽい!カッコイイ!」

「理系っぽい、じゃなくてちゃんと理系専攻なんすよ」

 少し照れながらも訂正すると、配達員が尋ねてくる。

「じゃ、この理系っぽい条件は新米警官さんに丸投げしていいですかね。その例え話をされてもボクは未だ条件二の真意を掴めずにいるんですが……」

「多分ですけど、偶発的な要因を否定したいんじゃないっすかね。棚から重い物が落ちて偶々頭に当たって死んだ、みたいな事故じゃ全然面白くないっすから」

「事件に面白さ求めてんじゃねぇよ」

「まぁまぁ警部さん。この場合はそういうシナリオのゲームなんだから良いじゃないの」

「む。しかしですなぁモデルさん、最近の若いもんが読む漫画やドラマじゃ、すぐデスゲームだのなんだのと人殺しが始まって人命を軽んじるような風潮が……」

 警部がモデルに倫理観を語ろうとしたその時、ちょうど彼のケータイが鳴った。

"ピピピピピ"

「おっと、失礼……おう、俺だ。どうした」

 電話に出てすぐ、警部の顔色が変わった。

「……判った。取り敢えず現場は任せてくれ。あぁ。加害者の目星もついてるから、こっちで押さえとく。応援は一台で十分だ」

「警部さん、何があったの?」

 警部は写真家の質問には答えず、一〇五号室のドアに向かって叫ぶ。

「おい、俳優さんよ!ごっこ遊びはお終いだ!今さっき脚本家の容態が急変して、そのまま病院で息を引き取った!これからお前を脚本家殺害の容疑で逮捕する!いいな!」


 脚本家が死んだ。その内容に場の全員が息を呑む。

「え、嘘だよね?」

 写真家が思わず口走ると、警部が厳しく返した。

「嘘じゃねぇよ、脚本家は死んだ。死因の特定はまだだが、告白文のこともある。殺意の有無に関わらず俳優は容疑者だ」

「そんな……」

 写真家の顔はみるみる青褪めていく。続いて配達員が突っ掛かる。

「ちょっと待ってください、黒幕の問題はどうなるんですか?彼が本当に誰かに嵌められていたんだとしたら……」

「それも含めて、とにかく取り調べで詳しく喋ってもらうさ……イタズラでも人が死んじまったんだ。茶番に付き合ってる暇はねぇ」

「でも……」

「配達員さん、その位にしましょう。人が死んでしまった以上、アタシ達素人の出る幕じゃ無いわ」

「ここは自分達に任せて欲しいっす」

新米警官が住人達を宥めている間に、警部は一〇五号室のドアを叩き始める。

"ドンドンドン!"

 木製のドアは古い見た目に反し、びくともしない。警部は声を荒げる。

「俳優!聞こえてるだろう、悪いようにはしないからとにかく部屋から出てこい!」

"ジ、ジィー"

 一〇五号室からの返事はまたもや、一枚のファックスであった。


『本当に申し訳なかった。想像出来ていなかった。いま演じてみて、初めてあの人の気持ちが分かったよ。つらい。あの作品にそんな意図があったかどうか、演じる事しか出来ない僕には解らない。けど、報いは受けるべきだな。どうやら僕は間違いなく、殺人に加担してしまったようだから』


"ガタンッ"

 思い詰めた内容の文章に続いて、部屋の中から何かが倒れた音が外廊下に響いた。悪い想像が頭を過ぎる。

急いでドアノブの下にある鍵穴から中を覗くと、リビングのドアは開いていた。その奥で何やら大きな影が振り子のように揺れているのが見える。

「おい俳優!大丈夫か!」

 焦って呼び掛けるが、当然返事は無い。まさか……まさかな。

「新米、裏から回って一〇五号室の中を確認して来い!」

「はい!」

 駆け出そうとする新米警官を写真家さんが止めた。

「一〇五号室は外から見えないよ!前に部屋見せてもらった時、確かポスターで塞がれてたんだ。ちょうど窓の外が厨房の専用搬入口と被っちゃってて気が散るからって俳優さん言ってた」

「なんだって⁉︎クソッ……」

 焦る警部を見て何かを悟ったモデルが踵を返し、自室へと走る。十数秒後、戻って来た彼女の手には如何にもといったデザインの鍵が握られていた。

「一応、この鍵でドアは開くけど」

「え、これってマスターキーっすか?何でモデルさんが持って……」

「アタシ、ここの管理人だから」

「そうなんすか⁈ていうか鍵あるんなら、もっと最初から出して下さいよ!」

「だって、折角のゲームを台無しにしたくなかったんだもの」

「モデルさん!早く鍵をこっちへ」

 警部が急いで鍵を回す。

"ガチャガチャ"

「クソッ、開かねぇ!」

「警部さん落ち着いて、時計回りに一回転させるのよ」

「う、むぅ」

"カチャリ……"

 鍵の開いた音がした。だが依然としてドアは開かない。

「何かつっかえてるのか。少し手荒になるが……」

 そう言いながら、警部はドアノブを捻りつつドアに体当たりする。

“ドンッ!ドンッ!!ドンッ!!!”

 何度かの体当たりの末、遂にドアが開いた。ドアの開いた衝撃で箱型の何かが吹き飛んで廊下を転がる。原稿を印刷して送っていたコピー機である。その先のリビングへと続く扉は開いており、中には倒れた椅子。そして部屋の奥で……一人の男がゆっくりと宙に揺れていた。


事件現場 一〇五号室

被害者 “俳優”

第一発見者 “警部”他五名

発見日時 六月某日午前十一時五〇分

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