第18話
とおりゃんせ、とおりゃんせ――。
「この‼」
梓は奥歯を噛んで足に力を入れ同時に弓を構えた。
鞭のようにしなり来る胴体だけの化け物。アヤカシの横なぎを飛び越え半回転。弓を射る。射られた弓の反動で体勢が変わり、空中ではバランスをとれず、少しばかり無様に地に足と手をついた。
穿たれた鏃はアヤカシの胴体を打ち抜き――地面へと縫い付けるが、再びしなると矢は地面から外れ、梓の顔は怒りに満ちる。
あらゆる方向から生贄少女が情報を送ってくる。長い手と足を持った妙な二人組の化け物手長足長と戦い始める夏乃子。炎をまといカニの甲羅を赤く染めるフローゼ。どこもかしこも化け物だらけで辟易とする。
この状態でイヤホンからは指示をくれだの、どうすればいいだの聞こえてくるものだから頭はパンク寸前。おまけに目の前にはチェンソーのように体を振り回し暴れ回れるアヤカシがいる。うまくいかない物事に何もかも投げ出したい衝動に囚われて。
てめぇで考えろや頭あんだろと汚い言葉が脳裏をかすめ。
「がんばれ☆ がんばれ☆ がんばるにゃん☆」
背後でやけにキレのいいダンスを踊っているウズメに怒りを通し越していっそう笑いがこみあげてくる。
「言っとくけど、先生は弱いにゃん☆」
「ぶつよ⁉」
「あん☆ ひどいー☆」
ウズメが発する言葉とは裏腹に、その割にはアヤカシのしなる胴を器用にかわすなと、いっそうぶつかればいいのにと梓は思い、その考えに気づいたウズメは苦い顔を可愛く顔を歪めながら、ひどいと叫んだ。
死と生の狭間、アドレナリンの過剰分泌で皆笑いすらこみあげてくる。
いびつな笑みを浮かべる者。怒りに満ちた表情をする者。顔を真っ赤にして必死に抗う者。怯えて影で丸まる者。
得体のしれない化け物との攻防。どう攻撃してくるのか。どう殺しにくるのか。ゲームのようにやり直しなどないと、生きていたい、生きていたいと体は全力で意思をねじ伏せようとする。逃げようとする本能に必死に抗っている。
瞬きすら忘れ梓の目は充血し多大なストレスから涙も零れる。助けて、誰か、手が足りない、手が足りないのと、わかっているけれど。アヤカシや虫の攻撃を避ける。自分も手一杯なのよ。
大きく息を吐く。泣き言を言うな。やるのよ。やるのよ。
「二〇四班‼ 二〇七班を援護して‼ 二〇一班‼ 二〇五班‼ 援護射撃いくわよ‼」
声を張り上げる――その声に揺さぶられて呼ばれた個人ではないクラスメイトや先輩たちも奮起する。
「日下部‼ 笑われてるぞ‼ 日下部‼」
「あぁっもう……あぁ‼ やればいんでしょやれば‼ 名指しするなよ‼」
「二〇二班の援護にいくわよ‼」
「二〇五班‼ 矢が当たらないのを祈れ‼」
「まじかよ‼」
「おら‼ こいやぁあああ‼」
耳がキーンとしたと、夏乃子はイヤホンを耳から外して地面に投げつけた。援護しに行きたいのに奇妙な空間に囚われて行けそうにない。
なぜそんな姿になっている。足の長い人間モドキと手の長い人間モドキが、なんの冗談か肩車して立っているのだから自分が正気なのかどうかすら疑わしくなってくる。
どうすりゃそんな姿になってしまうのよと夏乃子は悪態をつかずにはいられない。
手の長い人間モドキが地面に手を入れて、舗装された道を剥がしていくのだから、いよいよ頭も痛くなる。
掘り起こされ投げ出される塊に夏乃子は顔を歪めた。
蹴り、蹴り、蹴り、避けて背後の誰かに当たったら――全部打ち落とす。
稲光が走る。轟音と共に。
夏の匂い――。
からりと乾いた空気、横たえて空を見ている。
みなの声。生きている音。頬についた黒い泥。夜でも泣き止まぬ蝉の鳴き声。日差しの熱、アスファルトについた足跡。
温度を伴って流れる風が心地良く。スローモーションで流れるみたいに。
夜が来る。
「世界は綺麗だよな」
少女ミコトが燈彼の傍にいた。
燈彼の瞳は少女ミコトの姿を映す――その姿。
ミコトはかがみ、燈彼の頬を右手で撫でる。
「かつて、穢れを祓うために一人生まれた。祓われた穢れと祓う力が混じり合い一人生まれた。そして最後に、祓われた穢れより一人生まれた。俺は穢れの姿によく似ている。地上では姿を保てない不安定な存在だ。だから人に寄り添わなければならない。お前は優しいね燈彼。俺は優しくなれそうにない。お前は優しくあればいい。その代わり、俺がお前の怒りと憎しみになるよ」
燈彼を立ち上がらせ、ミコトは頬についた汗とゴミを手で払う。
