第16話

 祭りを堪能した次の日の夕方、バスに乗って現地に集合する。

 クラスメイト全員で狩りをするのは初めてで。大道通りがどういうものか説明を聞いた。

 祭りやライブなどの陽気を使い人々から陰気を剥離し、集まった陰気を滅する。百聞は一見にしかず、聞くよりも体験すればわかるわとウズメに言われた。

 バスがライブ会場に到着し、刻限まで待機、イベント警備員の体(てい)なので、制服の上から専用のパーカーを羽織る。

 目立つオレンジのパーカーを着用しているのが一般の警備員で、目立たない黒いパーカーを着用するのがノロワレテイルのようだ。

 四人ごとの班に分かれ待機。

 夏乃子と梓は遠く景色を眺めて、昨日の祭り会場の近くであることを察した。祭のイベントの一環のようだ。昨日の祭への参加は所謂下見のようなものだったのねと梓は思う。

 マラソン等での利用時にスタジアム内から直接外へ出られるようになっている大きな通路の前へ移動。聳え立つ門、その先から大きな歌声とそれに負けず劣らずの歓声が響いていた。

 黒い霧が動いている。動いているように見えた。

 こんなところに霧があり、触れられるほどに近いなどありえない。

 夏乃子は目配せをし、梓とフローゼは顔を見合わせる。おかしな話だが目を見れば大体のことは察せられてしまった。

 梓は噛んでいたフーセンガムをふんわりと膨らませポケットに手を入れ立つ。背中の長物が、スラリと背を伸ばした梓の曲線を良く引きたてていた。

「私、だんだんあんたの考えている事、わかるようになってきたわ」

 梓は夏乃子を見ながら口の端を傾けて見せた。

 なにそれ気持ちわるという顔をされて、梓はなによってちょっと怒りの表情を浮かべる。

 実際夏乃子がスマホで言葉を介する回数は格段に減った。

 お前にわかられてたまるかという夏乃子の表情に梓は口を尖らせる。燈彼の手を引いて後ろから抱きしめると夏乃子のこめかみに血管が浮いた。

 ほらっ怒ったという梓の表情に夏乃子はカチンとする。

「Meは前から夏乃子のThoughtを理解していましたよ、FeelingでもDesireでもなく」

「ThinkingでもCogitationでもなく?」

 いじわるっぽく梓はフローゼを見、フローゼは目を丸くする。

『ConsiderでもRegardでもなく?』

 次いで夏乃子がスマホを向けて発音する。フローゼの瞳孔は大きく開き。

「なんですかぁもうー」

 思わず二人に抱き着いてしまった。

「はーい☆ みなさん注目してにゃ☆ アテンション☆」

 ウズメが手を挙げて皆の注目を集める。

 その間にも銀河のようにきらめく霧はゆっくりと広がり、やがて鈴の音と共に霧の間より満月が現れる。今日は満月ではないはずだと夏乃子は思い、スマホで月齢を調べた。確かに今日は三日月だ。

 三日月であるのに空にはありえないほどに輝く満月が爛々と鎮座していた。

 その満月に影を落とすように現れたのは牛車。黒く袖の長い衣装を身の纏った人々と牛のいない牛車は雲に乗りゆっくりと姿を現す。

 月明りに牛車の中が透けて見え、長い黒髪を思わせるシルエットが見て取れた。

「はい皆さん、ご挨拶なさってください」

 急に言われてもピンとこないと皆は思いつつも、古き伝承の存在を感じて皆ぺこりと頭を下げた。再び顔を上げ牛車を見ると、心が安らぐような気持ちにもなる。牛車の中にいる人物がそっと微笑んでいるように感じたからだ。

 梓は首を傾げる。シルエットから見える風貌、そして牛車の形は古の伝承というよりは昔話を連想させた。

「事実は小説より奇なりだにゃ☆」

 そうなのかと梓は思う。

「あんまり深く考えちゃダメにゃ☆」

 ウズメはそう言い、皆の前に立つと手を挙げて注目を促した、月の前は霞がかり、まるで朧月、牛車はうっすらと霧の中へと溶け込んでいく。

「はい、みなさん、今日は結界を頂いています。どれだけ物が壊れようが、どれだけ器物を破損させようが無礼講です。よかったですにゃ☆。ですが結界があるからと言って死なないわけではありません、みなさんくれぐれも注意して物事に当たってくださいにゃ☆ では各班で配置を発表します」

