モデルについて

 一〇七号室に住むモデルは悠々自適の生活を送っていた。

十八の頃、雑誌のモデルにスカウトされてからすぐさま絶世の美女と持て囃され、一瞬で業界のカリスマ的存在になった。写真集にCM、様々なメディアで取り上げられた彼女の美しさは瞬く間に世界中の人々の知るところとなる。

程なくしてパリのファッションショーに出ないかと世界的なデザイナーからオファーされ、名前しか聞いたことのないようなブランドから次々に商品がプレゼントされた。宣伝になるからと、それを身につけるだけでお金が手に入るのだった。彼女の両親は早くに他界していたので稼ぎは全て彼女のものとなった。間も無く巨万の富を得た彼女は、多忙によるストレスを理由にデビューからわずか三年で引退してしまう。

 彼女が引退した本当の理由は、自由に世界中を見て回りたいという願望だった。それから数年は気の向くまま旅をして過ごし、文化荘に落ち着いたのが二十七の時である。

当時の文化荘の管理人は彼女の叔父に当たる人物で、それとなく住む事を勧められていたのだ。入居を決めてから程なくして、叔父は彼女に文化荘の管理人権限を譲渡し、彼女もそれを快諾した。これまで活発に活動を続けてきた反動からか、或いはこの土地の居心地の良さか、屋敷での隠居生活はもう八年になる。偶の旅行には行くものの、彼女は文化荘での自由に過ごせる日々を愛していた。


 その日、アタシが目覚めたのは午前十一時を回った頃だった。

前の日に夕食と合わせて軽く飲んだワインのせいか、雨による低気圧のせいか。こんこんと眠り込んでいたアタシは目覚めると気持ち良く伸びをして、また布団を被り直した。そうして五分ばかりベッドに寝そべって動かないでいると、突然耳慣れない怒鳴り声が外から聞こえてくる。

私の寝てる間に何か騒ぎがあったのかしら?見逃すわけにはいかないわ……野次馬根性を出してどうにか眠気を跳ね除け、いそいそと体を起こして布団から出る。ネグリジェにガウンを羽織り、ドアを開けて大廊下に出る。声の主は、一〇五号室の前で何人かを引き連れて呼び掛けを続けていた。


「ご機嫌よう。あら、警部さん大勢で……何かあったの?」

 すると警部の横の若い警官が目を見開いて震えた声を上げる。

「えっあれ⁉︎モデルさん?ですよね!自分、芸能人を生で見たの初めてっす!ずっとファンでした!」

「うふふ。ありがとう……アナタも警察の人ね、新人さん?」

「はい!自分、新米警官って言います!警部の後任としてこれから文化荘の担当をさせて頂く予定っす!」

「あらぁ、それは頼もしいわねぇ……宜しくお願いするわ」

「了解っす!」

 瞳を輝かせながら敬礼する新米警官の後ろから、警部は呆れ顔でアタシを見る。

「モデルさん、今まで寝てらしたんですかい?」

「ええ。ぐっすりと……それで?何か問題でも?」

「脚本家さんが病院に運ばれました。頭を殴られてね、俳優さんがその容疑者って訳ですよ」

「へぇ……じゃ彼は犯人として部屋に立て篭もりを?」

「いや、そんな追い込んではいませんよ。ただ少し聞きたいことがあるって程度……まぁ中に居るだろうというので呼び掛けてるんですわ」

「なるほどね」

 アタシは一〇五号室のドアに向けて、誘うように声を掛けた。

「俳優サァン、出ておいでなさいな。アタシも一緒に話を聞いてあげるから……」

"ジ、ジィーッ"

 すると突然、中からなにか機械が作動したような物音がして、ドアの下から一枚のファックス原稿が出てきた。


『モデルさん、どうか僕を許してください。こんなことになるだなんて思わなかったんだ、僕の考えが浅いばかりに……どうか、どうか許して欲しい。』


 印刷された文章の文字は全て手書きであり、俳優本人のものと思われるサインが文末に添えられていた。その印刷の粗さから、恐らく古いコピー機か何かがドアの向こうに置かれており印刷用紙の出口がちょうどドアの下になるよう設置されていて、それを介して送られているらしかった。間髪入れずにもう一枚、文書が出てきた。


『恐らく脚本家を殺したのは俺で間違いない。だが俺を嵌めた“黒幕”がいる。そいつは、今回の事件が事故だと証明できる直接的な証拠を持ってるらしい。そして俺はこの部屋から出られない。従わなければ、証拠を消すと脅された……』


「なんだか芝居掛かった演出だなぁ、えぇ?」

 警部が横槍を入れてくる。

「そうねぇ、アタシこういうの大好きよ」

 ワクワクしながら続きを読む。


『……今の状況は脚本家の書いた完全犯罪密室殺人のトリックによって生み出されたものだ。俺は奴に許される範囲内で情報を書いてそっちに送る。君達にはそれを元に、どうやって今回の事件が引き起こされたか推理して欲しい。時間内に正解に辿り着いてくれれば、黒幕は俺を解放して無実の証拠も渡すと言っている。』


「なるほど!じゃ俳優さんの裁判の行方は私達に掛かってるってワケだね!」

「まだ書類送検すらされてないけどな」

 そわそわと興奮気味の写真家に、呆れた警部が冷ややかにツッコミを入れる。

「警部さんったら、相変わらず冷たいのねぇ」

 かくいうアタシも興奮していた。俳優さんの演技の才能はもちろん評価していたけど、こんなお茶目な一面もあっただなんて。どうやら今日は退屈せずに済みそうね。

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