「かつて亡骸となったこの体を借り、兄を殺した時のように」
少女ミコトの体が解(ほど)けて蝶となる、ひらひらと舞いながら燈彼の頭へ降り立つと、燈彼の瞳は黄赤金色へと変わった。
燈彼は口を開く――。
「姉様。こうしていると、世界を滅ぼしてやりたくなるよ。あんたは望まないだろうけれど」
ぬらりと――包丁を右手で構え、ぺろりと舌をだす。
「んじゃやるかね」
ミコトの宿った燈彼は歩き出しじょじょに駆け始めた――まるで居場所がわかっているかのように線を伴って燈彼は駆ける。
後には残り香だけ。
「よう、フロイライン、何手こずってんだよ」
「Oh……燈彼? もしかして助けに来たですか?」
「まぁ、そんなとこだ。サザエオニか。いい女だ」
「Hey‼ 燈彼‼ いい女はこっちです。そっちのはサザエです」
どうしたらそんな姿になっちまうんだよと燈彼は呟き、殻を背負う女の腹に包丁を突き立てようと駆ける。直前で女は殻の中へと引っ込み、燈彼は殻を掴むと入り口の蓋の隙間に包丁を突き立て、蓋をはがし中身を引きずりだすと足で踏みつける。
刹那の神業だった。やりなれているとフローゼは思う。これは燈彼なのかとフローゼは自問する。戦う時いつも思う、でもサディスティックな側面もフローゼは好きだ。
引きずりだされた女のすすり鳴く声。どうしてそんな姿になっちまったんだと、ミコトだってそう思うよ。その哀れみと同情で女が救われると言うのならいくらでも哀れんで見せる。しかしその哀れみで女が救われることは決しない。
「さよならだ」
忘れろとは言わないさ。ただその憎しみで救われるものなんてありゃしない。
待って――包丁を振り下ろそうとしたミコトを燈彼は止めた。
膝をつき、サザエオニを抱え上げる。
ただの偽善だとわかっている――。
「つらかったでしょう、痛かったでしょう、恨んだでしょう、悲しかったでしょう、憎かったでしょう……」
どうすることもできなくて悲しい。燈彼の瞳からは大粒の涙がこぼれる。関われなくて悲しい。止められなくて悲しい。知ってしまうのが悲しい。すでに起こってしまった現象を巻き戻して止めるほどの力が燈彼にはない。悲しむことしかできない己の無力が悲しい。
ただの偽善だとわかっている。それでも、それでもね、燈彼ならこうして欲しい。
それが偽善だとわかっていても、自分のために泣いてくれる存在がいるのは救いだ。
世界は理不尽で、望まなくても死んでしまう。
サザエオニの手が燈彼の頬に触れる。立ち上がったサザエオニは燈彼から距離をとった。
それでもやめられぬ。この憎しみ、この恨み、決して止められぬ。止めたいのなら力づくで止めるしかない。サザエオニの形相は鬼のように変貌し、燈彼めがけて両手を振るった。
「はっ」
ミコトは笑った――サザエオニよりはるかに早く、右上から振り下ろされた袈裟斬りはサザエオニを斬った。
崩れ落ちるサザエオニの体をミコトは支える。
「お前をこんなにした奴は残念ながら亡くなっている。じゃあ子孫に支払わせるしかないよなぁ。そうだよなぁ」
ミコトは微笑み、燈彼は悲しんだ。
「他人はこういうのさ。子供は関係ないって、その子供の前でな。そうだな関係ないな。じゃあお前が背負うんだよなぁ⁉ じゃあお前がそいつの身代わりになれよなぁ⁉」
崩れゆくサザエオニは泣いている燈彼を見ながら、すがるように溶けていった。
もういいの。もう、いいの。
世界なんてそんなものだ。残酷で不条理。
「そうだよな。優しい奴じゃなきゃ、お前のようにはならんのさ」
人は死ぬ時、例え裏切られ死のうとも、最後の最後には愛する人の顔を思い浮かべるものだ。それが人というものだとミコトは思う。愛する者すら浮かばないほどの怒りとは憎しみとは何なのか。彼女の身に降りかかった不条理とはそういう類のものだったのだろう。
「くすぶってんじゃねーよ。せっかくのそんなに綺麗なんだからよぉ」
顔を少し傾けて振り返るような素振りを燈彼は見せ、フローゼは目をまん丸に開いて止まってしまった。
「それはとってもいい言葉です、ですが燈彼に言われていたら、もっと喜んでいました」
「そりゃ悪かったな」
ミコトはニッと笑みを浮かべてまた駆けだす。倒せども倒せども数は減らず。集まった虫達はより集(あつ)まり、より集(つど)い、徐々により異形の者へと変わってゆく。
「悪いな、燈彼、生きている者と死んでいる者を天秤にかけ、どちらか一方しか救えないのなら、こちらを優先するのは当然だろう?」