 ウズメの指導の下、紙とイヤホンが配布され各々配置についてゆく。

 会場の範囲は広くスタジアムの外周は数キロにも及ぶ。その範囲を生徒達だけでカバーしなければならない。

 燈彼達の班は梓を中心として通路の前に配置された。

「みなさん、そのイヤホンはとてもお高いので、それだけは壊さないでくださいにゃ☆。先生の声はこのイヤホンを通してみなさんに聞こえますにゃ☆。配布された紙に班の番号が書いてありますにゃ☆。班名はそれで呼ぶから各自指示に従ってにゃ☆。基本的には場所さえ死守すれば後は好きにしていいにゃ☆」

 語尾ににゃをつけるのはやめろとは誰も言わなかった。

 無難な配置……夏乃子は頭にハテナを浮かべていた。いざという時のため、裏切られた時のため、有事の際を想像しウズメや教師陣、学校陣の思惑を探ろうとしている。

 夏乃子は梓を含めた遠距離班が通路よりもっとも遠い位置に陣取り、前衛を支援する形を想像した。自分の作戦が正解とは限らないがいざという時のために色々な案は練っておきたい。

 しかし……梓のように皆が敵を正確に狙えるかと言えば疑問も残り、フレンドリファイアなど現実で行われたら洒落にもならない。

 遠距離班を裏切りに誘導された場合も想像し、その場合前衛は全滅してしまう。そう考えると現在の状態ではとてもじゃないけれど有効的ではない。

「もうちょっと信用してくれてもいいと思うにゃ☆」

 ウズメにそう言われて夏乃子は顔をしかめた。

 リーダーは梓なので案内用紙は梓が持っている、班の番号は二〇四。

 単番号だとわかりにくく、聞こえない場合や聞き逃す場合もある。先に全員が注目できるように二と呼び、次いで班の番号となる数字が呼ばれる。

 百番台ではなく二百番台なのは呼びやすいからだ。

 ちなみに二百(にひゃく)とは呼ばず、にいまるまると呼ぶ。

 梓の班はつまり二〇四(にいまるよん)になる。

 例え二が聞こえなくとも零のち四が聞こえれば、四に元づく班は注目するだろう。

 全員が配置につくとウズメは手をあげた。

「それじゃあ、開門にゃ☆」

 扉が開く。閉まっていた通路の門。うっすらと聞こえていた会場の盛り上がりは、直に聞こえてくるように大きくなった。

 夜の帳の中――盛り上がりを見せる会場に追い出されるよう、門を通りゆっくりと現れ始めたのは虫……わかってはいたけれど、やはり虫からなのねと夏乃子は思う。

「みなさん、わかっているとは思いますが、先生達は手助けできません。実は先生たちは穢れを苦手としています。戦いが苦手です」

 先生達が戦っているのを見た事はなかった。

 私たちが戦っているのはそういう事なのだと梓も思う。

 先生たちの代わり。その意味は使い捨てとも別の意味ともとれる。

 先生達を恨んでもいいのよと思っている節があるのに腹が立つ。

 基本的には優しいのだ。優しすぎるほどに。この職務、仕事、理はおそらく人が生きている上で避けて通れぬ道なのだろう。

 人は命を奪わなければ生きていけない。命を奪い続けなければ存続できない存在。無造作に殺される虫は恨まないのか、食用にされた動物は人を恨まないのか、そんなわけはないのだ。歴史は人と人にすら輪をかける。

 侵略、戦争、略奪、現代にもわたり繰り返される連鎖、ほっとけば無くなるとでも、忘れれば無くなるとでも、そんな都合の良いわけはないのだ。

 晴らされぬ恨みは何処へ行く。積み重なった怨嗟は何処へ行く。誰かが背負わなければならないのかもしれない。否、誰かが背負わされる。望もうが望むまいが。

「ほらー☆ 始まってるにゃ☆ みんな戦うにゃ☆ 先生は踊ってるにゃ☆」

 なぜ――なぜ踊るのか、梓と夏乃子は目を見合わせて疑問に思った。

「今日はたらふく食べられそうね」

 梓が弓を構えると、弓に付随した蜘蛛が嬉しそうにしているのを梓は理解した。

 どう考えても貧乏くじを引いた。どう考えても貧乏くじを引いたと思う。

 隣の夏乃子が薄目で見てくるのに梓は含み笑いを浮かべた。

 あんたはいいわねと夏乃子に言われているのだ。

 私の呪いがコイツに居なくてよかったと梓は思う。いたら、こいつ絶対燈彼を覗き見していただろうと、ていうか今回私の仕事はとても多そうだと梓は唇を舐めた。チョコレートを食べたいと唐突にそう思い、なぜチョコレートを食べたいのか、不意に頭の中に流れる景色と記憶、しかしはっとした時には泡と消えていた。

