書簡でのやり取り
"ゴロゴロゴロ……"
いつしか雨は豪雨へと変わり、雷まで鳴り始めていた。
天窓を強く叩き付ける雨音が深々と響くエントランスホールには、一〇五号室の前から移動した面々が集まっている。先程の文書と脚本家の事件に関して考察をしたいとモデルが言い出したからである。
「まずは状況を整理しましょう」
そんなセリフと共に、彼女の綺麗な指先がボクへと伸びる。
「アナタが第一発見者」
「は、はい」
ボクは緊張していた。モデルの事は雑誌やテレビで知っていたが、メディアで見るのと実際に対峙するのとでは当たり前だが感覚が全く違っていた。テレビで見た時は、まぁそれなりの美人といった印象だったが、実際には顔をちらりと見るだけで胸が高鳴り、初めてルーブル美術館を訪れた時の事を思い出していた。地下の展示場でミュシャの胸像を見た時と同じ、ため息が出る美しさを感じたのだ。
ただ彼女と相対した時に感じる美的なオーラというのは、その整った顔立ちの為だけではなかった。声や匂い、立ち振る舞いといった全ての要素が、彼女の存在を否応無しに魅力的であると認識させるのだった。
「それとほぼ同時に写真家さん、音楽家さんが合流して脚本家さんが倒れてるのを発見したのよね?」
「実はね、私は彼が来ることを知ってたんだよ。このタレコミで」
写真家が手紙を取り出して見せる。コピー用紙に印刷された簡素なものだ。みんなが手紙に注目する中、ボクはさっき気になっていたことを聞いてみた。
「そういえば写真家さんは、一〇五号室に糸が入っていくところを見たと言ってましたが、どうやって気付いたんですか?」
「あぁ、それね!私、目の良さが異常なんだよね。それと、目に映ったことも全部ビデオみたいに思い出せるの……糸はほんの一瞬だけ見えたんだ」
「へぇ、音楽家さんは耳、写真家さんは目ですか……なるほど」
「文化荘に住んでる人は大抵、突出した才能を持ってる人達ばっかりなんだよ。先天的か後天的かは分からないけど、それが職人気質というか、芸術家気質の集まる理由かもね」
「それってどこまでの人が知ってることなんですか?」
「どうかな、超能力みたいに下手に面白がられるのが嫌だから、それぞれの界隈でも知らない人の方が多いかも、けど屋敷に住む時はお互い大体紹介し合ってるから……」
「じゃあやっぱり、この状況は黒幕がいなければ説明がつきませんね。さっきの文書は俳優さんの一人芝居ではないと思います」
「やっぱりだって?配達員くん、いやに自信ありげだねぇ」
「説明してもいいですか?ボクはピザの宅配が、第一発見者を作る為の作為的なモノだと確信してるんですが……」
「と、言うと?」
「第一に、代金がどこにも見当たらなかったんです。仮に脚本家さん本人が本当にピザを頼んだのだとしたら、注文を確定したタイミングで現金だけ先に玄関に置いておく筈なんです。受け取りを自分が出ずに済むよう置き配にしておきながら、わざわざ配達時間ギリギリまでお金の用意をしないなんて不自然じゃありませんか?」
「犯人と揉めて、お金が用意できなかったって可能性は?」
「それなら尚更ですよ。犯人が脚本家さんの頼んだピザの宅配を把握していなかったとします。そうなると必然的に、写真家さんに届いたメモは脚本家さんが自演したものって事になりますよね?すると脚本家さん自身があの時間に、この部屋の前に複数人の目撃者を用意しておきたかったということになります。逆に犯人がピザの宅配を把握していたのなら、不自然さを解消する為に現金を用意して遺体を隠しておくはずです。なのに現金は用意されていなかった。何故か?犯人は確実に、脚本家さんが倒れているのを配達員に見つけて欲しかったんです。ボクが脚本家さんを見つけたのはお金が見つからなかったからですが、仮に玄関で集金を済ませてピザを置くだけの視線の動きを想定するなら、彼が倒れていた位置は奥過ぎます。もし玄関に代金が置かれていたら、不注意な輩だと倒れている脚本家さんに気付く事なく、ピザを置いてそのまま出て行ってしまう可能性がありますから……つまりピザの宅配をしたのが脚本家さんであれ犯人であれ、誰であってもその意図は共通して、今日の午前一〇時三〇分に一〇六号室で事件を目撃する人物を用意したかったって事になるんです」
「ふむぅ……」
警部が唸る。
「確かに、誰とも知らん配達員に頼ると、発見されない可能性の方が高そうだな。端から脚本家が代金を用意してない理由としてはその方がしっくり来る」
「けど犯人はどうして発見して貰いたかったの?普通、こういうのって出来るだけ事件の発覚を遅らせようとするもんじゃない?」
写真家が不思議そうに聞いてくる。それが次に話したい内容へ直結していたので、ボクは食い気味に答えた。
