第2話
会社の残業がやっと終わり暗い夜道を歩く僕の目の前に、何か探し物をするかのようにしゃがみこむ女の子がいた。こんな時間に女の子が一人。女子高生だろうか。着ている制服を見て素直にそう思う。
何かを探している様子が見て取れて、表情や仕草から困っているのも伺えた。
通り過ぎようとしてふと脳裏に娘の姿が浮かび、思わず足を止める。
僕には二歳になる長女がいる。
少女の姿を見ていると未来の自分の娘の姿が重なり視界もぶれた。疲れているのかな。目頭を押さえつつ顔がにやけてしまうのは愛娘の笑顔が脳裏に浮かぶから。
いつか小学生になり中学生になり高校生になり、この女子高生のように制服を着るようになるのだろうか。それはなんだか感慨深く掛け替えも無いように思えた。
なんとはなしにだが困っていそうな女子高生の事を助けてあげたいとそんな気持ちにもなったのだ。あれが自分の娘であったのなら、そう思うとただ通り過ぎるのではあまりにも薄情ではないか。自分の娘でなければ助けないのか、そう自分に問われたような気もした。
「大丈夫ですか?」
「あのっ。いえっ。え~っと……あの、その」
声をかけると、女子高生はこちらを見てそれから顔を伏せてしまう。
「何かあったんですか?」
「ちっ違うんです」
おろおろとする女子高生の様子。
「あのっ。え~っと。実は大切なものをなくしてしまって」
本当に困っているのか女子高生は口から滑らせるようにそう呟いた。
「大切な物?」
「あの。はい」
「そうなんですか」
「はい」
「手伝いましょうか?」
「あっ。平気です平気です」
驚いた顔、前で手を振り女子高生は拒否する姿勢を作る。可愛らしいなぁというのが素直な感想だった。その姿に好感も覚えて僕は手伝う事に。
もうすぐ長い踏切の時間だ――この時間帯をなるべく避けては来たけれど今日ばかりは遭遇するのも仕方がない。もう結構な時間だ。こんな時間に女の子が何時までも帰らないはいけない。親御さんも心配するだろう。
「いいよいいよ手伝うから。僕にも娘がいてね。もう夜も遅いから、早く見つけて帰ったほうがいい」
「あのっ。すみません。ありがとうございます。あっ。いえ」
「このあたりですか?」
「えっ。あのっ。いいですいいです。大丈夫ですから」
「いいよいいよ。夜も遅いし早く見つけてお家に帰った方がいい。親御さんも心配するからね」
「あの。えっと。すみません。ありがとうございます」
「ところで、何を落としたのかな?」
「えっ? あ。はい。ちょっと恥ずかしいんですけど。あの。指輪。なんです」
「指輪?」
「はい。あの、彼氏に買ってもらったんですけど。落としちゃったみたいで」
「指輪かー」
「どこかに落としちゃって」
「このあたりに落としたの?」
「はい。このあたりで指から落ちてしまって、サイズが合わなかったからなんですけど、見つからなくて」
落として転がり見失ったのだろう。そういう時って意外な場所まで転がり見失うと思い込みも邪魔してなかなか見つからない時がある。
「彼氏思いなんだね」
「いえっ。……そのせいで彼氏とも喧嘩しちゃって。あっ電車きますね」
音がなり遮断機が下がって来た。電車が来る合図だ。
踏み切りの中へと入り探していた僕と女の子はこちらと向こう側へと分かれた。
女の子が線路の向こう側へと駆けてゆく。向こう側を重点的に探すのだろう。僕は線路のこちら側の地面を見回した。指輪だし明かりでもあれば光るかもしれない。
街灯があるとはいえ、経年劣化で出来た溝や雑草の生い茂る地面は影で見え辛かった。
おまけに点灯点滅している赤いライトは疲れた視界に優しくない。
ライトなかったっけと鞄に手を入れ、指先に当たる輪郭に、あったあったと懐中電灯を掴み出す。いざという時のため、緊急用に入れて置いた物だ。
それにしても彼氏から買って貰った指輪か。今の高校生はお金持ちだなと思う。僕が高校生だった時にはとても買えそうに――バイトすれば買えたかもしれない。でも校則でバイト禁止だったからな。
妻に指輪を渡したのは結婚を申し込んだ時だけだ。それ以外指輪を買ったことがない。
指輪のサイズを調べるのには苦労した。きっと多分、この子の彼氏にとっても苦笑いするような思い出となっただろう。だからこそ怒り喧嘩となった。
嬉しそうに微笑んでいた妻の表情を思い出し、向こう側で指輪を探している女の子も、指輪を貰って妻と同じような表情をしたのだろうか。今どきに言えばエモいと言うのだろう。新人後輩の口調を思い出し、少し笑ってしまった。