 何か思い出したのに、それが何であったのかを忘れてしまった。

 まぁいいわと梓は思った。出て来てと、そう願えば梓の髪は血のような赤みを帯びてゆく。

 髪はまるで鮮血で出来ているかのようにほの暗く、体にまとわりついて鬱陶しい。

 足元から縋り憑くように出て来る少女達は、その様相とは異なり白や赤の無垢で質素な恰好をしていた。生臭い。血の匂いよりもずっと。この匂いだけは苦手だと梓は思う。

 トントンと靴を踏み鳴らす夏乃子はちらりと燈彼を見た。少しの不安。私を見て、燈彼は私を恐れないかしら、怖がらないかしら、嫌がらないかしら。傍に行くと燈彼はいつもの無表情。手を伸ばして右頬に触れても燈彼の表情は変わらなかった。

 爪を立て頬を削ろうとも表情は変わらないのだろう。それが堪らなくそそり、無理やりにでも表情を変えてやりたくなる。もっと嫌がってよ。嫌ってくれればいいのに。そしたら私は貴方に遠慮が無くなるのに。そう思ってしまう自分に少し辟易する。嫌がる燈彼を手籠めにするのはさぞ気持ち良い。黒い影により鋭くなってしまった指の先、手の甲で傷つけないように燈彼の頬を撫でる。

 刹那に帯びた静電気は燈彼の頬を通電し、燈彼の頬は少し震え右目だけが少し閉じられ、頬を避けるような仕草を見せた。

 燈彼が望んだ表情ではなく、本能的な防御だったのだが、その様子を見た夏乃子は思わず涎が垂れそうとなる。

 いい。もっと嫌がる顔を見たいと思ってしまう自分がいる。嗜虐趣味だなんて最低だわとは思うものの、もっと嫌がらせをしたいと思ってしまう。大事な人にはずっと笑顔でいて欲しいなんて言葉を踏みつける。嫌いだという顔も困った顔も泣いた顔も嫌がる顔も全部欲しい。

「夏乃子、あんた変な顔してるわよ」

 梓に注意され、夏乃子はハッとして我に返った。ひどい妄想。

 フローゼは踊るウズメを見て、真似をしながら踊っていた。

「はじめるにゃん☆」

「Let‘s Gameです」

「フローゼ……あんた全然踊ってる踊りがちげぇ‼」

 梓はウズメとフローゼの踊っている踊りがあまりにも違いすぎて思わず声を荒げてしまった。

 ――最初は虫ばかりだった。真っ黒で醜悪な虫が門からちょろちょろと溢れ、会場の盛り上がりと一緒に数を増やし、しかしこんなものかしらと夏乃子は虫を踏み潰す。

 声、音、熱気、熱量、人々の起こす熱が徐々に高まるのは感じていた。

 それに呼応するように高揚感が増していく。胸の辺りが何か変……と夏乃子は己の心臓の辺りを撫でた。喜んでいる。私が。いいえ。心臓の辺りから血液が全身に広がるように体の中でひしめき合っている。雲を掴むような感覚。梓を見る。フローゼを見る。他の生徒は……殺すのを楽しみはじめていた。

 こちらの殺意に呼応するように、何処から溢れてくるのだと言わぬばかりに漏れ出す異形の虫ども。殺された虫の死骸を見て他の虫が喜んでいる。倒されているのに喜んでいる。

 燈彼。夏乃子は視界の中に燈彼の肩を掴む。燈彼は不思議そうに夏乃子に振りかえり、夏乃子は思わず抱きしめてしまう。

「むぐぅ」

 燈彼の変な声を聞いて、夏乃子は冷静さを取り戻せたような気がした。

 燈彼から離れて見回す。

「梓‼ フローゼ‼」

 夏乃子の声を聞き梓は夏乃子を見た。あんた声でるのと夏乃子を見てふと……虫の様子に気が付く。囲まれている。色々なものに飲み込まれはじめていた。

「フローゼ‼」

 フローゼは炎を纏っていた。熱気を帯び炎が意思を持つかのようにフローゼに纏わりついている。フローゼは夏乃子を見なかった。あのバカ、すでに飲まれていると夏乃子は奥歯を噛む。