ミコトに問われ燈彼はそれを止めることができない。
「いい子だ」
ライブは最高潮に盛り上がり、呪いも最高潮を迎えると今度は屈強な大男が現れ始めた。赤や青の肌を持ち、牛のような角、形相は怒りを称え。
躊躇う暇などない。慈悲など存在しない。命を極限まで消費して、目の前にいる人間を死なせたくないと皆一丸となって対自する。
梓も夏乃子もフローゼも、クラスメイトも先輩達も、もちろん燈彼も。
体が動きたくないと喚く中で、疲労の蓄積していくその中で皆完成されてゆく。
動きはより消耗を抑えてより早くより正確に、味方を守りたいという一心で命を引き絞り動く。少し顕現するのが早かったかな……とミコトは生贄少女を見た。
もう少し追い詰めれば、梓はもっと強くなったかもしれない。
しかし鼻血を出し、目を真っ赤にして弓を射る梓をこれ以上追い詰めたくないとも思うのだ。肩で息をし、指からは血が垂れる――伝う血を弓は喜んで吸い込んでいく。
腕の筋肉は乳酸と痛みにまみれ、特に右腕の上腕二頭筋から背中、三角巾、僧帽筋、広背筋の痛みは梓を確実に蝕んでいた。
弓の反動を踏ん張り耐える足も、生贄少女から入る視覚情報も、痛みでしかない。それでも弓を射るのは皆戦っているからだ。
自らをはるか見下ろすような巨人に夏乃子の足は震えていた。今すぐにでもここから逃げ出したいと本能は言い、後ろに下がろうとする足に愕然とする。
震える足を手で叩いて叱咤する。震えるな。動けと。
容赦なく振るわれた鬼の手が夏乃子の体を薙ぎ払った。打ち付けられ打ち払われ歯を食いしばるが体が言う事を聞かず地面を転がる痛みに悶える。
なんとか手で地面から体を起こすと汗だと思っていたものが血であることに気づく。口の中にあふれた唾液を吐きだすと赤く濁っていた。
視界が痛みかすむ。自分の血液だと言うのに目が痛い。
迫ってくる鬼の眼前を矢が穿つ――まだ梓は戦っている。
おそらくフローゼもそして燈彼も……クソが、目に溜まった水が涙のようにつたい、コメカミが痙攣して痛い。
戦え、戦うの、戦うのよ。
地を這い、鬼の足を蹴り穿つ、足を掴まれ叩きつけられ、起き上がり顔面に飛び蹴り、足を掴まれ叩きつけられる。クソックソックソッ。最初の脳震盪が十二分に効いている。
夏乃子は駆けた。振るわれた鬼の左手を蹴る。次いで振るわれた右手を蹴る。翻り、中空へ。顔面に両足のドロップキック。
息も絶え絶えに、降り立った夏乃子が見たのは次の鬼だった。
笑うしかない。笑いがこみあげて来る。燈彼の顔が脳裏をかすめる。
「いいじゃない。やってやろうじゃない。いいわよ‼」
迫りくる鬼の胸が裂けた。ドブドブと胸より溢れる黒い液体。倒れる鬼と燈彼。
右手に持った包丁と、左手には――歪な緑青い剣。
燈彼……名前が出てこなかった。呼びたかったのに、声が出てこなかった。
夏乃子はそのまま放心し膝から崩れ落ちた。意識を失ったのはおよそ十五秒。ふつふつと沸き立つ命の香、目を覚ますと左手に剣を持つ燈彼が視界に入った。音は遅く視界の中の光景はゆっくりと流れ、漂う香りに対して血生臭い。突き出された鬼の手に包丁を突き立て円を描く。一周すると間接に差し込んで腕を抉り取る。
黒く汚れた血のような液体は湯気を伴い悪臭を放ち一滴が落ちると大地を穢す。
その穢れを飲み込むように左手に持った剣はあらたかなる香りを放つ。
夏乃子は立ち上がる。止まった血がパリパリと、うざったいと指で掻くとボロボロとこぼれ落ちた。
舞う燈彼の姿はまるで一枚の絵画のよう。
指で作った四角の中。
あなたがいるだけいい。あなたがいるだけで、それだけでいいの。
失速していく歌声と、叫び疲れて木霊するかすれ声。
沸き立った陽の気は静かに衰え消えてゆく。
ライブの終わり。興奮冷めやまぬまま会場を通り抜ける。
消えゆく陰気。
解かれた結界と座り込み、または倒れこむ外の学生達。
なにあれと疑問を浮かべながら通り過ぎてゆく人達。
チケットが買えなくて、外で聞いていたのでしょ。
うるせぇよ。
みんなぼろぼろだね、どうしたのだろう。
黙ってろ。
何も知らないくせに。
そんな言葉を飲み込んで口にする元気すらない。
やがて人々の喧騒は消えゆき、夜の音だけが響く。
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