三人の対処

「警察にはオレが連絡するよ、文化荘直属の“警部”がいるんだ」

「じゃ、救急車は私が呼ぶね!」

 彼らがそうして電話を掛けにそれぞれの自室へと戻った隙に、少し落ち着きを取り戻したボクは急いでさっき撒き散らしてしまったピザの切れ端を拾い集めた。半分近く溢れてしまっている。捨て場所に困った挙句、仕方なくそれらを元のピザの箱に戻した。中にはまだ数切れ無事なピザが残っていたが、この状況だ。もはや誰にも食べられる事はないだろう。

次に手拭い用のウェットティッシュを使って絨毯を丁寧に拭った。トッピングのチーズやケチャップは乾いてしまったら絨毯の毛に絡みついて掃除が大変だし、なにより弁償なんて事になったらボクには到底払い切れないだろうと内心ヒヤヒヤしていた。大体目に見える汚れを取り終えると、ウェットティッシュを更に何枚か使って絨毯を叩く。ケチャップの色が移らなくなったのを確認してやっと人心地が付く。

思ったよりゴミが増えてしまった、ポケットからさっき畳んだビニール袋を広げてゴミ袋として利用した。先にピザの箱を入れて底を広げ、その上に丸まったウェットティッシュを放り込む……


そうこうしていると、救急車への連絡を済ませたらしく女の子が帰ってきた。

「ゴミだったら部屋のドア横に置いといて良いよ。清掃業者の人が纏めて回収してくれるから」

「あ、そうなんですね。分かりました……まるでホテルみたいですね」

「私も最初思った!実際、料理も用意して貰えるし一流の高級ホテルとほとんど変わんないの、本当に快適なんだよ」

 そう笑って見せる彼女の台詞に嫌味は感じられなかった。それが彼女の純粋な感想だからか、或いはボクにとって別世界の話過ぎて嫉妬心すら湧かなかったか。そんな事を考えていると、女の子がボクの顔をジッと覗き込んできた。先程の情けない思考が読まれるようで、気まずくなって思わず尋ねる。

「な、なんですか?」

「ヘルメット取って」

「あ、はい……」

 言われるがままにヘルメットを脱ぐと、彼女の顔はパッと明るくなった。

「配達員さんってさ、〇〇大学の出身でしょ!」

「え?そうですけど……なんで分かるんですか?」

「やっぱり!ほら私、同期の」

「あ!え?もしかして……」

 驚いた。彼女に言われてやっと思い出す、確かに彼女の顔には朧げながら見覚えがあった。かつての大学同期……そればかりか二年の頃に何度か話した事がある。

「思い出してくれた?久し振りだね~!こんなとこで再会するなんて、嬉しい偶然!」

「髪の色も髪型も変わってたから全然気が付かなかった!凄いね、その歳で文化荘に住んでるなんて。コンクールで入賞とかしてたもんね、波の華……だったっけ?あの受賞作、凄い綺麗な写真だったからよく覚えてるよ」

「見てくれてたんだ!ありがと。ココに来れたのは運が良かったんだよ。私、地方から出てきてたからさ。学生の頃……ってか今もだけど、お金無くて必死だったんだ。だから写真関連の仕事だったらなんでもやってて、お陰でここに住んでる料理家さんが出す料理本の撮影の仕事貰えてさ、その人のツテで紹介して貰えたの。卒業するちょっと前に引っ越したんだよ」

「なるほど……やっぱ凄いや」

「君は?創作活動とか順調?卒業制作の作品、私かなり好きだったよ」

「ありがとう……一応細々と続けてはいるけどお金にはなってなくて、アルバイトで生活費稼ぐのが精一杯。見ての通りフリーター」

「懐かしいなぁ、二年生の頃だっけ?初めて話しかけたの憶えてる?」

 勿論……そう返すボクの脳裏には直前まですっかり忘れていた記憶が一部、鮮明に蘇ってきた。あれは確か講義までの休み時間、教室で推理小説を読み耽っていた時のことだ。


「あ、『反作用のレシピ』だ!面白いよねぇ、本来即効性の毒を重ね掛けで遅効性にしてアリバイ作るなんて」

「えっと、ごめん。ボクまだそこまで読んでないや……」

「えっ⁉︎やだうそ、ごめんなさい!」

「あっ、大丈夫!一応、着想元の事件は知ってるからなんとなくトリックは読めてたし」

「何それ逆に私そっち知らないかも、この本って元ネタあったんだ!」


 当時、芸術というボンヤリとした枠で大学に集まった同級生達は趣味嗜好がバラバラでなかなかソリが合わず、上手くグループを作り損ねたボクは大学構内でも一人で過ごすことが多かった。そんな中、推理小説について深く語り合える人の存在は貴重で、そう感じたのは彼女も同じらしかった。それから何度か授業や休み時間、顔を合わせる度にボクらは推理小説の話題で盛り上がったのだ。