僕はまだ前世代に生きている。後輩には今の時代に生きてくださいと言われてしまった。なかなか思う通りにはいかないものだ。意地やプライドが邪魔をして素直になるのすら難しい。新しいものを覚えるのにイライラもしてしまう。過去の経験や蓄積が全て無駄で自分の存在意義すら否定されているかのような錯覚を覚え意固地とも(にも)なる。困ったものだ。
先頭車両が見えて来た。迫り通り轟音が響く。風が吹きちょっとよろけてしまった。
足腰弱ったかな、運動してないからな、情けないなと頭を掻き、ライトで地面を照らす。何度かオンオフを繰り返し使えることをしっかりと確認。電池切れはしていない。
電車の窓から差し込む光と闇のコントラスト。
電車の中の人に当たらないようにとライトの明かりを地面へ(と)向ける。
それからライトを巡り巡らせてしばらく――キラリと光りが見え、ライトを振り、光を反射する光輪を見た。
おっ、もしかして――電車が通りすぎていった。
古い踏切だ。未だに木材作りで溝も多い。遮断機よりも少し内側の窪みの中だった。
屈み窪みに落ちていた光を摘まみ下がり、左手の手の平に置いて安定させ、右手にライトを持って照らす。湿った土の付いた輪。砂利の中からでも銀のそれが指輪だとわかる。空き缶のフタではないことを確認し口元を緩めた。
「おーい!」
声を張り上げてライトを消し、女の子に手をふる。
「あっはい」
「これじゃないかな?」
「えっ? あったんですか?」
嬉しそうに微笑む表情を見ると、心から良かったとそう思えた。まだこれが現物とは言えないけれど。
「多分これじゃないかな? 確認してくれないか?」
「あっはい。今行きます」
女の子が走り出す。屈む姿。
「おいっおいおい。まて‼ まだ電車がっ」
遮断機を越える。
電車が。
呆然とするしかなかった。
手と。
足と。
翻るリボン。
なんで。
まだ。まだ。
耳をふさぎたくなるような生生しい破砕音が響いていた。骨の砕ける音と無理に筋肉の引きちぎれる音に最悪の事態が脳裏を真っ白に染める。
横凪ぎの風と視界を遮る鉄の波。耳を傷める轟音の警笛。
娘の顔が脳裏に浮かぶ。妻の顔が脳裏に浮かぶ。
まだ。生きているのでは――淡い期待と無数の赤い点。
小さな小さな赤い、赤い点が視界を濁す。
動けなくなった。
動けなかった。
電車のブレーキ音が木霊し、ぼくは呆然とその場に尻もちをついた。
体中が逆立つ感覚、上手に動かない手で取った眼鏡のガラス、落ちて来た靴。カタンッ。赤い染みばかり。
脇に生えていた雑草を男は蹴り上げた。
「あー。あの店長マジムカツクわー」
つい先ほど男はバイト先で店長ともめた。
バイト中にスマホを操作しないよう注意。お客さんをナンパしないように注意。トイレでタバコを吸わないように注意を受けたのだ。どれもバイトをする態度ではないのかもしれないし、そうではないのかもしれない。自分はバイトで社員ではない。自分が社員と同じ仕事量をこなすのは間違えだと、サボる行為をおくびれもせずに行った。それが他のバイト員の反感にも繋がったのだ。その結果店長や社員に厳重注意を受けた。
社員の口から出た、それでは社会に通用しないと言う言葉に知るかばーかと殴りかかった。お前だって社会の事なんかわからねーだろ。だからこんなチンケな店の社員なんだろと反感も覚える。指をさされたことも相まって頭に血が上った。
人を殴ったが、それを悪いことだとは思っていなかった。
だが社員を殴ったことで店長にクビにされた。
俺がなぜクビにされるのかを理解できない。喧嘩を売って来たのは向こうだ。警察を呼ばないだけマシだと思えと言われた。警察にチクるなど小学生かよと笑ってしまった。男にとってそれは先生にチクるのと同じ行為だったからだ。
「イライラしてしょうがねぇ‼」
こういう時は女とやって発散するに限ると人の多い街、駅前を目指す。
先日、制限速度四十キロの道を九十キロで走り免停を受け車も運転できない。歩行者なんか死ねばいいと思っている。なぜ車より歩行者が優先されるのか。歩行者は大人しく端っこ歩いとけよと男は悪態をついて警察に注意も受けた。
(女、女。可愛くて頭悪そうなの。でもやっぱ女は処女がいいよな。痛がる顔がいい。悲鳴のような喘ぎ声も)
股間から滴る赤い液体と混じり合ったのを思い出し、女を抱くことを思えば男はイライラを抑えられた。
線路の前。
「おわっ」
踏切の中にいる人影を見て男は驚いた。注視すればそれが女性であることがわかる。
こんな時間に女子高生が一人。値の張った腕時計を見る。もう夜もいい時間だ。昨今未成年に手を出すことは社会的な死を意味するが、男には関係なかった。
男は女の口説き方を知っている。快楽を得るために何度も経験し学習したからだ。自分の容姿をどう使えば女が喜ぶのか。どういう言葉がこの女を喜ばせられるのか。過去の経験、学習を元に男は考える。
