第13話 

 机に寝そべっている。淡いピンクの髪、結んだ髪はまばらに広がっていた。視線、見ている方向を見ているようで見ていない。少し開いた、間の抜けた顔。梓。

 朝のホームルーム。

 今朝も十二分に走らされた。

 疲れてはいるけれど、体の筋肉を弛緩させた梓は、余力があると妙に体が熱くなって仕方がない。呪いの開放は性的興奮によく似ている。呪いにより体を蝕まれているのかもしれない。もしくは呪いにより体が蝕まれる事で、生存本能が強く働いているのかもしれない。

 呪いを解放したあの日より少し、休む魔もなく朝の鍛錬は繰り返される。

 一日ぐらい休みにしてくれてもいいのに。そう思う反面、脱力した今に不満はない。

 十分に鍛え上げられた筋肉は赤でも白でもない。剛にありながら女性らしい柔を持つとミコトは言った。しかし見えないのだから実感もない。

 机に投げ出された梓の上半身、臓の鼓動が良く聞こえる。無性にドキドキしている。

 驚いた――とか、怖い――とかではなく、静かに、それでいて力強く波打っている。

 燈彼の手を握るだけで、頬がにやけてドキドキするのだが、それを想像するだけでもこうして心臓の鼓動が強く聞こえる。

 近くにいる夏乃子。

 夏乃子の表情を見るだけで何を言いたのかわかる。

 今はイライラしている。なぜならフローゼが燈彼にくっついて甘えているからだ。

 背中から手をまわして頬を寄せている。

 フローゼだけが体力に余力を残し気味で、この体力馬鹿がと夏乃子は思っている。

 思うが何か文句を言う余力は朝のランニングで失っていた。それは梓も夏乃子も同じこと。四月は緊張でガタガタだった先生方も、五月になると余裕が生まれる。六月のじめじめした梅雨、七月の七夕、そして八月。四季の移ろい。しかしここは……。

 朝食を済ませたばかりだと言うのに夏乃子のお腹は減って仕方がなかった。

 ホームルームが終わり授業と休憩と交互に繰り返して時間が過ぎていく。

 授業中には先生の声と黒板に並べられた文字を肴に船を漕ぎ。

 休み時間には駆けだして――お目当ては自販機に売っている百円のイチゴミルクとココア。二時間目の授業中に業者が搬入し、昼休みには売り切れるという品物を求める。

 五百ミリリットル、百円の紙パック。校内の自販機はここのみで、あとは水を飲むか高いペットボトルを買うしかない。

 お腹の減った三人はなんとしても紙パックの飲み物を奪取し、お昼前に食べろと少女ミコトに渡されたおにぎりを食べたかった。

 一番に到着した夏乃子は素早くポケットから硬貨を取り出し自販機に込める――後輩は控えろよという先輩の嫌味に睨みを利かせ、ココアとイチゴミルクを一つずつ、次いでフローゼが百円を込めイチゴミルクを二つ買う。一人二人と過ぎ、ゆるゆるしながら余裕をもってやってきた梓は、余ったイチゴミルクを一つ買った。


 三分で買い、残り五分、教室で優雅におにぎりを頬張るのが何よりも至福――。

 燈彼は教室で先におにぎりを頬張っていた――ゆっくりと頬張るので三人が戻ってきてもおにぎりは一個の三割が残り、机の上に置かれた水筒の中にはお茶が、隣には蓋兼コップと中に注がれた薄緑色の液体、湯気がゆらゆらと揺れていた。