「そこがミソなんです。まず一般的な密室と今回の密室には明確な違いがあります。普通、密室というと鍵が掛かって密閉された空間を指しますが、今回の一〇六号室にはドアの鍵が掛かっていませんでした。つまり正確には、物理的な密室じゃなかった。ただそれが極めて限定的な条件……犯行時刻とほぼ同時に被害者が発見されることで、ボクをはじめとした発見者によって出口が封鎖されて成立した密室なんです。しかも黒幕はこの特殊な状況を作り出す上で、第一発見者に純粋な鍵としての役割を持たせたかった。何故なら俳優さんに事件の容疑を向けさせる必要があったからです。一〇六号室で起こったことには初めから完全犯罪を目的に練られたトリックによるもので、本来容易には犯人の特定に至らない仕掛けが施されていたと想像できます。その仕掛けに守られた俳優さんを追い詰めるためにも、黒幕は写真家さんに手紙を送ったんです。容疑者になるであろう第一発見者のボクのアリバイを明確にすると同時に、写真家さんの目を使って密室トリックのタネの一部を敢えて看破させたわけです」
「ウソ私、利用されてたの?」
写真家は驚いて、大きな眼をさらに見開いて見せた。
「黒幕からすれば、信頼していたと言ったところでしょうね。写真家さん以外で、一〇五号室に入っていく糸の存在に気づくことが出来る人物は恐らく居ないでしょう。そうなれば俳優さんに容疑が向くことも無く、彼が立て篭もって弁明する機会もなくなる……この事件の発見から容疑者の特定に至るまで、全ての流れが俳優さんを陥れる為に計画されていた。そう考えないと展開が都合良すぎるんですよ」
ここまで一気に話して、はっと口を噤んだ。
円卓の人達は全員、ボクのことをじっと見ている。あぁ、またやってしまった。推理小説好きが災いして、スイッチが入るとすぐにベラベラと喋ってしまう。しかも根拠の薄い推察を延々と……
「あ、すいません今の全部忘れてください」
「え⁉︎自分全部メモ取っちゃったっすよ」
新米警官が慌てて手帳を見せてくる、中には細かい文字がビッシリと敷き詰められ、さっきボクの喋った内容が一言一句記されていた。
「あぁ、ごめんなさい」
すると思い掛けず、写真家をはじめその場の皆がフォローを入れてくれた。
「謝ることないよ!私、配達員くん結構良い線イってると思う」
「自分もそう思うっす、なかなかの推理っすよ」
「ほ、ホントですか?」
「アタシもそう思うわ……ところで配達員さんの推理だと、黒幕は写真家さんの才能を知ってる文化荘の関係者に絞られるわね」
「あ、はい。その結論があまりに不躾なので皆さんの前で言うのを憚ってしまいました」
「気にしすぎだよキミ。警部さんなんか、はじめから身内の犯行って決めつけてたよ」
「俺は本職だ、一緒にすんな」
音楽家の軽口に警部が吐き捨てるように返す。
「けどまぁ、素人にしてはなかなかのもんだ。で、その肝心の関係者だが……屋敷に住んでて今この場にいないのは、俳優と料理家だけだな」
「料理家さんは、今どこにいらっしゃるんですか?」
尋ねると写真家と音楽家が立て続けに答えた。
「今は都内で仕事じゃないかな、色んな現場回ってて超忙しい人だから……でも私、料理家さんは流石に無関係な気がするけどね」
「オレもそう思うよ。料理家はこんなイタズラするほど暇じゃない」
「そんなに多忙な方なんですか?」
「テレビ露出も多くて都内の現場もずっと掛け持ちで回ってるのに、文化荘の食事まで全部用意してくれてるんだよ!あのアポローン像の裏にある厨房にずっと篭って料理の研究してて、毎日早朝と夕方には人数分の食事が用意してあるんだ」
「なるほど、脚本家さんの部屋に冷蔵庫が見当たらなかったのが不思議でしたが、そういうのも厨房に纏められてるんですかね」
「そういうこと。みんな自分の部屋はアトリエになってるから余計なものは置かないの」
「アタシの部屋には冷蔵庫あるわよ、ワインセラーも」
「いいですね」
「話が逸れてるな、黒幕が誰であれまずは密室のトリックを暴くとこから始めようや」
痺れを切らした警部がそう言うと
"ジ、ジィーッ"
タイミングよく一〇五号室の方からファックス用紙の出る音が聞こえてきた。全員、内容を確かめようと大廊下へと移動する。
『密室で起きた事件には設定された条件がある。これにより状況が人為の介在しない偶然の事故によって作り出された可能性を否定すると共に、君達の純粋なトリックの究明を手助けすると信じている。
一、被害者が事件発生時、凶器による一撃の下に息絶えること。
二、凶器が上記の条件を満たす殺傷力を得る為に必要な加速度が、密室の最高位置から最低位置まで落下した場合にのみ足りること。
三、密室の中で仕掛けの必要な要素が完結していること。
以上の三点だ。どうか役立てて欲しい、健闘を祈る。』
「これは……」
文章を読み上げた警部は明らかに戸惑っている様子である。
「ややこしいな、小難しいのはイライラするぜ」
「さっきまでのと全然違う文体ですね……なんとなく言いたいことは分かりますが。一、事件発生時、凶器による一撃の下に息絶えること。これは予め被害者を殺しておくって手口を否定してるわけですよね」
モデルは頷きながら続けた。
「あと三も分かるわ。あの部屋の中に全ての証拠が揃ってるってことよね」
「なんか二だけ、わざとらしく数学の問題文っぽくない?私文系だしニガテ~」
「ボクも……文系の悪いとこ出ましちゃいましたね」
皆が頭を悩ませる中、一人の男が満を辞して発言した。
「自分、分かるっす」
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