 幼い頃から本を読み漁っていて一応マニアの自覚があったボクだが、彼女も有名どころからマイナー作品まで、負けず劣らずかなり広い範囲の推理小説を読んでおり、互角に話せる良い話し相手となった。

だが彼女は常に授業でも高い評価を受ける優秀な学生であり、同級生とはいえ凡夫のボクにとっては少し遠い存在でもあった。程なくして割と大きな写真コンクールで彼女が大賞を受賞したのをキッカケに、当時のボクは勝手に負い目を感じて彼女と関わるのを避け始め、三年の頃にはすっかり疎遠になってしまったのだ。


「推理小説の種明かしなんて、生まれて初めてされたからね」

「あの時はホントごめんね!知ってるタイトルだったから、つい……」

 彼女とボクの差はどこで生まれたんだろう。そんなナーバスな思いが、ふと頭を擡げ始めた頃、さっきの男性が戻ってきた。

「連絡したよ、一先ず救急車が来てくれる。あと負傷者は下手に動かさないようにってさ……なんだ、君達知り合いなのかい?」

「へへ!大学同期~」

「初めまして、〇〇大学○期生の配達員です」

「こちらこそ初めまして、音楽家といいます。ところで倒れてる彼……脚本家は誰かに殴られたのかい?」

「どうでしょう。今のところは、何かで頭を打ったってことくらいしか……」

「もし殴った誰か居るとしたら、きっとリビングだよね!確かめようよ」

 頭部の怪我ということもあって横たわる脚本家を碌に介抱することもできないボク達は、写真家の提案により三人で一〇六号室の中をあらためることにした。

 二人によれば、屋敷の部屋の間取りは大体が共通で、玄関から幅約一メートル、長さ約三メートルの廊下がリビングに向かって伸びており、リビングの広さは約四・五平米であるという。そしてお風呂場やトイレのあるサニタリースペースが屋敷東側の一〇二、一〇四、一〇六、一〇八号室には廊下から入って右手に、屋敷西側の一〇一、一〇三、一〇五、一〇七号室には左手にそれぞれ存在している。

つまり大廊下を軸に向かい合わせの部屋が、鏡写しのような設計になっているのだ。そして全ての部屋において、大廊下に面するドア以外の出入り口はないらしい。一応リビングには最奥の壁に窓が二つ開いているものの、総て外からの侵入を防ぐ為の鉄格子で塞がれているので出入りは不可能だという。よって脚本家が誰かに殴られたとすれば、現時点で未だ一〇六号室の部屋のどこかに潜んでいるはずなのであった。

「武器とか用意しないと不味くないですか?」

「大丈夫大丈夫!人数で有利だし」

「下手に相手を刺激しないためにも手ぶらが一番さ」

「そういうもんですかね……」

 事件には慣れっこだと豪語する二人に唆され、血溜まりを避けて脚本家さんを踏まないように気を付けて廊下を奥へと進む。倒れた椅子を乗り越えてリビングに入ると、中に人の気配はなかった。

「誰も……いない?」

 部屋の中は簡素だった。窓際の仕事用らしいデスクにパソコン。中央には来客用テーブル、その上に二つのグラスとお酒のボトル、氷入れが置いてある。そのテーブルには廊下に倒れているのと同じ型の椅子が一脚。本来向かい合う形で設置されていたのだろう。部屋の右手にはカーテンの仕切りがあり、奥の壁には一面の本棚と、隅にベッドが置かれていた。一通り確認したが、人が隠れられそうな場所は見当たらない。

「相変わらず味気ない部屋だねぇ」

 凶悪な暴力犯が部屋に居ないと分かって安心したのか、後ろから続いて入ってきた音楽家さんがのんびりと呟く。どうやらボクは体良く盾として使われたようだ。

「グラスを見るに、誰かとお酒を飲んでいたようですね」

「こんな時間に来客ねぇ、それこそ夜通し俳優さんと打ち合わせすることはよくあるだろうけど……氷が溶けてるからさっき来たってわけでも無さそうだ。あと隠れられる場所があるとすればサニタリーかな?」