 そんな燈彼の机の前に立ち夏乃子はココアを置く。燈彼が見上げると夏乃子は買ってきてあげたわよとニコッと笑みを浮かべた。

 ついでフローゼも燈彼の後ろから手を伸ばし、頭に顎を置いてイチゴミルクをテーブルに置き、夏乃子は顔をゆがませて、フローゼのおでこを抑えて燈彼から離した。

「アウチ‼ なにするですか⁉」

 梓は自分の机に腰を落ち着け、おにぎりを頬張りながらため息をついた。

「あんたくっつきすぎなのよ」

 夏乃子の代わりに梓が言葉を口にする。

 最近気になるのは廊下からこちらを眺める視線だ。

 視線から燈彼を隠すように夏乃子は立っている。

 三人は学校中の噂になるほど目立っていた。

 その視線を燈彼が巻く包帯への好機だと捉え、三人は燈彼を視線から隠すように立ち振る舞う。

 それは燈彼が大切な仲間であり、もっとも呪われている者だからだ。

 それとは別に欲望や好意のはけ口を担っているのもある。

 お互い呪われた身だ。まともな恋愛などできるわけもない。他人に受け入れられないのは心にくるものもある。燈彼は他人を拒絶しない――だから良い。

 そして三人は三人以外を近づけさせる気がさらさらない。

 他人になど触れないし関われない。自身の呪いによって他者に対して影響を与えかねない。それは他者からの呪いも同じ。それをよしとするのも良いが理性は拒絶する。

 周りの目が実は三人を追っている等と本人たちは気付きもしない。

 梓は夜一緒に寝るだけで良い。燈彼の隣で寝ると夢も見ないほどよく眠れる。逆にこれを邪魔されるとおそらく正気ではいられないほどにイライラしてしまう。

 夏乃子は燈彼の傍にいられればそれで良い。逆に視界から消えると不安になり平常心を保てない。フローゼは可能な限り燈彼に触れていたい、触れている間は気分が良い。

 これらは彼女たちが自ら望んで暗示のようにかけた枷と蓋を意味している。

「はーい、みんなのアイドル、うずめちゃんだぞ☆」

 授業は体育ではないはずだが来たのはウズメだった。

 嫌な予感がして、二人は顔をしかめた。

「そこの二人、なんで顔をしかめるのかにゃ? 先生が愛らしいからかにゃ☆ にゃはー☆ 先生は罪作りだにゃ☆ きゃは☆」

 殺すぞと梓は思ったが、さすがに口には出さなかった。ウズメ達に関して情報が少なすぎる。殺すぞと凄んだところで逆に殺されかねない。味方だと思いたい。しかし記憶がない。信用とは積み重ね、それを見透かしてか、ウズメは梓にニコッと笑みを浮かべ、梓は目をそらした。

 私素行悪いのかなと梓は自分がそれほどいい奴などではなかったのではと自問自答する。

 死ね、殺すぞ、死を連想させる言葉は絶対によろしくない。そんな言葉、絶対に口にしてはいけない。してはいけないけれど、つい思い浮かんでしまう。

 記憶がない以上、何か確かな拠り所を求めている。それが燈彼であり、だからこそ三人は燈彼に対して甘い。

「実は、今日は皆さんに言わなくてはならないことがあります、八月十一日の花火大会に大道通りをすることになりました」

 ウズメの表情は何処か暗く笑顔には重々しさが見えた。発する声は明るくも重要な行事であるのはわかる。

「大道通り(だいどうとおり、おおみちどおり)は皆さんの命に係わる重要な行儀になります。今年の呪いの総数が一定数を超過したためやむを得ません」

「それは……私たちの職務怠慢という事ですか?」

 思わず梓は聞いていた。ノロワレテイルが呪いを倒す量よりも浮世に現れた呪いの数の方が多い。それはつまり、仕事をやり切れていないと言う事だと捉えた。

 一回の任務で複数の呪いと対自することはほぼない――なぜなら必ず先輩や同僚が割って入ってくれるからだ。

 呪いとの戦闘で負傷者はあれど死傷者は滅多にいない。

「そうではないわ。昔はね、もっとひどかったし、もっと辛辣だったの。戦国の世、人々は血で血を洗い、呪いの数は少なくとも強力な者たちが多かった。でもね、今の浮世は血で血を洗わないわ。その代わり、呪いの数は増えた。個体の力は弱くなり昔とは真逆だけれど、世は移り変わるものだわ。ではミーティングを始めますにゃ☆」

 大道通りは気になるが、それより普通に喋れるじゃんと皆は思った。

 ウズメの話を聞く事には、大道通りとは一人又は数人の象徴を用いて辺り一帯の呪いや陰りを集め、討伐する方法の総称と。

「魂は魂のあるべき場所、あのお方の元へ。穢れは穢れの帰りし場所常世へ。と言いたいところだけれど、常世へ穢れや呪いを返すわけにはいかないにゃ。ここで穢れや呪いを集め、一掃するにゃ。そろそろ言ってもいいと思うから言うにゃ。呪いや穢れは消滅させることこそが救い。晴れぬ恨みは消してあげましょうにゃは☆ きゅるんきゅるん☆ でもその前にお祭りがあるにゃ☆ みんな楽しむにゃ☆」

 燈彼はぼんやりと空を眺めていた。


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