女が男の何を重視するのか理解すればいい。
容姿か、学歴か、金か。
体はある程度鍛えている。学歴も金も嘘をつけばいい。
女を口説くのに顔が良い必要はない。必要なのは自信と金がありそうな雰囲気、あとは良い匂いだと男は思っている。ダメでも強引に連れていけばいい。
「ねぇ? 君、大丈夫?」
ギャップは大事だ。金髪に染めても丁寧な口調を心掛ける。
「あの。いえ。え~っと。あの。その」
(かわいいじゃねーか。合格合格っと)
男は女性の顔を見て笑んだ。ブスでも体が良ければ構わないがブスでデブは断る。ブスでデブでも金がある女は一回抱く。デブでも顔の骨格が良ければ抱く。ガリは趣味じゃない。
乱暴な言葉だが、男は女性をそう見ている。
「どうかしたの? あっ。もしかして家出とか?」
自殺かもしれないと脳裏を過るがそれはそれで都合が良い。
「ちっちがうんです‼」
「そうなんだー」
「あの。え~っと。実は大切なものを無くしてしまって」
「そうなの? 大切なもの? 手伝う手伝う。俺やさしーから探すの手伝うよ」
「あの。はい」
「なになに? 何をなくしたのかな?」
「はい」
(大切なもの。何か金目のものでもなくしたのか。こんな時間までご苦労様。しかし、襲ってくれって言っているようなもんだよな。マジでついてる。やっべ興奮してきた)
「あのっ。すみません。ありがとうございます。あっ。いえ」
「いいからいいから」
「えっ。あのっ。いいですいいです。大丈夫ですから」
「まかせてまかせて」
「あの。えっと。すみません。ありがとうございます」
「いいからいいから」
知り合いになっておいて損はない。ここで恩を売っておくのもいい。警戒を緩めてくれるのを待つ。
(俺見た目とは違って優しいんだよーくくくっと女はギャップに弱いからな、馬鹿がよぉ)
後日遊ぶ約束をして友達を連れてきてもらうのも良い。刺激に飢えた少女達に、文字通り刺激を与えてやるのだ。
「ところで、何を落としたん? 言ってみ? 俺運がいいからさーすぐ見つかるよ」
「えっ? あ。はい。ちょっと恥ずかしいんですけど。あの。指輪。なんです」
「指輪?」
(へぇー。指輪か。三万ぐらいはすっかな)
「はい。あの。彼氏に買ってもらったんですけど、落としちゃったみたいで」
(彼氏持ちかよ。んだよ初物じゃねーのかよつまんねー)
男は顔を濁しそうになり思い直して整えた。
「彼氏からかぁ」
彼氏持ちはバレるのを恐れて人に言わないので襲いやすいと考える。
(大抵の女は何度かいかせるだけで何も言わなくなるから結局変わらねーけど)
「はい。このあたりで指から落ちてしまって、サイズが合わなかったからなんですけど。見つからなくて」
男は女性が傷つくことなど考えたこともなかった。一回だけでも抱くのは他の者が与えない快楽をまた求めて貢いできたという経験があるから。悲劇のヒロイン症候群は男にとって都合が良かった。男にとって女はただの食い物。それは男の母にとって男が食い物だったのと同じだ。あきたら捨てる。ただそれだけ。泣き顔を見ると馬鹿かよと思ってしまう。俺を選んだのはお前で、お前を捨てるのは俺だ。
「いえっ。……そのせいで彼氏とも喧嘩しちゃって。あっ電車きますね」
(電車なんてまだ来てねーよ。つうか踏み切りなってねーし、つうか彼氏と喧嘩かとかマジでどうでもいいわ。今すぐつっこみてぇ。スカートのひらひらがマジたまんねーわ)
「あっはい」
(みつかんねーなぁ指輪なんて。あーあー。適当に探すふりだけすっか。適当に慰めて。どうやって部屋に連れ込むかな。無理やりでもいいな。仲間を呼んで連れ込むか。外でやるか。ここでやっちゃうか。マジホクホクしてきたぁあああ。そういやこないだやった女。最高だったなー。やめてやめてってあはははっ。ビッチのくせに叫びやがる。しまりは良くなかったけど口の方はいけたな。あーこないだのオーエルも良かったなー。今度またカメラでも持ってお邪魔すっか。あの動画。ネットで売ったら儲けがすげーのっ。また稼がせてもらうかな。ちょれーな)
「えっ? あったんですか?」
(あぁ。何を言ってやがるこの女。そういや電車なんて。あっ?)
「あっはい。今行きます」
音がする。
線路の中。
「いま、いきます」
笑んだ女の子の顔。
通り過ぎる電車は急ブレーキを。
電車は通り過ぎたと思っていた。踏切が開くのを待ちきれなかった。それは大切な、彼から貰った指輪だった。
線路の赤い染み。
それはきっと錆びた鉄のせい。吹き飛んだ女性の幻影に、今日は肉が混ざっていた。
ただそれだけ。
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