「あぁ、そういえば見忘れてましたね」

 リビングから引き返すと廊下で一人、写真家が倒れた椅子と格闘していた。

「この椅子がつっかえてサニタリーが開かないんだよね」

 リビングとサニタリーのドアは両方、廊下に向かって時計回りに開く設計となっていた。開いたリビングのドアとその間に倒れた椅子がちょうど、サニタリールームのドアに対してつっかえ棒の様になってしまっているらしい。

「もとからサニタリーのドア開ける時、いっつもリビングのドアが引っ掛かかると思ってたんだよね」

「きっちりリビングのドアを閉めればそんな風にならないと思うけどねぇ」

「いや、絶対設計ミスだね」

 そんな文句を言いながらやっとのことで椅子を退かすと、彼女はドアを開いた。

「むー、ここにも誰もいない……」

 開かずの間となっていたサニタリールームでは、静かに洗濯機が回っていた。年代は分からないが年季の入った縦型の洗濯機である。稼働を止めて一応中を確認したが、当然そんな所に人が隠れているはずもなく、脚本家自身が洗濯したであろう衣類が水の中を漂っているだけだった。

「一体どこに消えたんだろうねぇ」

「密室殺人ってワクワクするね」

「まだ殺人じゃないですよ……犯人はこの部屋にはいないみたいですけど、どうしますか?」

「まずは現場検証でしょ!」


 ボクたちは犯人が忽然と消えた部屋で、引き続き現場検証を行う事にした。まず凶器だが、どうやら廊下に落ちているトロフィーで間違いないらしい。血溜まりに触れていないはずの台座の角にしっかりと血痕が付着していたのだ。

 凶器の特定は簡単だったが、問題はその方法だ。トロフィーは一升瓶ほどの大きさの杯に、高さ約七センチ余り、縦横約二〇センチ平方の台座が付いたもの。重さはそこまでだが、そのサイズと重量の兼ね合いを考えると片手で扱うには難しい代物であった。

 更に脚本家の頭部にある打撲痕の位置はほぼ頭頂部であり、仮に彼が立ち上がった状態で殴られたとすると、このトロフィーの台座部分で殴るには一般的な人間の身長では不可能に近かった。彼が屈んだところをゴルフのスイングの様にして殴るか、座った状態の彼をそこそこ身長のある人物が上から振り下ろして殴ったかのどちらかであると予想された。

「犯人はわざわざこの椅子を移動させてから、脚本家を座らせて殴ったんですかね?」

 廊下に倒れた椅子を見て二人に尋ねる。

「どうしてそう思うの?」

 ボクは先程までの考えを二人に話してみた。

「なるほどねぇ、確かにこの廊下じゃトロフィーを振り被るにも狭いか……」

「ここのドアが開いていたのは、廊下で椅子に座らせた脚本家を空間に余裕のあるリビングから殴った為ではないでしょうか?」

 ドアは廊下に向けて開き切っており、それを塞ぐように椅子が横倒しになっていた。つまり椅子が設置された時点でドアは既に開いていたということになる。

「確かにリビングの中は廊下より天井も高いし、何より開けてるから身動きも取りやすいだろうねぇ」

「よくそんなポンポン推理できるよね!配達員くんってなんだか推理小説に出てくる探偵さんみたい」

「いやいや……推理小説は好きだからその言葉は嬉しいけど、まだ可能性を羅列してるだけだって。ただの妄想だよ」

「探偵ねぇ」

 音楽家の顔が曇る。

「音楽家さんは推理小説とかお嫌いですか?」

「いや、別に……」

「ねぇねぇ、それよりトロフィーのここ見てよ!絶対トリックだよね」

 彼女が指で示した部分、トロフィーの下部には黒く細い糸が絡まるように巻き付いていた。何度か手品の種明かしで見た事があるインビシブルスレッドに質感がよく似ている。

「何かしらの細工があったことは間違い無いでしょうね……となると最初の凶器がトロフィーかどうかも怪しくなってくるのかな」

「私が見た糸はきっとこのトロフィーに繋がってたんだよ。犯人は糸を使ってなにか現場工作したんだ」

「そうなると、やっぱり一〇五号室の俳優さんが怪しいねぇ」

「脚本家さんから直接話を聞ければ早いんですが……」

 そんな期待も虚しく脚本家は意識を取り戻さないまま、やがて到着した救急隊員によって担架に乗せられ、運び出されて行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る