「梓‼」

 言わなくともわかっているわよと。

 私が制御する――梓は呪いを解き放った。

 休む間もなく滅し続ける。滅するたびに数が増す。滅しても数が増す。視界を覆うばかりの虫、虫、虫、上ばかり見ていては足元が留守になり靴を伝ってナメクジが這いあがってくる。ゴミムシが這い上がってくる。蜘蛛が這いあがってくる。

 私、細かい戦いは苦手なのよと梓は思う。ふわりと来た燈彼の斬撃が通り過ぎる。

 どう振ったのか、見えている軌跡に対して燈彼がどう腕を振ったのか、梓には軌跡と現実が噛み合わなかった。

 ふわりと来て通り過ぎる。それだけなのに表面に綺麗な斬り筋を入れられた虫達が割れて中身を露出させる。体の中心より皮が裂け、黒いヘドロのような中身が露出し、波と粘性を持って広がっていく。水ではありえないその粘性は石油を彷彿とさせた。

 稲妻が通り抜け――梓ははっとして我に返った。

「さぼってんじゃねーよ‼」

 思わず声を荒げてしまった夏乃子は、自分でもこんな喋り方なのと困惑してしまう。

「あんた口悪いわね」

 ペッと唾を吐いて梓は弓を構えた。

「あははっ‼ あははははっ‼ あはははははっ‼」

 笑い狂い炎を発するフローゼが発狂手前なのは容易に想像ができた。

「フローゼ‼ あのバカ‼」

 やがて虫どもは集まりうねり形を成す。

「Non. 私は正気ですよ」

 返って来た言葉に本気かどうかすら危ういが梓と夏乃子はフローゼの負の面を垣間見た気がした。そういった類の呪いなのだろう。

 内からやってくる虫に呼応するよう、外から虫が寄り集まり飛来する。

 スタジアムの中からではなく、スタジアムの外、結界の外から内側に向かって虫がやってくる。圧倒的な虫の数に視界すら歪んで見えるほどだった。

 歌が聞こえる――いろいろな声の混ざりあった歌が。

 どうしてそんな姿になってしまったの。どうしてそんな様相になってしまったの。優しいあなたは何処にいったの。

 負けて悔しいはないちもんめ――。

 負けて悲しいはないちもんめ――。

 あの子がにくい。

「あの子じゃわからん‼」

 梓は声を張り上げた。

 この子がにくい。

「梓、無駄でーす」

「フローゼ‼ この歌は拒絶しなければ飲み込まれるわ‼」

「なぜわかる⁉」

「そんなのあたしが知りたいわよ‼」

 声を荒げる夏乃子の声に拒絶しなければ飲み込まれると梓は直観を感じていた。まるで既視感。この歌は拒絶しなければならない。

 相談しよう、そうしよう。

 ライブ会場の外、中の熱狂とは違い外はあまりにもおどろおどろしい。

 祭りの陽気に当てられ放たれた陰気は形を成し霧散もできず、傷をなめあうように集まり霧を成す。

 あの子が欲しい――。

「あの子じゃわからん‼」

 霧の中、梓は声を張り上げて拒絶する。

 なぜ拒絶するのか、自分でもなぜ声を張り上げているのか、それでも声を張り上げずにはいられない。

 その子が欲しい――。

「その子じゃわからん‼」

 相談しよう、そうしよう――ぬっと霧の中から出てきた巨大で武骨な腕は夏乃子を掴むと霧の中に引きずりこんでゆく。

「夏乃子‼」

 夏乃子が一瞬だけ目配せしたのが梓にはわかった。燈彼を守って……それを察した梓は背後に燈彼を下がらせる。

 考えている暇なんてない。無数の気配、現れた巨大なカニのような腕は、その強大な爪を使いフローゼを挟み込み、霧の中へと引き込んだ。

「フローゼ‼」

「ノープロブレム‼」

 逃れられない。この戦いからは逃れられないと梓は唇を噛んだ。

 あまりの虫の数、虫の集まりが霧に見えるほどだ。

 いよいよ分断されてしまった。

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